先週の『ラジオ深夜便』に
黛まどかさんが出演していて
フランスで俳句がブームになってはいるが
季語がなかったり
字数も適当で
5・7・5のように
きっちり定型も守らず
そのいい加減さに
おかんむり。
フランスに行って『俳句フォーラム』とかのゲストに招かれ
ハイキストと称するフランスの俳句愛好家たちへ
「俳句のルールを守ってほしい」
と訴えるや
総ブーイングを受けるという。
黛さんの
「字数もバラバラで季語もないんじゃ
もはや俳句とは呼べず、ショート・ポエムです」
という主張は、しごくもっともで
インタビュアの石澤典夫氏は
すぐに賛同の相槌を打つかと思いきや
どうも煮え切らない。
フランス人の肩を持つかのように
「柔道は、かつては、白い柔道着だけしか認められてなかったのに
青いのもOKになって、そうやってその国の状況で
文化というモノは変容してゆくものですが」
とお茶を濁す。
あのねえ。
『俳句』から
「5・7・5(フランス語なら別の基準になると思うが)」
「季語を入れる」
これらは
俳句が俳句であって
短歌や詩とは明らかに違う
一つの独立した文学であることを示す
最重要な
「根幹」ともいうべき決まり事。
これらがなされていないものは
もはや俳句とは呼べぬ。
黛さんの主張は当然じゃないですか。
「柔道着が青いのもOKになった」
程度の変化とは比較にならないほど大きい。
というより
似て非なる、いや、似てもいない
彼らの「フランスの俳句」と称する作品は
もはや俳句の体(てい)をなしていないのである。
「ハイキスト」とやらが短いポエムを書いて楽しんで
それら作品になにか新しい名称を付けたいのなら
それは勝手です。
しかし!
俳句(haiku)という名称は
使わないでほしい。
石澤氏は洋画ファンだという。
『洋画かぶれ』といったほうがいい。
ことあるごとに
フランスおよびヨーロッパの映画のシーンを紹介する。
正直ウザイ。
身も心も
欧米文化に魅了されきっている。
転じて
欧米人の価値観考え方からしか
ものが見えなくなってしまっている。
「ハハ。あの名作映画『太陽がいっぱい』を作った国の人々に
反論するなんて...」
と、腹の中では
さぞやシニカルな視線を
黛まどかさんに投げていたに違いない。