天津ドーナツ

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卒業論文基礎ゼミナール 公開授業「文献レビュー」

2011-10-29 22:59:47 | 日本語学習法
本日(10月29日)、天津商業大学で行われた公開授業「文献レビュー」の感想です。



1.私の知っている限り、早稲田大学の細川先生が書かれた『考えるための日本語』、横浜国立大学留学生センターの「ミニ論文集」(指導されたK教授より直接いただきました)と比較できるレベルに達していました。

もし、同じような条件で実施されていたら…と思います。(「…」の部分は、書かなくても分かると思います)

その条件とは、

(1)日本語の環境が整っている

(2)日本語で日本の大学の授業を受けたり、生活できるレベルの学生達

(3)一流大学の特別な(正式な)プログラム

(4)指導・支援をする大学院生などの日本人がクラスの人数と同じぐらいいる

(5)同じ大学に通っている学生だけで構成されている(ただし、天津においては大学を跨る価値も無視できないと私は考えています)

といったことです。



2.いつでも、いつまでも、どこでも、クラスのみんなが同じものを同じように「丸暗記」し、同じようなテストで同じような答えを要求されるという「外国語学習」は、あんまり役に立たないと思います。

(1)脳科学の知見では、「自分が重要だと思わないこと」「楽しいと思わないこと」はできるだけ憶えないようにする、ということですので、本人がやる気にならない材料で勉強をさせるだけでは、効果が上がらないのは当たり前のような気がします。

(2)自分の頭で考える訓練をしていなかった大学生に、卒業間際になって、「どんな仕事をしたいのか」「どうしてうちの会社を選んだのか」「あなたはどう思う?」などと聞いても、それは本でしか車の運転を学ばなかった人に、いきなりタクシーの運転手をやらせるようなものだと思います。少なくとも、「日本語で」答えられるようにはならないと思います。

(3)批判と否定と非難の違いは、学生にも分かります。ただし、アプローチの仕方が適切であれば、です。と同時に、小学生を褒めるような褒め方は、大学生には必要ありません。

発表に対してコメントを求められたとき、「今日は、発表が出来ればいいということでしょうか。それとも、疑問に思うこと・曖昧だと思うことについては指摘してもいいのでしょうか」と確認しました。

指導されたO先生は「後者です」とおっしゃいましたし、また、学生達も厳しい(ある意味では当たり前の)指摘に、「すねたり」(つまり「甘えたり))することなく、きちんと答えようとしていました。

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番外編:このコースの責任者をつとめた商業大学のOさんに、「来学期以降も続けるように」と指示(命令)しました。それは、この仕事を任せても大丈夫だと判断したからですし、ここで終わらせるのはもったいないと思うからです。



ドーナツがただの遊びだと思っている人は、これからも減らないでしょうけれど、

それは遊び・チームでの責任のある仕事・仕事を創造するということを経験していない学生達(私もそうでした)には、

体を動かし、実感をすることから始めて欲しいと思うからで、最終的には、今回の公開授業のような発表会・議論ができるようになることが必要です。

これで、「体・頭」の両方を鍛えるサークルになるという可能性が出てきました。

肝心の「心」についても、「体・頭」を鍛える過程を丁寧に積み重ねていくことで鍛えられると思います。



以上のような、さまざまな意味で、今回のコースは私が見てきた日本語教育の実践の中でも、大切にしたほうが良いと思うものでした。指導された天津商業大学のO先生、本当にありがとうございました。

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