天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

第9回ドーナツ会議

2011-09-11 10:39:09 | ドーナツの宝
☆ドーナツ説明会:10:00~12:30

1.天津の日本語教育の現状とドーナツの必要性

「教科書・教師・教室」からの解放(20年以上前の論文および各地の日本語教育の現状から)


2.社会人になるためのスタートとしてやってほしいこと

「日本語・コミュニケーション」能力の向上
「会社・仕事について調べ、考える」
「面接の準備」


3.卒業論文基礎ゼミナールガイダンス

「作文と論文は違う」
「論文とは何か」



☆ドーナツ会議:13:00~14:30

今年度のスケジュールおよび担当者決定


☆卒業論文ゼミナール 第1回

「参考文献リスト」の作り方など

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ドーナツが本当に学生のためになっているのか、
それは、メンバーの成長振りを見て判断していただきたいと思います。

50音図の落とし穴・・・続 ハ行の反乱② もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-09-11 10:31:33 | ドーナツの宝
今や「なでしこブーム」だ。
  ーーー 沢がパスを送る。大野が受けてクロスを打つ。川澄がゴールを狙う。
 (あれ、サッカーなのに、誰もボールを“蹴らない”のかな・・・)
 ま、それはともかく、応援が大変だ。故郷のオカアサンまでユニホーム姿で娘を声援する。
 ・・・ニッポン ちゃちゃちゃ ニッポン ちゃちゃちゃ・・・
 これが、
 ・・・ニホン ちゃちゃちゃ ニホン ちゃちゃちゃ・・・じゃ、力が入らない、気が抜けてしまうね。
 元々日本語の音は、ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ と書いて、発音は、ファ・フィ・フ・フェ・フォだったのだから(左欄のカテゴリー参照)、おとなしく音を出せば、両唇の摩擦音“Pho・フォ”で“ニフォン”になり、元気よく音を出せば、両唇の破裂音“Po・ポ”で“ニッポン”になった。これならごく自然だ。
 ところが、徳川300年の鎖国の間に、ハ・ヒ・フ・ヘ・ホのカナ文字の音は、唇の音から、口の最も奥で出す音に変わってしまった。しかも、うっかりすれば母音と紛れるような、実に出しにくい音、ha・hi・hu・he・hoになってしまったのだ。
 その犯人は誰か。いまだに「迷宮入り」だ。あとは、推論するしかない。
 
 この長い鎖国の間、外国からの文化の窓は、長崎・出島ただ一つだった。だからここには、国外の文化を求めて、多くの学者がひしめいていた。
 当時は、オランダやポルトガルの文化も入って来てはいたが、なんと言っても圧倒的だったのは隣国・中国からの文化だ。文学や宗教・哲学(儒教・仏教・論語等々)は言うに及ばぬ。こうした文化は、当然、言葉で綴られている。
 上海と書いて(シャンハイ)、海口は(ハイコウ)、香港と書いて(ホンコン)・・・海・香と書いてカイ・コウと、“k”音で読まずに、“h”音が頻繁に登場する。
 新らしもの好きな学者たちは、この音を早速に使う。現在でも、気障な学者や専門家と称する連中が、英語やフランス語やドイツ語などで、専門性をひけらかしているのと変わらなかったのだろうよ。
 そして彼らは、50音の中に、その音の、文字としての居場所を探した。
 何しろ、国学の総帥、本居宣長大先生が、50音が日本語の音であると断じて、縦5×横10の五十音だけが正しい音であり、それ以外は全て邪音であると決め込んだ時代のことだ。表記を50音図のどこかに置かなければならない。そこで、目を着けられたのが、両唇の破裂音“Po・ポ”と両唇の摩擦音“Pho・フォ”の間で揺れている“ph・ハ行”だ。
 ちなみに、金平糖という砂糖菓子がある。これはポルトガルからの輸入品だ。漢字で書けば金平糖だが、原語では「コンフェイト」である。先日も、古くからの京都の店・緑寿晻庵から桐箱入りが届いた。箱には焼き印で「confeito」と記してあった。その当時から、よく間違えられていたのだろう。“フェ”と“ぺ”の使い分けは、揺れていて、紛らわしかったに違いない。
 そこで、「ph・ハ行音」は、新しい音、“h”音に、乗っ取られてしまったのだろう。
 
 この説には、確かな証拠は無い。ただ、推論する根拠はある。もし、「いや、そうではない」という説があるならば、どうぞ、証拠を示して、お聞かせ願いたい。

 さて問題は、“ph”音が“h”音に置き換わった結果、次々に起こる混乱だ。“h”音が語頭に来る場合は、それほど問題は生じない。「花・塀・堀」などは、“hana”、“hei”、“hori“と苦もなくできる。
 だが、この音が語中にくるとそうはいかない。「くさばな」「いたべい」「こぼり」など、いわゆる連濁になると、昔のph音の濁音“b”の唇音を使わざるをえない。
 そこで、“ハ・h”音の濁音は存在しないのに、表記では清濁の関係として残ってしまった。おまけに、語中でhの清音を使おうとすると「くさハな」「いたへい」「こホり」となって、日本語の音のルールから外れてしまう。
  
 まだ問題は続出する。江戸っ子などはつい最近まで、“hi・ヒ”が言えなかったから大変だったろうね。関西の質屋(ヒちや)は江戸では(シちや)、七(ヒち)は(シち)になる。
 そして、“フ”の音などは、“phu”なのか“hu”なのか、現在でも全国的に混乱している有様だ。 それよりも、h音に、ついて行けなかった音達が大勢いる。一体、どこへ行ってしまったのだろう。
 これについては、来月・・・では間が開きすぎるので、来週、続けて書くことにしましょう。
           ーーーーつづくーーー