丈夫で通風性がよい和紙。
その原料がミツマタだが、最近はインテリア素材としても使われており、省エネ時代に逆行するかもわからないが電球を使った照明は柔らかい灯りとなり蛍光灯にない憩いをくれる。これを“ほっこり”するというのだろう。
身近では1万円札がミツマタから作られていて、これを得るために悪戦苦闘する世になっている。人間が作ったものを道具とするならば、道具は使い方によって豊かさとかプアー感とかを与えてくれる。道具が豊かであったりプアーになるのではなく、使う人間の心にその違いが生じるのだということは百も承知だが忘れがちになる。
さて、“ほっこり”できる1万円札。これが今の課題だ。
ミツマタの花を見て、1万円札の元となっている不思議を味わっていただきたい。
(写真)ミツマタの花

春の花木は、ウメ・ロウバイなど花が咲いてから葉が出てくるものが多い。いつ見ても気恥ずかしさがあり、何故そう思うのかを考えてみたら、素っ裸のような気がするからだと気づいた。
ミツマタも同じであり、葉が落ちた晩秋から銀白色の蜂の巣のようなつぼみをつけ、
2月から3月頃に開花する。
原産地は中国であり、日本にはいつ入ってきたかわからないという謎がある。
記録に残っているのは、1598年に徳川家康が伊豆修善寺の製紙工にだした許可状で 「豆州にては 鳥子草、かんひ、みつまたは 何方に候とも 修善寺文左右衛門より外には切るべからず」 と書かれている。
日本の製紙の始まりは聖徳太子の頃といわれているが、「かんひ」は、「ガンピ」であり、奈良時代から和紙の原料として使われていたという。
ミツマタは梅と同じ万葉の時代に入ってきていたかもわからないが、紙の原料として歴史に記録されたのが戦国時代終わりでだいぶ時間差がある。
日本の和紙の質を日本及び世界に広めたのが紙幣であり、1879年(明治12年)大蔵省印刷局によってミツマタがはじめて使われた。明治の初期はドイツに発注し輸入していたというのでいわゆる造幣局の歴史とともに歩んだことになる。
この日本の紙幣の始まりは、1600年頃伊勢の商人が、銭で払わなければならないおつり分を貨幣がないので“いくら借り”という意味で出した紙ッ切れ(証文=私幣)が始まりのようだが、よほど信用があった商人なのだろう。
フタマタは信用を失墜するが、ミツマタは信用を創造する役割を担うということになったから偶然にしても言葉遊びは面白い。
(写真)蜂の巣のようなミツマタのつぼみ

(写真)つぼみが一杯のミツマタの木

(写真)ミツマタの花横顔

ミツマタ(三椏)
・ジンチョウゲ科ミツマタ属の耐寒性がある落葉低木。
・学名は、Edgeworthia chrysantha Lindl。属名のEdgeworthia(エッジワーシア)は、イギリスの植物学者「Edgeworth 夫妻」の名前にちなみ、種小名のchrysanthaは「黄色の花の」を意味する。
・原産地は中国の中南部、ヒマラヤ。
・樹高1-2mで枝が全て3つに分かれるのでミツマタという名前がついた。
・晩秋に落葉した頃に銀灰色の蜂の巣のようなつぼみがつき、2月頃に葉がでる前に開花する。
・花は、蜂の巣が開くように黄色のラッパ状のものが多数つくが、これは花を保護する萼(がく)で花弁ではない。
・花が咲いた後に葉がでるが、葉は表が緑色だが裏面に細い毛が密集し灰白色。
・生育環境は西日本の暖かいところが適しているが、東北以西で栽培できる。
・樹皮は高級和紙となり鳥の子紙・紙幣などに使われる。
・明治9年に政府印刷局で三叉を原料として紙幣を作ってから、三叉の利用度は非常に高くなった。
命名者Lindl.
ジョン・リンドレイ(John Lindley 1799-1865)は英国の植物学者でロンドン大学の植物学の教授。若い頃はバンクス卿のアシスタント秘書などを勤め、1830年代後半にはロンドンにある王立園芸協会の最初のフラワーショーを組織し成功させ、多数の著作があるが、「The Theory and Practice of Horticulture」(1840)は、19世紀のアメリカの園芸家に多大な影響を与えた。