(以下は、日経ビジネスオンラインの記事からの転載です)
元NHKアナウンサーの山川静夫さんも、話に必要なのはテクニックではない、と語っていた。
「私もね、若いころはうまくしゃべろうとか、気の利いたことを話そうとか、必死にテクニックに走っていました。でもね、今やっと話に必要なのは、そんなことではなかった、ということに気がついたんです」
「よく会話は言葉のキャッチボールなんて言うでしょ? キャッチって日本語に訳すと、受け取る、ということですよね。だから人と話す時には勝手に投げるのではなく、相手が受け取ることができるボールを投げないとダメ。自分がカーブを投げたいとか、俺はこんな速い球も投げられるんだ、なんて、どんなに素晴らしい球を投げても、相手が受け取ってくれないと意味がない」
「分かりやすい言葉で、分かりやすく話すことが一番大切なんです。そのためには、自分の足で歩いて、自分の手で触って、自分でにおいをかいで自分の身体で体験するしかない。体験を通して知ることは、人格を磨いていくことにもつながります。世の中いろんな情報があふれていますけど、自分で体感してほしいと思います。テクニックだのアクセントだの話し方だの、関係ないんです」
(中略)
コミュニケーションに必要なものは、言葉を巧みに使うテクニックじゃない。ナレッジマネジメントの第一人者である米国のコンサルタント、ドン・コーエンも、「知識を伝える際に、理論や図、表などを駆使して立派なプレゼンテーションを行っても伝わらない。伝え手がそれを受け止める人に、何を、どうして、それを伝えたいかを、自らの経験に基づいて話すことが重要である」と常々指摘している。
(転載ここまで)
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私が、ある学生のスピーチを聴いて、「こんなスピーチを練習している時間があったら、今、自分が話していることが本当のことなのか、自分の足を使って確かめたほうがいいんじゃないかな。言葉は綺麗だけれど、心には響かないな」と思うのは、上記のようなことがあるからです。
自分自身を高めずに、また、「これを伝えたいんだ」というものが自分の中にないのに、
心に響く(例えば、この人と一緒に仕事をしたいと思ってもらえる)スピーチなどできるはずがないと思います。
ちなみに、『最高のプレゼンテーション』という本の中で、ダグ・マルーフはこう言っています。
「最高の商品とは、あなた自身です」
もちろん、それは道徳の本を読んで「立派な人間になったつもり」になることでは、ありません。
実際に知らないこと・本当に伝えたいという内的動機のないものを、受け売りの知識やうわべだけ綺麗な言葉、大げさなジェヤスチャーで表現しても、聞いている人には「日本語が上手だな」という印象しか与えないのではないか、ということです。
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日本語の発音が多少おかしくても、立派な仕事をしている人はたくさんいます。
反対に、日本語の発音がきれいでも、会社を転々として、アルバイトしかできない人もいます。
日本語教師としての私は、発音もきちんと教えられるようになりたいと思いますが、
卒業生の現状を見ると、完璧な発音やどうでもいいようなテクニックを競うスピーチコンテストに
多くの時間を費やして参加する学生には、「本当にそれでいいのですか?」と聞いてみたいです。
日本語教育はいったい誰のために・何のためにやっているのか、
それを考えながら、来学期のスピーチコンテストの準備を進めたいと思います。
元NHKアナウンサーの山川静夫さんも、話に必要なのはテクニックではない、と語っていた。
「私もね、若いころはうまくしゃべろうとか、気の利いたことを話そうとか、必死にテクニックに走っていました。でもね、今やっと話に必要なのは、そんなことではなかった、ということに気がついたんです」
「よく会話は言葉のキャッチボールなんて言うでしょ? キャッチって日本語に訳すと、受け取る、ということですよね。だから人と話す時には勝手に投げるのではなく、相手が受け取ることができるボールを投げないとダメ。自分がカーブを投げたいとか、俺はこんな速い球も投げられるんだ、なんて、どんなに素晴らしい球を投げても、相手が受け取ってくれないと意味がない」
「分かりやすい言葉で、分かりやすく話すことが一番大切なんです。そのためには、自分の足で歩いて、自分の手で触って、自分でにおいをかいで自分の身体で体験するしかない。体験を通して知ることは、人格を磨いていくことにもつながります。世の中いろんな情報があふれていますけど、自分で体感してほしいと思います。テクニックだのアクセントだの話し方だの、関係ないんです」
(中略)
コミュニケーションに必要なものは、言葉を巧みに使うテクニックじゃない。ナレッジマネジメントの第一人者である米国のコンサルタント、ドン・コーエンも、「知識を伝える際に、理論や図、表などを駆使して立派なプレゼンテーションを行っても伝わらない。伝え手がそれを受け止める人に、何を、どうして、それを伝えたいかを、自らの経験に基づいて話すことが重要である」と常々指摘している。
(転載ここまで)
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私が、ある学生のスピーチを聴いて、「こんなスピーチを練習している時間があったら、今、自分が話していることが本当のことなのか、自分の足を使って確かめたほうがいいんじゃないかな。言葉は綺麗だけれど、心には響かないな」と思うのは、上記のようなことがあるからです。
自分自身を高めずに、また、「これを伝えたいんだ」というものが自分の中にないのに、
心に響く(例えば、この人と一緒に仕事をしたいと思ってもらえる)スピーチなどできるはずがないと思います。
ちなみに、『最高のプレゼンテーション』という本の中で、ダグ・マルーフはこう言っています。
「最高の商品とは、あなた自身です」
もちろん、それは道徳の本を読んで「立派な人間になったつもり」になることでは、ありません。
実際に知らないこと・本当に伝えたいという内的動機のないものを、受け売りの知識やうわべだけ綺麗な言葉、大げさなジェヤスチャーで表現しても、聞いている人には「日本語が上手だな」という印象しか与えないのではないか、ということです。
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日本語の発音が多少おかしくても、立派な仕事をしている人はたくさんいます。
反対に、日本語の発音がきれいでも、会社を転々として、アルバイトしかできない人もいます。
日本語教師としての私は、発音もきちんと教えられるようになりたいと思いますが、
卒業生の現状を見ると、完璧な発音やどうでもいいようなテクニックを競うスピーチコンテストに
多くの時間を費やして参加する学生には、「本当にそれでいいのですか?」と聞いてみたいです。
日本語教育はいったい誰のために・何のためにやっているのか、
それを考えながら、来学期のスピーチコンテストの準備を進めたいと思います。