モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

酔っ払い論。

2009-02-22 08:15:33 | 街中ウオッチング

前財務・金融大臣の中川さんが酔っ払ってしまった。ようだ。
公の場でやってしまったので、しかも国内ではなく海外の重要な場でやってしまったので世界に配信されてしまった。

私も自慢ではないが中川さん同様かそれ以上に酔っ払うので、 「酔っ払い」というものを考えるいいチャンスになった。

私には、理想の酔っ払い像というものがある。
それは、蕎麦屋で、ぬる燗1本を肴一品でゆっくりと飲み、仕上げにもりそばを食べて今日一日に感謝する儀式を行って帰るスタイルだ。

たまにいく神田のまつやという蕎麦屋に、夏は着流し、先日は寒いので刺し子状の厚手の羽織をはおっていたが、瞑想のように超然として飲んでいる“いなせなおやじ”がいる。

たぶん毎日きている常連客のように感じるが、氏素性に興味がわきじっと観察をしている。最初の頃は、この蕎麦屋のおやじが蕎麦うちが終わり、仕事上がりで飲んでいるのかと思うほど店の中でのデッドスペースに遠慮がちに陣取って飲んでいる。
しかしどうも店の人間ではなく客のようだ。次には、江戸の伝統的な職人ではないかと思った。或いは、今はいない江戸の火消しのようでもあった。

観察からわかったこのいなせなおやじには一つの酒を飲む哲学があるようだ。
悪い席に座る。彼は、いい席を初めての客のためにゆずり、自分は末席のデッドスペースで飲むことを旨としているようだ。そして、人に話しかけない。寂しさをヒトで紛らわせる愚行をしない。そして、既定の量でやめる。

(写真)神田まつやの蕎麦


私が理想としている飲み方を現に実践しているおやじがいた。

こんな飲み方が出来る人間は、そうあまりいないように思う。
過去に壮絶な物語があったとしか思えない。
中川さんもこの仲間に入れる切符を手に入れたかもわからない。これからはじまる壮絶な経験を乗り越えれば。

一人で飲む酒には二つのタイプがあると思う。
奈落の酒に落ちていく飲み方で、到着駅はアルチュウだろう。
もう一つは、奈落の底から這い上がってカムバックしてきたヒトが感謝して飲む酒だろう。

中川さんは、ストレスの多い重労働もあったと思うが、荒んでいく直前の人相になりつつあったが、このおやじはすがすがしい顔をしている。しかし、このいなせなおやじは、どうも奈落の底を経験したようだ。でなければ規定量でとまらないし、自分を律することが出来ない。

私はいまだにこのおやじのような飲み方が出来ない。
友人と飲みたいし、最後は体力テストで倒れるまで飲み続ける、ブレーキをはずした暴飲列車の乗客なのだ。ただ、この列車には人生経験のない若者を乗客として乗せない見識だけは持ち合わせている。幸いなことに、現地調達で一緒に飲むヒトを探してしまう嗅覚があるので飲み仲間には不自由しない。
奈落の酒を極めるには、緊張感が欠ける身内と飲んではいけない。
中川さんは習慣を省みることがなかったためか中途半端なことで失敗している。

何故酒を酔っ払うほど飲むのか?ということを考えてみるといいのかなと思う。
酒は現実からの逃避に便利であり、現実に戻っていく勇気をも与えてくれる。
考えなしの常用はこの意味・効用を麻痺させ逃げっぱなしになってしまう。
考えて、現実から“逃げるな”ということだろう。

私の理想の酒の飲み方をしている“いなせなおやじ”は素晴らしい。
きっと彼は、奈落を経験しそこから這い上がってきたことで得た自分を律する技術を持っていると思う。一人遊びできる大人は、IT技術など先端科学の技術も重要だが、人間の気持ちを制御する技術を持っており、この技術はヒューマン・サイエンスとして重要だと思うに至った。
飲み屋で学ぶことも結構あるということだろうか?

『酔っ払い、正常と思う心に酔っている。』

医療領域を除き、正常・正常でないかは、民主主義的に決めるしかないようなので、自己評価だけでは危ないということだろう。第三者の声を聞けないお山の大将は、わかっていないし危ないということにつながる。

『ストレスは、身内と飲むと高くなる。』 持つべきもの身内と飲むより直言の友だろう。

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