天津視覚障害者日本語訓練学校 クリスマスパーティー後記
2011年12月18日(日)
1.学生たちの感想
(1)先生,这次的活动比我以前参加过的任何一次活动都要长,都要特别。首先是这种全日语的氛围给我不同与以往的说日语的感受,在这样的环境下无论是日语的表达还是语感都很容易得到锻炼和提升,让人由学日语转化为真正的用日语。这样的环境正是我们学生比较缺乏的。虽然很多内容我都还听不懂,但这样却激发了我的求知欲,也加强了我对日语的熟悉感和亲切感。
其次,盲学生们的演讲和表演也给了我很深的感动。他们用自己的笑容证明了她们的坚强和执着,他们用自己的亲身经历告诉我们不管遇上什么艰难险阻,生命一样可以精彩度过。他们向我们传递着信心和勇气,这是在什么教科书上都学不到的宝贵财富。
而且,大家的表演也很精彩,偶尔的忘词丝毫不影响大家的信心和热情,几乎是全员参与表演的情况让这个活动气氛高涨,真正让欢乐分享到了每个人心里。这才是真正的party!
还有,这次盲学生们的出席让活动上有了很多温情的细节,人与人之间的关怀让活动更加温馨了,每个人似乎无形中亲近了很多。这也是让我感动的。
总之,这次的活动很精彩,我也深深地沉浸在了那欢乐而温情的气氛中。这是一个很棒的活动。ありがとうございます。
(天津商業大学外国語学部日本語科1年 周雲竹)
(2)クリスマスパーティーの感想
12月17日の午後、川端先生のおかげで、私はほかの学生と一緒に 天津視覚障害者日本語訓練学校のパーテイーに参加しました。これから、私
の感想をお話しします。
今回の活動は私にとって、感動した経験でした。彼らは目が見えないのに、やりたい事は諦めません。弁論で、ある日本学生は「できないことはない」と言いました。彼らにとって、本当にできないことはないです。でも。私は普通の人なのに、何か難しいことがあれば、諦めたいです。また、青木先生と彼女の学生さんたちはずっと笑顔をしています。皆はこの世界に感謝の気持ちを持って、いつでも元気です。でも、私は時々生活に不満を抱いています。こんなに彼らを見て、恥ずかしく思っています。それから、私は反省しなければなりません。そして、彼らの勇気と強い意志を勉強したいと思います。
ここで、私は青木先生と学生さんたちに『ありがとうございます』の感謝の気持ちを伝えたいと思います。私にとって、今回のクリスマスパーテイーはただパーテイーだけでなく、人生の中の重要な授業なのです。
これから、この分野の活動が多くなったほうがいいと思います。このような活動を通して、私たちは助け合うことができます。何かお手伝いできることがあれば、ぜひおっしゃってください。
以上は私の感想です。青木先生と学校の皆様、まことにありがとうございました。
(天津商業大学外国語日本語科2年 麻麗平)
(3)
「目が見えなければ、なんと怖いじゃないか」
「世界は真っ暗になって、会いたい人も見えなくて、普通のこともできな
くて、きっと悲しみに沈んでいて死にたい気持ちあるでしょう」
私は、昔から、いつもそう思いました。
だから、皆と初めて会ったとき、「もしバカなことを言って、また心の傷をさせたら、どうしよう」と心配して、ずっと黙っていました。
しかし、皆は想像より明るくて親切です。夢とか日本語の勉強とか、いろいろなことを教えてくれました。まずしく無邪気な笑顔は一生でも忘れません。
弁論を聞いた後、彼女たち三人の姿が私の頭にこびりついて離れません。どんなに難しくても、必死に見えない壁を乗り越え、宝石のような命を大切にして感謝する気持ちを抱え、勇気を持ってちゃんと自分の欠点を直面し、これらの話はそんな簡単に言うのはありません。ここにやってきて、どのような勇気と涙が必要か、想像できません。
目が悪いけど、いろいろなことに興味を持って自分ができることを探して、一生懸命頑張るので、皆は普通の人との差があまり大きくないです。心もずっと普通の人より強いと思います。
この日、私はとても感心して、涙が何度も抑えました。命とか強さとか勇気とかいうものがどんなものか分かった気がしました。自分がどうしてほしいか、どんな人生がほしいか、もっと考えなければなりません。
青木先生に、「本当にありがとう」と言いたいです。
(天津財経大学外国語学院日本語科2年 李堅心)
2.川端の感想
「元気をありがとうございました!」
12月18日の午後2時、クリスマスパーティー(またの名を青木劇場と称するとのことです)に、5人の大学生とともに、参加させていただきました。期末試験で頭がいっぱいの時期に青木先生と出会った学生たちの感想は、それぞれの報告を読んでいただくとして、ここでは私自身の感想を書かせていただきます。
まず、日本から来た三人の高校生の気持ちのよさに、「来てよかった」と何度も思いました。やっぱり若い人はいいですね。私も含めて大人の笑顔はどこかにいやらしい計算があるような気がするのですが、この日に出会った3人の高校生の笑顔は本当に素敵で、会食が終わるまで、ずっと3人を見ていました。(一応言っておきますが、青木先生、私はロリコンではないですよ)
私が「気持ちよかった」と感じた理由を説明します。
大学で日本語を教えていると、「先生、面接の対策について教えてください。」という依頼がときどき来ます。そのほとんどが、日本語での応答の仕方をチェックしてほしいというものですが、実は、面接官たちが見ているのは、「何を話すか」ではなく、「どう話すか」という態度なのではないでしょうか。
実際、「日本語は上手だけれど、一緒に仕事はしたくない」という理由で就職できない人はたくさんいます。逆に、「日本語は完璧ではないけれど、それは一緒に仕事をしていく中で上達する。ぜひ、この人と一緒に仕事をしてみたい」と言われ、社会に出て行く人もいます。
このような環境で仕事をしている私にとって、今回の3人の高校生の「態度」は本当に気持ちがよかった、ということです。
では、両者の違いは、「道徳の有無」にあるのでしょうか。
私は違うと思います。私は、社会の人たちが「一緒に仕事をしたい」と思うのは、古臭い道徳的な意味での「品行方正な人」ではないと思います。
それは、今回の高校生のように、スピーチもすればAKB48の歌も歌う、あるいは、青木先生のようにお酒も飲むしコスプレショーもする、しかし、同時に、外国の視覚障害者のための日本語学校をつくり、運営を続けていくという「意志」があるかどうかの問題だと、最近の私は思っています。
三人の高校生は、日本から北京を経て天津に到着、つながっている4つの折鶴を折り、中国語での挨拶を用意した上で5分以上のスピーチをし、クリスマスパーティーでAKB48の曲をダンスつきで披露し、さらにもう一曲歌い、そして中国人ボランティアのウクレレに合わせて飛び入りで歌い、その後の食事会でも笑顔をキープし、プレゼントの抽選会の間も、私の両脇にずっと立っていてくれました。本人たちはどう思っていたのか分かりませんが、その一つ一つのことに臨む態度・姿勢が、私にはとても気持ちよく感じられました。
もう少し別の表現をすると、少なくともこの日の3人からは、「ネガティブな言葉」は連想されませんでした。これは、青木先生とお会いしているときも同じです。
私自身、現状を否定する言葉で頭がいっぱいになってしまうときが少なくありません。そして、ほとんどの場合、頭の中の言葉通りのことが実現されていき、「ほら、思ったとおりだった」ということを重ねてきました。
その私が、この3人を見ている間は、ネガティブな言葉はほとんど浮かばず、まるで心の森林浴をさせてもらったような気がしました。(ちょっと言いすぎですか?でも、パーティーが進むにつれ、自分が元気になっていくのが分かりました)
自己紹介に備えて、中国語も練習してきた3人の高校生たちが、青木先生もおっしゃっていたような「語学・相手の国の文化の理解・高度な技能」という外国人労働者の条件を備え、日本も含めたこの地球のどこかで幸せな人生を歩んでいくことを信じています。
さて、その自己紹介のとき、青木先生はすべての人の名前のリストを用意していました。そして、一人ひとりの名前を読み上げ、自己紹介をしてもらい、一人ひとりに違う質問をぶつけました。(これは、事前に準備をしていないとできないことです)
話題は幅広く、流行語(「下課=リストラ」「剰女=ハイミス、ただし、経済力+美貌+高学歴の三点を備えている女性、北京に多いそうです(いいな…)」「黄昏婚=老いらくの恋?」「週末夫婦(これは、中国語を聞き取れませんでした)」「裸婚・半裸婚=手ぶらで結婚すること(愛があれば、ですね)」「空中教室=インターネットで授業を行う仮想教室」から、収入についている色(黒・灰・白…意味は、ご想像にお任せします)、最近公開の映画(『感染列島』)、健康にいい食品(緑色食品と黒色食品)、中国人に人気のある日本の観光地(北海道―映画『狙った恋の落とし方』の影響)に及びました。
会場には天津外国語大学という天津の日本語教育のトップを走る大学の学生も来ていましたが、話題の豊富さと展開のスピードに驚いていました。
わずか20分ぐらいのことでこれだけのことを話題にできるのですから、大学生活4年間を有効に使えば、自分の進む道を歩んでいける基礎の力をつけることは絶対にできるはずだと、私も思います。
青木先生との交流を通じて、大学日本語科の学生たちの心の目が自然に開かれていくことを、これからも期待しています。
さて、そうこうしているうちに、日本から来た高校生たちのスピーチが始まりました。
トップバッターは、4つのつながった鶴を折ってくれた米原聖美さんです。
スピーチの前に髪を整えている様子を見て、私は「とてもいいなー」と思いました。私自身も、授業で教室に入る前は、身だしなみを整えます。これは、人前で話をする人の最低限のマナーであり、それが自然にできるということは、普段から気をつけているということの証明ですよね。
そして、「私は、自分の目が見えないことに対して、消極的な見方しかしていませんでした。」という最初の一言を聞いて、私は、「あ、これはいいスピーチになる」と思いました。といいますのも、この一言に、これから話す内容と結論がすべて含まれているからです。そして、スピーチの最初の一言でこれを言えるということは、結論を明確にした上で話をしている、無駄な話はしないということです。
コミュニケーションの手法には本当にたくさんの種類があるようですが、そのひとつに、「結論を先に提示する」という方法があります。もちろん、時には結論を最後までとっておくことが、相手の興味をひきつけることに繋がる場合もあるのでしょうけれど、通訳も入れると10分近い時間を、一人ではなし続ける場合には、結論あるいは結論の方向を最初に明らかにしておいたほうが、聞いている人にとっては理解しやすいのではないでしょうか。
そういう意味で、米原さんのスピーチは、単に内容がよいというだけでなく、聞いている人のことも考えた構成になっていた点が、私はとてもすばらしいと思いました。
内容については、特に「自分の苦手なことやできないこと、あきらめていたことを紙に書き出し、短期間でクリアできるものと長期間でクリアできるものに分け、早速計画を立てて取り組みました」という部分が印象に残っています。といいますのも、夢を語る人はたくさんいますが、「苦手・できない・あきらめたこと」を実際に紙に書き出し、分類し、ひとつずつ取り組んでいく人は、本当に少ないからです。(私の実践は、今、ここでは特にご紹介する必要はないかと思いますが、方向性としては米原さんと同じです)
このように、自分にできる小さいことを積み重ねていく米原さんが、何年か後に今とはぜんぜん違うことができるようになっていたとしても、私は驚かないと思います。
次は、第2位の高瀬真衣さんです。高瀬さんのスピーチも、いきなり、「私は小学校に上がる前に○○と診断されました」というクライマックスから始まりました。これも、聞き手が何を聞きたいのかということにきちんと応えているいい出だしだと思います。
といいますのも、聞き手が聞きたいのは、「その後、どのような人生をどんな気持ちで歩んでいるのか」ということであり、関心は診断名そのものにあるわけではないと、私は思うからです。
それは、もうひとつのクライマックスである、「母は、盲学校か一般校か迷ったすえに、私を一般校に入学させました。」という部分も同じです。
その診断をされたときの高瀬さんや周囲の人の気持ち、お母さんが迷った時間や心の動きなど、きちんと説明しようとしたら、それだけで何十分もかかるはずなのですが、2つともたった一言で終わらせ、次の話に移っていきました。もしかしたら、それはスピーチのテクニックというより、高瀬さんとお母さんのお二人が、すでにこの部分をある程度は乗り越えてきたということの証明なのかもしれませんが、いずれにせよ、聞いている人にとっては、気持ちを動かされるスピーチの構成だったと思います。
内容については、「できないことを追いかけるのではなく、できることを探していこう」「支えてくれた人に感謝して、生きていこう」という2つの部分が印象に残っています。
できないことをしようとして、今の自分にできることをおろそかにしている人はたくさんいます。また、自分が何かを成し遂げたときに、それを支えてくれた人のことを忘れ、孤立していく人も少なくありません。私自身、この2点を改めて、自分に言い聞かせようと思いました。
3人目は、優勝した中麻さんです。中さんのスピーチを聞いて、私は、自分が「色」を見ることができる幸せを思い出しました。そして、同じように、小学生のときに亡くなったクラスメートのことを思い出しました。
タバタ君というその友達は、毎週月曜日になると、「おなかが痛い」と言って、学校を休んでいました。私を含めた周囲の人たちは、「あれは仮病だ」と言って、まともに取り合わず、タバタ君はだんだん友達が少なくなっていきました。それが、どのくらい続いたのか、今ではもう覚えていませんが、ある日突然、「タバタ君は入院しました」と先生に告げられ、彼は私たちの前から姿を消しました。それでも、私たちは「すぐに帰ってくる」と思っていたのですが、「オーストリアコーゲンビョウ(たぶん、オーストリア膠原病)」というまったく理解できない病名を知らされ、1年ほど入院した挙句、タバタ君は亡くなりました。勉強もスポーツもできる優等生だった私は、彼のお葬式で弔辞を読みましたが、読んでいる最中に(仮病だと言っていたくせに…。お前は本当にうそつきだな…)となん度も思いました。そして、泣いているお母さんを見て、私は何も言えませんでした。
中さんが言っていたように、死んだら終わりです。そして、人は必ず死にます。「悔いのない人生を笑顔いっぱい、明るく、強く生き」ていってほしいと、心の底から思います。ぜひ、同じような悩みを抱えている人が、「明るく、強く生きていける考え方・トレーニング方法」を編み出してほしいと、このスピーチを聞きながら思いました。
今、中国では「性欲・食欲・金銭欲・出世欲」で頭に血が上っている人が大勢います。それは、「MSN中国」という有名なニュースサイトを見ればすぐに分かります。(はっきり言ってみる価値はないと私は思います)
それらの欲は私にもあります。お金は私も欲しいですし、おいしいものも食べたいです。きれいな女性も好きです。でも、それだけでニュースが埋まってしまう社会、頭に血が上ってしまうというのは、ちょっと違うような気がします。2500年前に孔子が言っていたように、「自分も周囲も幸せな成功者」を、三人のスピーチを聞いた大学生には目指して欲しいと望んでいます。
さて、次はクリスマスパーティーです。
他の神様を認めないというだめなところがあるキリスト教ですが、クリスマスというのは楽しくて、小さいときから好きでした。
そして、青木劇場のクリスマスパーティーも、やはり、楽しくて、(ちょっと誤解を招きそうな表現ですが)、神様が喜んでくれるパーティーだと思いました。(この場合の神様は、キリスト教もそのほかの宗教の神様も、自分にとって大切な人も、すべて含みます)
つらいこと・悲しいことを歌や踊りで洗い流し、再び歩き始める、という日本人の心性にもぴったりのイベントではないでしょうか。
と、ここまで書いて思ったのですが、もしかしたら、青木先生がいったん退場し、再び登場するというシーンは、天岩戸に隠れた天照大神が、外のにぎやかさにつられて再び顔を出す、ということにつながるのかもしれません。
青木先生には、ぜひ、無理のない範囲で、これからも世の中を照らしていってほしいと思います。
閑話休題
毎日新聞社のお二人、そして3人の高校生によるAKB48の歌から、パーティーが始まりました。ちょっと残念だったのは、オーディエンスの掛け声を練習しておかなかったことです。モー娘。もそうですが、観客が曲に合わせて声をかけるあの雰囲気は、私も好きなのです。
そして、「手で触る博物館」の再現。これは、私が連れて行った5人の大学生が挑戦しました。テーマは、食べる(ちょっと心配)、さわる(こわい?)、におい(私が好きなものでした)・聞く(分かったらすごい)で、五感をフルに使うプログラムでした。
その後、ボランティアの宋さんと郭先生によるモンゴル語講座、どじょうを5秒間つかむ「野田(首相)をつかまえろ」、ウクレレの伴奏による「風になる」、劉ヘイさんによる「生簀の魚たちへのインタビュー」と進んでいきました。毎日のように集まっているわけでもないのに、これだけのプログラムが準備できるというのは、やはりここまで長い時間を一緒に歩んできた「青木梁山泊」ならではのパフォーマンスだと思いました。
そして、いよいよ、天照大神、じゃなかった、青木先生の「人類再生」です。先生がおっしゃったように、東日本大震災を経た日本人を初め、生き方や存在のあり方そのものを問いなおさないと、この地球上で生き残れないという状態を、人類は迎えているのかもしれません。人類はどのように再生したらいいのか、青木先生はウルトラマンのコスプレでその方向性を示してくださいましたが、それは、これからは国や地域どうしが争うのではなく、地球や宇宙単位で考えていかないといけない、と言うことなのかもしれません。
人間と地底人の間で悩んだウルトラセブンのように、青木先生も、人間のあり方について何か考えていることあるのかもしれませんから、それをぜひ、大学日本語科の学生にも伝えてほしいと思います。
パーティの後の食事会では、サンタクロースのコスプレをさせていただき、本当にいい経験をすることができました。正直なところ、あのようなパフォーマンスは苦手なのですが、「ここにいる人に幸せを分けられる人になろう」と自分に言い聞かせながら、プレゼントを配りました。その気持ちが少しでも届いていたらいいなと思います。
と、これで終わってもいいのですが、やっぱり最後に書きたいのは、李校長先生の歌とハーモニカです。
李先生は体調を崩されているとお聞きしておりましたが、その声の力強さと明るさには、こちらが元気をもらってしまいました。
今、私は、李先生・青木先生・3人の高校生を初めとするみなさんにいただいた元気を、教室の中と外で学生たちに分け始めています。「私の声は、学生を元気にする声だろうか」と自答しながら、授業をしています。
ひとつの学校が本当に元気になるには、まだまだ長い道のりが必要だと思いますが、それをずっと前から実現している青木先生たち・日本の高校生たちに負けないよう頑張ります。
すごくたくさんの「元気」をありがとうございました。
天津財経大学日本語科
天津日本語学習サークル「ドーナツ」顧問
川端敦志
2011年12月18日(日)
1.学生たちの感想
(1)先生,这次的活动比我以前参加过的任何一次活动都要长,都要特别。首先是这种全日语的氛围给我不同与以往的说日语的感受,在这样的环境下无论是日语的表达还是语感都很容易得到锻炼和提升,让人由学日语转化为真正的用日语。这样的环境正是我们学生比较缺乏的。虽然很多内容我都还听不懂,但这样却激发了我的求知欲,也加强了我对日语的熟悉感和亲切感。
其次,盲学生们的演讲和表演也给了我很深的感动。他们用自己的笑容证明了她们的坚强和执着,他们用自己的亲身经历告诉我们不管遇上什么艰难险阻,生命一样可以精彩度过。他们向我们传递着信心和勇气,这是在什么教科书上都学不到的宝贵财富。
而且,大家的表演也很精彩,偶尔的忘词丝毫不影响大家的信心和热情,几乎是全员参与表演的情况让这个活动气氛高涨,真正让欢乐分享到了每个人心里。这才是真正的party!
还有,这次盲学生们的出席让活动上有了很多温情的细节,人与人之间的关怀让活动更加温馨了,每个人似乎无形中亲近了很多。这也是让我感动的。
总之,这次的活动很精彩,我也深深地沉浸在了那欢乐而温情的气氛中。这是一个很棒的活动。ありがとうございます。
(天津商業大学外国語学部日本語科1年 周雲竹)
(2)クリスマスパーティーの感想
12月17日の午後、川端先生のおかげで、私はほかの学生と一緒に 天津視覚障害者日本語訓練学校のパーテイーに参加しました。これから、私
の感想をお話しします。
今回の活動は私にとって、感動した経験でした。彼らは目が見えないのに、やりたい事は諦めません。弁論で、ある日本学生は「できないことはない」と言いました。彼らにとって、本当にできないことはないです。でも。私は普通の人なのに、何か難しいことがあれば、諦めたいです。また、青木先生と彼女の学生さんたちはずっと笑顔をしています。皆はこの世界に感謝の気持ちを持って、いつでも元気です。でも、私は時々生活に不満を抱いています。こんなに彼らを見て、恥ずかしく思っています。それから、私は反省しなければなりません。そして、彼らの勇気と強い意志を勉強したいと思います。
ここで、私は青木先生と学生さんたちに『ありがとうございます』の感謝の気持ちを伝えたいと思います。私にとって、今回のクリスマスパーテイーはただパーテイーだけでなく、人生の中の重要な授業なのです。
これから、この分野の活動が多くなったほうがいいと思います。このような活動を通して、私たちは助け合うことができます。何かお手伝いできることがあれば、ぜひおっしゃってください。
以上は私の感想です。青木先生と学校の皆様、まことにありがとうございました。
(天津商業大学外国語日本語科2年 麻麗平)
(3)
「目が見えなければ、なんと怖いじゃないか」
「世界は真っ暗になって、会いたい人も見えなくて、普通のこともできな
くて、きっと悲しみに沈んでいて死にたい気持ちあるでしょう」
私は、昔から、いつもそう思いました。
だから、皆と初めて会ったとき、「もしバカなことを言って、また心の傷をさせたら、どうしよう」と心配して、ずっと黙っていました。
しかし、皆は想像より明るくて親切です。夢とか日本語の勉強とか、いろいろなことを教えてくれました。まずしく無邪気な笑顔は一生でも忘れません。
弁論を聞いた後、彼女たち三人の姿が私の頭にこびりついて離れません。どんなに難しくても、必死に見えない壁を乗り越え、宝石のような命を大切にして感謝する気持ちを抱え、勇気を持ってちゃんと自分の欠点を直面し、これらの話はそんな簡単に言うのはありません。ここにやってきて、どのような勇気と涙が必要か、想像できません。
目が悪いけど、いろいろなことに興味を持って自分ができることを探して、一生懸命頑張るので、皆は普通の人との差があまり大きくないです。心もずっと普通の人より強いと思います。
この日、私はとても感心して、涙が何度も抑えました。命とか強さとか勇気とかいうものがどんなものか分かった気がしました。自分がどうしてほしいか、どんな人生がほしいか、もっと考えなければなりません。
青木先生に、「本当にありがとう」と言いたいです。
(天津財経大学外国語学院日本語科2年 李堅心)
2.川端の感想
「元気をありがとうございました!」
12月18日の午後2時、クリスマスパーティー(またの名を青木劇場と称するとのことです)に、5人の大学生とともに、参加させていただきました。期末試験で頭がいっぱいの時期に青木先生と出会った学生たちの感想は、それぞれの報告を読んでいただくとして、ここでは私自身の感想を書かせていただきます。
まず、日本から来た三人の高校生の気持ちのよさに、「来てよかった」と何度も思いました。やっぱり若い人はいいですね。私も含めて大人の笑顔はどこかにいやらしい計算があるような気がするのですが、この日に出会った3人の高校生の笑顔は本当に素敵で、会食が終わるまで、ずっと3人を見ていました。(一応言っておきますが、青木先生、私はロリコンではないですよ)
私が「気持ちよかった」と感じた理由を説明します。
大学で日本語を教えていると、「先生、面接の対策について教えてください。」という依頼がときどき来ます。そのほとんどが、日本語での応答の仕方をチェックしてほしいというものですが、実は、面接官たちが見ているのは、「何を話すか」ではなく、「どう話すか」という態度なのではないでしょうか。
実際、「日本語は上手だけれど、一緒に仕事はしたくない」という理由で就職できない人はたくさんいます。逆に、「日本語は完璧ではないけれど、それは一緒に仕事をしていく中で上達する。ぜひ、この人と一緒に仕事をしてみたい」と言われ、社会に出て行く人もいます。
このような環境で仕事をしている私にとって、今回の3人の高校生の「態度」は本当に気持ちがよかった、ということです。
では、両者の違いは、「道徳の有無」にあるのでしょうか。
私は違うと思います。私は、社会の人たちが「一緒に仕事をしたい」と思うのは、古臭い道徳的な意味での「品行方正な人」ではないと思います。
それは、今回の高校生のように、スピーチもすればAKB48の歌も歌う、あるいは、青木先生のようにお酒も飲むしコスプレショーもする、しかし、同時に、外国の視覚障害者のための日本語学校をつくり、運営を続けていくという「意志」があるかどうかの問題だと、最近の私は思っています。
三人の高校生は、日本から北京を経て天津に到着、つながっている4つの折鶴を折り、中国語での挨拶を用意した上で5分以上のスピーチをし、クリスマスパーティーでAKB48の曲をダンスつきで披露し、さらにもう一曲歌い、そして中国人ボランティアのウクレレに合わせて飛び入りで歌い、その後の食事会でも笑顔をキープし、プレゼントの抽選会の間も、私の両脇にずっと立っていてくれました。本人たちはどう思っていたのか分かりませんが、その一つ一つのことに臨む態度・姿勢が、私にはとても気持ちよく感じられました。
もう少し別の表現をすると、少なくともこの日の3人からは、「ネガティブな言葉」は連想されませんでした。これは、青木先生とお会いしているときも同じです。
私自身、現状を否定する言葉で頭がいっぱいになってしまうときが少なくありません。そして、ほとんどの場合、頭の中の言葉通りのことが実現されていき、「ほら、思ったとおりだった」ということを重ねてきました。
その私が、この3人を見ている間は、ネガティブな言葉はほとんど浮かばず、まるで心の森林浴をさせてもらったような気がしました。(ちょっと言いすぎですか?でも、パーティーが進むにつれ、自分が元気になっていくのが分かりました)
自己紹介に備えて、中国語も練習してきた3人の高校生たちが、青木先生もおっしゃっていたような「語学・相手の国の文化の理解・高度な技能」という外国人労働者の条件を備え、日本も含めたこの地球のどこかで幸せな人生を歩んでいくことを信じています。
さて、その自己紹介のとき、青木先生はすべての人の名前のリストを用意していました。そして、一人ひとりの名前を読み上げ、自己紹介をしてもらい、一人ひとりに違う質問をぶつけました。(これは、事前に準備をしていないとできないことです)
話題は幅広く、流行語(「下課=リストラ」「剰女=ハイミス、ただし、経済力+美貌+高学歴の三点を備えている女性、北京に多いそうです(いいな…)」「黄昏婚=老いらくの恋?」「週末夫婦(これは、中国語を聞き取れませんでした)」「裸婚・半裸婚=手ぶらで結婚すること(愛があれば、ですね)」「空中教室=インターネットで授業を行う仮想教室」から、収入についている色(黒・灰・白…意味は、ご想像にお任せします)、最近公開の映画(『感染列島』)、健康にいい食品(緑色食品と黒色食品)、中国人に人気のある日本の観光地(北海道―映画『狙った恋の落とし方』の影響)に及びました。
会場には天津外国語大学という天津の日本語教育のトップを走る大学の学生も来ていましたが、話題の豊富さと展開のスピードに驚いていました。
わずか20分ぐらいのことでこれだけのことを話題にできるのですから、大学生活4年間を有効に使えば、自分の進む道を歩んでいける基礎の力をつけることは絶対にできるはずだと、私も思います。
青木先生との交流を通じて、大学日本語科の学生たちの心の目が自然に開かれていくことを、これからも期待しています。
さて、そうこうしているうちに、日本から来た高校生たちのスピーチが始まりました。
トップバッターは、4つのつながった鶴を折ってくれた米原聖美さんです。
スピーチの前に髪を整えている様子を見て、私は「とてもいいなー」と思いました。私自身も、授業で教室に入る前は、身だしなみを整えます。これは、人前で話をする人の最低限のマナーであり、それが自然にできるということは、普段から気をつけているということの証明ですよね。
そして、「私は、自分の目が見えないことに対して、消極的な見方しかしていませんでした。」という最初の一言を聞いて、私は、「あ、これはいいスピーチになる」と思いました。といいますのも、この一言に、これから話す内容と結論がすべて含まれているからです。そして、スピーチの最初の一言でこれを言えるということは、結論を明確にした上で話をしている、無駄な話はしないということです。
コミュニケーションの手法には本当にたくさんの種類があるようですが、そのひとつに、「結論を先に提示する」という方法があります。もちろん、時には結論を最後までとっておくことが、相手の興味をひきつけることに繋がる場合もあるのでしょうけれど、通訳も入れると10分近い時間を、一人ではなし続ける場合には、結論あるいは結論の方向を最初に明らかにしておいたほうが、聞いている人にとっては理解しやすいのではないでしょうか。
そういう意味で、米原さんのスピーチは、単に内容がよいというだけでなく、聞いている人のことも考えた構成になっていた点が、私はとてもすばらしいと思いました。
内容については、特に「自分の苦手なことやできないこと、あきらめていたことを紙に書き出し、短期間でクリアできるものと長期間でクリアできるものに分け、早速計画を立てて取り組みました」という部分が印象に残っています。といいますのも、夢を語る人はたくさんいますが、「苦手・できない・あきらめたこと」を実際に紙に書き出し、分類し、ひとつずつ取り組んでいく人は、本当に少ないからです。(私の実践は、今、ここでは特にご紹介する必要はないかと思いますが、方向性としては米原さんと同じです)
このように、自分にできる小さいことを積み重ねていく米原さんが、何年か後に今とはぜんぜん違うことができるようになっていたとしても、私は驚かないと思います。
次は、第2位の高瀬真衣さんです。高瀬さんのスピーチも、いきなり、「私は小学校に上がる前に○○と診断されました」というクライマックスから始まりました。これも、聞き手が何を聞きたいのかということにきちんと応えているいい出だしだと思います。
といいますのも、聞き手が聞きたいのは、「その後、どのような人生をどんな気持ちで歩んでいるのか」ということであり、関心は診断名そのものにあるわけではないと、私は思うからです。
それは、もうひとつのクライマックスである、「母は、盲学校か一般校か迷ったすえに、私を一般校に入学させました。」という部分も同じです。
その診断をされたときの高瀬さんや周囲の人の気持ち、お母さんが迷った時間や心の動きなど、きちんと説明しようとしたら、それだけで何十分もかかるはずなのですが、2つともたった一言で終わらせ、次の話に移っていきました。もしかしたら、それはスピーチのテクニックというより、高瀬さんとお母さんのお二人が、すでにこの部分をある程度は乗り越えてきたということの証明なのかもしれませんが、いずれにせよ、聞いている人にとっては、気持ちを動かされるスピーチの構成だったと思います。
内容については、「できないことを追いかけるのではなく、できることを探していこう」「支えてくれた人に感謝して、生きていこう」という2つの部分が印象に残っています。
できないことをしようとして、今の自分にできることをおろそかにしている人はたくさんいます。また、自分が何かを成し遂げたときに、それを支えてくれた人のことを忘れ、孤立していく人も少なくありません。私自身、この2点を改めて、自分に言い聞かせようと思いました。
3人目は、優勝した中麻さんです。中さんのスピーチを聞いて、私は、自分が「色」を見ることができる幸せを思い出しました。そして、同じように、小学生のときに亡くなったクラスメートのことを思い出しました。
タバタ君というその友達は、毎週月曜日になると、「おなかが痛い」と言って、学校を休んでいました。私を含めた周囲の人たちは、「あれは仮病だ」と言って、まともに取り合わず、タバタ君はだんだん友達が少なくなっていきました。それが、どのくらい続いたのか、今ではもう覚えていませんが、ある日突然、「タバタ君は入院しました」と先生に告げられ、彼は私たちの前から姿を消しました。それでも、私たちは「すぐに帰ってくる」と思っていたのですが、「オーストリアコーゲンビョウ(たぶん、オーストリア膠原病)」というまったく理解できない病名を知らされ、1年ほど入院した挙句、タバタ君は亡くなりました。勉強もスポーツもできる優等生だった私は、彼のお葬式で弔辞を読みましたが、読んでいる最中に(仮病だと言っていたくせに…。お前は本当にうそつきだな…)となん度も思いました。そして、泣いているお母さんを見て、私は何も言えませんでした。
中さんが言っていたように、死んだら終わりです。そして、人は必ず死にます。「悔いのない人生を笑顔いっぱい、明るく、強く生き」ていってほしいと、心の底から思います。ぜひ、同じような悩みを抱えている人が、「明るく、強く生きていける考え方・トレーニング方法」を編み出してほしいと、このスピーチを聞きながら思いました。
今、中国では「性欲・食欲・金銭欲・出世欲」で頭に血が上っている人が大勢います。それは、「MSN中国」という有名なニュースサイトを見ればすぐに分かります。(はっきり言ってみる価値はないと私は思います)
それらの欲は私にもあります。お金は私も欲しいですし、おいしいものも食べたいです。きれいな女性も好きです。でも、それだけでニュースが埋まってしまう社会、頭に血が上ってしまうというのは、ちょっと違うような気がします。2500年前に孔子が言っていたように、「自分も周囲も幸せな成功者」を、三人のスピーチを聞いた大学生には目指して欲しいと望んでいます。
さて、次はクリスマスパーティーです。
他の神様を認めないというだめなところがあるキリスト教ですが、クリスマスというのは楽しくて、小さいときから好きでした。
そして、青木劇場のクリスマスパーティーも、やはり、楽しくて、(ちょっと誤解を招きそうな表現ですが)、神様が喜んでくれるパーティーだと思いました。(この場合の神様は、キリスト教もそのほかの宗教の神様も、自分にとって大切な人も、すべて含みます)
つらいこと・悲しいことを歌や踊りで洗い流し、再び歩き始める、という日本人の心性にもぴったりのイベントではないでしょうか。
と、ここまで書いて思ったのですが、もしかしたら、青木先生がいったん退場し、再び登場するというシーンは、天岩戸に隠れた天照大神が、外のにぎやかさにつられて再び顔を出す、ということにつながるのかもしれません。
青木先生には、ぜひ、無理のない範囲で、これからも世の中を照らしていってほしいと思います。
閑話休題
毎日新聞社のお二人、そして3人の高校生によるAKB48の歌から、パーティーが始まりました。ちょっと残念だったのは、オーディエンスの掛け声を練習しておかなかったことです。モー娘。もそうですが、観客が曲に合わせて声をかけるあの雰囲気は、私も好きなのです。
そして、「手で触る博物館」の再現。これは、私が連れて行った5人の大学生が挑戦しました。テーマは、食べる(ちょっと心配)、さわる(こわい?)、におい(私が好きなものでした)・聞く(分かったらすごい)で、五感をフルに使うプログラムでした。
その後、ボランティアの宋さんと郭先生によるモンゴル語講座、どじょうを5秒間つかむ「野田(首相)をつかまえろ」、ウクレレの伴奏による「風になる」、劉ヘイさんによる「生簀の魚たちへのインタビュー」と進んでいきました。毎日のように集まっているわけでもないのに、これだけのプログラムが準備できるというのは、やはりここまで長い時間を一緒に歩んできた「青木梁山泊」ならではのパフォーマンスだと思いました。
そして、いよいよ、天照大神、じゃなかった、青木先生の「人類再生」です。先生がおっしゃったように、東日本大震災を経た日本人を初め、生き方や存在のあり方そのものを問いなおさないと、この地球上で生き残れないという状態を、人類は迎えているのかもしれません。人類はどのように再生したらいいのか、青木先生はウルトラマンのコスプレでその方向性を示してくださいましたが、それは、これからは国や地域どうしが争うのではなく、地球や宇宙単位で考えていかないといけない、と言うことなのかもしれません。
人間と地底人の間で悩んだウルトラセブンのように、青木先生も、人間のあり方について何か考えていることあるのかもしれませんから、それをぜひ、大学日本語科の学生にも伝えてほしいと思います。
パーティの後の食事会では、サンタクロースのコスプレをさせていただき、本当にいい経験をすることができました。正直なところ、あのようなパフォーマンスは苦手なのですが、「ここにいる人に幸せを分けられる人になろう」と自分に言い聞かせながら、プレゼントを配りました。その気持ちが少しでも届いていたらいいなと思います。
と、これで終わってもいいのですが、やっぱり最後に書きたいのは、李校長先生の歌とハーモニカです。
李先生は体調を崩されているとお聞きしておりましたが、その声の力強さと明るさには、こちらが元気をもらってしまいました。
今、私は、李先生・青木先生・3人の高校生を初めとするみなさんにいただいた元気を、教室の中と外で学生たちに分け始めています。「私の声は、学生を元気にする声だろうか」と自答しながら、授業をしています。
ひとつの学校が本当に元気になるには、まだまだ長い道のりが必要だと思いますが、それをずっと前から実現している青木先生たち・日本の高校生たちに負けないよう頑張ります。
すごくたくさんの「元気」をありがとうございました。
天津財経大学日本語科
天津日本語学習サークル「ドーナツ」顧問
川端敦志