中村川にスイッチして折り返しです。
葭谷橋(よしやはし)、吉野橋、共進橋、日枝橋、睦橋、池下橋の親柱です。
池下橋の次は久良岐橋ですが昭和25年頃の地図を見ると堀割川と交差しており、堀割川はそのまま内側に伸びて行き富士見川や吉田川、新吉田川と合流していたようです。(今は埋立てれて富士見川公園、大通り公園となっています。)
池下橋側から見た中村川と堀割川の分岐地点です。
ほぼ、垂直に堀割川が分岐して行っています。
久良岐橋、道場橋の親柱と浦舟水道橋です。
浦舟水道橋のこの橋脚は以前は西の橋に架けられていたもので関東大震災で被災し、1格間縮小して翁橋に転用されていたものが、高速道路建設のため撤去された後、最古のピン結合プラッド・トラス鉄橋であることから更に1格間縮小して現在の場所に浦舟水道橋として移設。横浜市認定歴史的建築物。
東橋、(東橋公園橋)、車橋、翁橋、亀之橋。
車橋は高欄のデザインが橋の名前に合わせて車輪をモチーフにしており、橋名が覚えやすい。
西の橋は震災後、大正15年11月竣工の震災復興橋。
この橋の付近で現在のJR根岸線・首都高羽田線を流れていた派大岡川が合流していたそうです。
また、ここから河口までは中村川から堀川に名前が変わります。
西の橋、市場通り橋、前田橋、代官橋、谷戸橋と橋は元町商店街の通りに沿って続きます。
左の親橋は西の橋と谷戸橋のものです。
堀川の河口にある最後の橋は山下橋で首都高速の橋脚が海へ抜けて行きますが、陸地はここまでです。
出発地点の北仲橋から川に沿ってぐるりとまわって3時間半!
川は途切れる事なく全て橋でつながっていました。
大災害が起きた時にはどこの橋が無事か確認しないと何かあったら大変な事になると思いました。ひょっとして最悪な場合に陸の孤島になる
では
葭谷橋(よしやはし)、吉野橋、共進橋、日枝橋、睦橋、池下橋の親柱です。
池下橋の次は久良岐橋ですが昭和25年頃の地図を見ると堀割川と交差しており、堀割川はそのまま内側に伸びて行き富士見川や吉田川、新吉田川と合流していたようです。(今は埋立てれて富士見川公園、大通り公園となっています。)
池下橋側から見た中村川と堀割川の分岐地点です。
ほぼ、垂直に堀割川が分岐して行っています。
久良岐橋、道場橋の親柱と浦舟水道橋です。
浦舟水道橋のこの橋脚は以前は西の橋に架けられていたもので関東大震災で被災し、1格間縮小して翁橋に転用されていたものが、高速道路建設のため撤去された後、最古のピン結合プラッド・トラス鉄橋であることから更に1格間縮小して現在の場所に浦舟水道橋として移設。横浜市認定歴史的建築物。
東橋、(東橋公園橋)、車橋、翁橋、亀之橋。
車橋は高欄のデザインが橋の名前に合わせて車輪をモチーフにしており、橋名が覚えやすい。
西の橋は震災後、大正15年11月竣工の震災復興橋。
この橋の付近で現在のJR根岸線・首都高羽田線を流れていた派大岡川が合流していたそうです。
また、ここから河口までは中村川から堀川に名前が変わります。
西の橋、市場通り橋、前田橋、代官橋、谷戸橋と橋は元町商店街の通りに沿って続きます。
左の親橋は西の橋と谷戸橋のものです。
堀川の河口にある最後の橋は山下橋で首都高速の橋脚が海へ抜けて行きますが、陸地はここまでです。
出発地点の北仲橋から川に沿ってぐるりとまわって3時間半!
川は途切れる事なく全て橋でつながっていました。
大災害が起きた時にはどこの橋が無事か確認しないと何かあったら大変な事になると思いました。ひょっとして最悪な場合に陸の孤島になる
では