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阪神・淡路大震災30年

2025年01月18日 17時39分21秒 | 一言

亡くなった父と同じ年に

神戸・早朝のつどい 犠牲者を追悼

 震度7の激震が起き死者6434人、負傷者4万3792人を出した阪神・淡路大震災(1995年1月17日)は17日、発生から30年の節目を迎えました。被害の大きかった兵庫県では、早朝から各地で追悼の催しが無数に行われ、住民は発生時刻の午前5時46分に黙とうし、犠牲者を追悼しました。各地の式典や集会などには日本共産党の田村智子委員長、山下芳生副委員長、辰巳孝太郎、堀川あきこ両衆院議員が参加しました。


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(写真)「早朝追悼のつどい」で犠牲者を追悼する参加者と僧侶。左端は山下氏、同2人目は辰巳氏=17日午前5時46分ごろ、神戸市中央区

 神戸市内を一望する諏訪山ビーナスブリッジ(同市中央区)では「早朝追悼のつどい」が開かれ、参加者は地震の起きた午前5時46分に黙とう。NPO法人「Earth」の僧侶による読経の中、一人ひとりが「神戸・希望の鐘」をつき、手を合わせました。

 明石市から来た女性(76)は須磨区の実家が倒壊し、父親を亡くしました。神戸の夜景を前に「ここへ来たら父を思い出せます」。30年が過ぎ、父親が亡くなった年と同じ年になりました。「父ももう少し生きたかったと思う。わたしは震災でできた人とのつながりを大切にして、これからも生きていきたい」と語りました。

 大阪市東淀川区から来た女性(59)は当時、神戸市東灘区で被災し、友人を亡くしました。「飲み友だちでした。彼女の面影や飲んだときのことを思い出していました。自分が亡くなるなんて考えもしていなかったでしょうに…」と話していました。

 

田村委員長ら献花

兵庫県追悼式典

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(写真)献花する田村委員長=17日、兵庫県公館

 兵庫県などが主催する「阪神・淡路大震災30年追悼式典」が17日、神戸市にある兵庫県公館で開かれました。遺族や政府・自治体関係者、首長、議員、政党の代表者らが出席しました。日本共産党からは田村智子委員長・衆院議員と庄本悦子、久保田健司の両県議が出席し、献花しました。

 遺族代表の武田眞理さん(66)は、父を亡くした被災時の状況を語り「(能登半島地震の被災者など)同じような悲しみを持った人たちに心の平安が訪れることを願うとともに、後世の人たちに、悲しい記憶ではありますが命の大切さを伝えていきたい」と話しました。

 県内の小・中・高校生の代表が「私たちは震災を語ることはできません。しかし多くの語りに共感し、思いを寄せ、語り継ぐことはできます」などと決意を述べました。

 

公的支援の拡充訴え

震災30年 党兵庫県委と辰巳氏

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(写真)宣伝する(左から)松田、辰巳、庄本の各氏=17日、神戸市・元町駅前

 阪神・淡路大震災から30年の17日、日本共産党兵庫県委員会は神戸市の元町駅前で宣伝を行い、松田隆彦県委員長、辰巳孝太郎衆院議員、庄本悦子県議団長が各自の被災経験を語り、公的支援の拡充を訴えました。

 松田氏は「当時、国や神戸市が『創造的復興』の名で被災者を置き去り、神戸空港や巨大再開発を進めた」と批判。共産党や震災の年に初当選した山下よしき参院議員が市民と運動を広げ、被災者支援法実現に奮闘した当時を振り返りました。

 辰巳氏は「能登の地震も避難所は冷たい床でプライバシーのない生活を強いられ、復興も遅れている。30年前と変わらない被災地の情景を政治の責任で変えよう」と訴えました。

 庄本氏は「暮らし無視で大型開発を続ける県政の転換を」と訴え。昨年、衆院近畿比例候補として奮闘した小村潤、冨士谷香恵子の両氏も参加しました。

 宣伝に駆けつけた尼崎の40代女性は「震災後、生活環境が変わり大変だった。政治が困った人に寄りそってほしい」と話しました。


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