天津ドーナツ

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「ン」と「ム」、ハミングは声音の基礎だ…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-02-08 11:34:38 | 日本語学習法
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 音としての「ン」の受け取り方は、これまで述べてきたように、実にまちまちだが、私には、別の観点がある。
 それは、ハミングの音だ。
 学生時代、コーラスを唄っていたときから、このハミングの音に複数の音を感じていた。のちにNHKのアナウンサーになって、鼻濁音を知ったとき、突然、脳裏にひらめいた。
 「ああ、ハミングの音には三つの異なる音があるのだ」と・・・
 ハミングはご存じのように口から出る息を止めて、鼻を通し、頭蓋や口腔全体を共鳴させる音だ。その息を止める位置には、三つの止め処があるのだね。
 ①は、唇を閉じ、口の先端で息を止めてハミングをする。これが{m音}ムーーーという音になる。
 ②は、唇は開き、舌の中程と口蓋で息を閉鎖すれば、それは{n}の音、即ちンーーーである。この二つがハミングの大半を占める。
 ③は、さらに口の閉鎖を、舌の奥と軟口蓋を付けて出す音で、{ŋ}となって、これが「鼻濁音」をつくる。これは連続しては出ない音だから、ハミングとは言えないかもしれない。だが、平素の会話の中では、ガ行の前にn音がくると、実際には鼻濁音となって頻繁に使われている。
 別の言い方をすれば、口を結んで鼻の裏側を響かせて出せば“m”、少し口を開き、ナ行の子音の位置でハミングすれば“n”になる。そして、連続音ではないが、もっと奥に音を呑み込めば“ŋ”になる。この三つのハミングの響きの違いを感じることは、音を作る上で大切な要素なのだ。
 私は、呼吸や声音について、基礎的な訓練を教えることが多いが、このハミングの変化を、口の先から奥へと移動させることで、フォルマント移動を実感させることが出来る。大切なトレーニングの一つなのだ。
 こうした観点から言えば、“m”と“n”は、アイウエオの母音と繋がらずに、独立した音になる日本語の基本の音でもあり、欠くことの出来ない国語の基礎になる音なのだ。
 
 ところが、国学者・賀茂真淵は言った。
「日いづる国は、五十聯(いつら)のこゑのまにまに言をなして、よろづの事をくちづから言える国・・・人の心なほかれば、事少なく、言もしたがいてすくなし。惑うことなく、忘るる時無し。故に天地のおのづからなるいつら(50)の音のみにしてたれり」と、50音以外を否定する。
 本居宣長もまた、縦5×横10の五十音だけが、日本語の音であり、これこそが正しい音で、それ以外は、全て邪音であると断じた。即ち、両者とも「n」音の否定である。
 
 これには、雨月物語を書いた文筆家・上田秋成も黙ってはいられなかった。そこで、有名な「カガイカ論争」の火蓋が切られた。
 このあたりは、先月ご紹介した樋口覚氏の文章を借りる。
 ・・・「古代に“ん”音と“む”音があったとする秋成と、“む”音しか存在せず“ん”音は“不正の音”としてきびしく指弾する宣長との、この国語史上に不滅の印を残す論争は、その論難の先鋭、激語、痛罵の応酬にもかかわらず、“ん”音の存否をめぐって、両者の音韻論の解釈の違いから国語観の違いにまで一気に届いてしまうのである・・・」
 
 私は思う。これは、言語論争というよりも、国学者と文筆家の、思想の相違である。
 ともかく、本居宣長は「皇国の正音に“ん”音はあってはならぬ音であり、邪音として、五十音からは抹殺しなければならぬという思想の持ち主であった。
 この論争は、遂に匙を投げたというか、馬鹿馬鹿しくなった秋成が、「往々笑解(おうおう、そうかい)」という一文で終わりを告げた。
 だが、終わったのは二人の論争だけであって、実は、この国学者の皇国思想は、50音図の裏側にびっしりと張り付いているように、私には思われるのだ。
 なぜ、日本の国語学者は、国語の基本である「日本語の音」について、正面から取り組もうとしないのか。教育の現場においても、言語の音は教えることもなく、日本語は空転しているというのに・・・

 次回の結論を待って、「50音図の落とし穴」の連載を一区切りとしたい。

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