ここで もう一度、あの二世団十郎の「ウイロウ売り」のセリフに、ご登場願いましょう。
・・・アワヤ喉 サタナラ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ) サ歯音(シおん) ハ・マの二つは唇の軽重、開合さわやかに・・・
この文は、何も「ウイロウ売り」に初めて登場したわけではなく・・・歴代の「不完全な50音図」の頃から、必ずと言ってよいほど付記されていた「唯一の日本語発音仕分けガイド」だったのです。そして、この分類を元に、江戸の寺子屋などでは、商家の丁稚たちの“ことば”教育をやっていたことも分かっています。
数ヶ月前(3月のバックナンバーかカテゴリー50音図)に解説したとおり、この文は、現実には社会一般に認められ、唯一の指導ポイントであることは歴史が示しているのですが、こうした事実を、文科省なり多くの学者が認めるかというと、そうはいかないらしい。就中、国学者たちにとっては、文の冒頭の「アワヤ喉」ですら、賛成出来ないようです。
日本語の音は、原則として子音と母音が結合して音の拍をつくりますね。拍というのは、「ふるいけや・・・」と、指を折って、五・七・五と数える、あの拍です。例えば「タ」の音は、「子音のt」と「母音のa」の音素が結合して「タ」という一拍をつくります。そしてこの「拍」を並べたのが「50音」の表です。
ところが多くの学者や文科省にとっては、「50の拍」は、全て整然と「子音+母音」の形で並んでいなければならぬモノらしい。
では、アッチ欠け、コッチ欠けの「ヤ行」と「ワ行」はどうなのでしょう。「y」や「w」は、本当に子音なのかという疑問が起こります。「y」=「i」ではないのか、「w」は「u」とどう違うのかです。
でも、こうした現実の「日本語の音」についての、文科省は国学の影響もあるのでしょう、一般の人とはかなりかけ離れた考えを持っているようです。
賀茂馬淵ら国学者たちにとっての「50音」は、「“天地(あめつち)の神祖(かみろぎ)の教えたまいし言”であり“五十聯(いつらのこえ)”」(語意考)なのです。
「皇国の正音を外国の音を例として論じてはならぬ・・・これこそが正しい音であり、それ以外は邪音である」(本居宣長)という考えが、現在も生き続けているのでしょう。
だからこそ、「ワ行やヤ行」が「ア行」と一緒の母音なのだと言われては困るのではないか。
しかし昔の「50音図」をみますと、「ヤ行、ワ行」の無い「音図」では、「あいうえお」の行などに、こんな記号がついたものがありますね。
「いあう」「いいう」「いうう」「いえう」「いおう」(註:実際には、中の太文字は、大きく、両側の文字は小さく書かれている)
どういうことかと言いますと、アの音を直音で出すときは「ア」ですが、少し曲がって出すときがあり、曲がり方に二つの方法があるというのです。
まず、音を出す直前に「イ」音の口構えをしてから「ア」と言えば「ヤ」になるし、「ウ」の口構えから「ア」と言えば、「ワ」となるのです。してみると、まあこれは「ア行」の拗音のような扱いですね。
私は、成る程と思いましたね。だから「ヤ行のイ」だけは「イ+イ」ですし、「ワ行のウ」も「ウ+ウ」で直音と同じになる。実に素直に理解できますね。
だから「ヤ行」は「ヤユエヨ」と「イ」が抜けるし、「ワ行」は「ワヰヱヲ」と「ウ」が抜けるのだなと・・・
でもしかし、現在の学者の多くは、「ヤ行音」の/y/や、「ワ行音」の/w/は、あくまでも「半子音」という特殊な音素であるとして、母音・喉音とは認めていないのです。
「半子音」? これまた「半濁音」と同様、まったく不思議な分類ですね。どうやって実際に出せばよいのでしょう。
文科省の方、是非とも教えてくれませんかね。
歴史上「唯一の発音の仕分け・例の文言」では「アワヤ喉」と、「アもヤもワも皆、喉音である」と、明快に言い切っています。実際問題、/y/と/i/、/w/と/u/は、いずれも、日本語の軌範では同じ音素とされていますから、「ア行」の「イ拗音」と「ウ拗音」が、ヤ行とワ行になったという歴史的な経緯は理解でしますし、それにケチをつける積もりはありません。
しかし「日本語の母音はアイウエオの5つしかない」とか「ヤ行とワ行の場合は特殊な半子音を音素とする」などと、妙な屁理屈は止めたら如何かと思うのですよ。
/y/と/i/、/w/と/u/の音は、どれも喉音、即ち母音なのは明らかなことですから、ワ行とヤ行は、「母音ー母音の結びつきである」と、割り切ばいいのですがね。
それににても、音素の数の極端に少ない日本語で、/w/の「ワ行」が消失して行くのは残念至極です。
さて来月は、いよいよ難問の「ん」に迫ってみましょう。
・・・アワヤ喉 サタナラ舌(ゼツ)に カ牙(ゲ) サ歯音(シおん) ハ・マの二つは唇の軽重、開合さわやかに・・・
この文は、何も「ウイロウ売り」に初めて登場したわけではなく・・・歴代の「不完全な50音図」の頃から、必ずと言ってよいほど付記されていた「唯一の日本語発音仕分けガイド」だったのです。そして、この分類を元に、江戸の寺子屋などでは、商家の丁稚たちの“ことば”教育をやっていたことも分かっています。
数ヶ月前(3月のバックナンバーかカテゴリー50音図)に解説したとおり、この文は、現実には社会一般に認められ、唯一の指導ポイントであることは歴史が示しているのですが、こうした事実を、文科省なり多くの学者が認めるかというと、そうはいかないらしい。就中、国学者たちにとっては、文の冒頭の「アワヤ喉」ですら、賛成出来ないようです。
日本語の音は、原則として子音と母音が結合して音の拍をつくりますね。拍というのは、「ふるいけや・・・」と、指を折って、五・七・五と数える、あの拍です。例えば「タ」の音は、「子音のt」と「母音のa」の音素が結合して「タ」という一拍をつくります。そしてこの「拍」を並べたのが「50音」の表です。
ところが多くの学者や文科省にとっては、「50の拍」は、全て整然と「子音+母音」の形で並んでいなければならぬモノらしい。
では、アッチ欠け、コッチ欠けの「ヤ行」と「ワ行」はどうなのでしょう。「y」や「w」は、本当に子音なのかという疑問が起こります。「y」=「i」ではないのか、「w」は「u」とどう違うのかです。
でも、こうした現実の「日本語の音」についての、文科省は国学の影響もあるのでしょう、一般の人とはかなりかけ離れた考えを持っているようです。
賀茂馬淵ら国学者たちにとっての「50音」は、「“天地(あめつち)の神祖(かみろぎ)の教えたまいし言”であり“五十聯(いつらのこえ)”」(語意考)なのです。
「皇国の正音を外国の音を例として論じてはならぬ・・・これこそが正しい音であり、それ以外は邪音である」(本居宣長)という考えが、現在も生き続けているのでしょう。
だからこそ、「ワ行やヤ行」が「ア行」と一緒の母音なのだと言われては困るのではないか。
しかし昔の「50音図」をみますと、「ヤ行、ワ行」の無い「音図」では、「あいうえお」の行などに、こんな記号がついたものがありますね。
「いあう」「いいう」「いうう」「いえう」「いおう」(註:実際には、中の太文字は、大きく、両側の文字は小さく書かれている)
どういうことかと言いますと、アの音を直音で出すときは「ア」ですが、少し曲がって出すときがあり、曲がり方に二つの方法があるというのです。
まず、音を出す直前に「イ」音の口構えをしてから「ア」と言えば「ヤ」になるし、「ウ」の口構えから「ア」と言えば、「ワ」となるのです。してみると、まあこれは「ア行」の拗音のような扱いですね。
私は、成る程と思いましたね。だから「ヤ行のイ」だけは「イ+イ」ですし、「ワ行のウ」も「ウ+ウ」で直音と同じになる。実に素直に理解できますね。
だから「ヤ行」は「ヤユエヨ」と「イ」が抜けるし、「ワ行」は「ワヰヱヲ」と「ウ」が抜けるのだなと・・・
でもしかし、現在の学者の多くは、「ヤ行音」の/y/や、「ワ行音」の/w/は、あくまでも「半子音」という特殊な音素であるとして、母音・喉音とは認めていないのです。
「半子音」? これまた「半濁音」と同様、まったく不思議な分類ですね。どうやって実際に出せばよいのでしょう。
文科省の方、是非とも教えてくれませんかね。
歴史上「唯一の発音の仕分け・例の文言」では「アワヤ喉」と、「アもヤもワも皆、喉音である」と、明快に言い切っています。実際問題、/y/と/i/、/w/と/u/は、いずれも、日本語の軌範では同じ音素とされていますから、「ア行」の「イ拗音」と「ウ拗音」が、ヤ行とワ行になったという歴史的な経緯は理解でしますし、それにケチをつける積もりはありません。
しかし「日本語の母音はアイウエオの5つしかない」とか「ヤ行とワ行の場合は特殊な半子音を音素とする」などと、妙な屁理屈は止めたら如何かと思うのですよ。
/y/と/i/、/w/と/u/の音は、どれも喉音、即ち母音なのは明らかなことですから、ワ行とヤ行は、「母音ー母音の結びつきである」と、割り切ばいいのですがね。
それににても、音素の数の極端に少ない日本語で、/w/の「ワ行」が消失して行くのは残念至極です。
さて来月は、いよいよ難問の「ん」に迫ってみましょう。