午前中の仕事が秋葉原で11時前に終了。
次の待合せは午後2時20分五反田駅。
3時間ちょっと空いている!
一旦事務所(横浜の関内)に戻っても食事をしてすぐに五反田に向かうようになるだけで時間と交通費の無駄!
取りあえず、時間をつぶさなければならないと思い、歩き出す事にしました。
パソコン関連のもので欲しいものは取りあえずないので東京駅まで歩いてみようと思い『万世橋』方面へ向けて歩き始めました。
橋の欄干の上には餌付けされているようでカモメがあまり人を恐れずにいます。
鳩よりは遠慮がちですけど・・・。


道路の案内表示板を見たら『日本橋』の文字!
日本橋は東海道の出発地点!
是非、見なくてはと力が入り始めました
日本橋と言えば老舗デパートの三越です。
ライオンも入口近くでお出迎えです。
先の方に首都高速が見えてきました。
景観上良くないと問題になっている日本橋の上を覆うようにして通る首都高速です。
橋手前の左側には『日本橋魚市場発祥の地碑』があります。







日本橋といえば、東海道五十三次
時間もある事ですので次の宿場町『品川』まで歩いてみようかという気になって来ました。
京橋です。
川はなくなっていますが、親柱があります。
手前の右には『歌舞伎発祥之地碑』や『京橋大根河岸青物市場跡』の石碑もあります。





京橋周辺を撮影していて、後ろの方のビルの上を見たら見つけた『アサヒペン』の広告塔。
ペンキ缶がクルクルと回り、面白いので撮影。


『銀座発祥の地』の石碑と『三愛ドリームセンター』。
持っているデジカメがリコーなので取りあえず撮影してみました。


昼頃になり、ラーメンを食べようとメインの通りから脇に入り、ついでに芝口御門跡の碑を撮影。


食後は更に歩きます。
ゆりかもめの線路下をくぐり、通りに沿ってひたすら進みます。
正直、新橋駅から電車に乗り品川駅で時間調整しようかと思いましたが、黙々と歩きました。
途中、『東京タワー』の案内を見掛け方向転換!
ビルの隙間から東京タワーがちらちらと見えるので方向を間違える事はないんですが、ちょっと距離がありそうです。
御成門の文字が見えたので東京タワーの下に行くのは止めにしました。
並びには『芝増上寺』徳川家菩提寺。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所があります。



芝5丁目交差点近くにあります。
港区立港勤労福祉会館の道路を挟んでJR線側のビルとビルの間の通路右手前。
『西郷南州と勝海舟会見の地碑』
高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門に建てられたのが起源。
享保9年(1724)に現在地に移された。
江戸の南の入口として道幅役10メートルの旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
旅人の総下もここで行なわれ付近に茶屋などもあり、当時は品川宿にいたる海岸の景色も良く月見の名所でもあった。


途中、食事休憩もありましたが、2時前に品川駅に到着。
ビジネスシューズでこの距離を歩くのは辛かった
今度は休日に品川から六郷まで歩こうと思います。
では。
次の待合せは午後2時20分五反田駅。
3時間ちょっと空いている!
一旦事務所(横浜の関内)に戻っても食事をしてすぐに五反田に向かうようになるだけで時間と交通費の無駄!


パソコン関連のもので欲しいものは取りあえずないので東京駅まで歩いてみようと思い『万世橋』方面へ向けて歩き始めました。
橋の欄干の上には餌付けされているようでカモメがあまり人を恐れずにいます。
鳩よりは遠慮がちですけど・・・。


道路の案内表示板を見たら『日本橋』の文字!
日本橋は東海道の出発地点!
是非、見なくてはと力が入り始めました


ライオンも入口近くでお出迎えです。

景観上良くないと問題になっている日本橋の上を覆うようにして通る首都高速です。
橋手前の左側には『日本橋魚市場発祥の地碑』があります。







日本橋といえば、東海道五十三次
時間もある事ですので次の宿場町『品川』まで歩いてみようかという気になって来ました。

京橋です。
川はなくなっていますが、親柱があります。
手前の右には『歌舞伎発祥之地碑』や『京橋大根河岸青物市場跡』の石碑もあります。





京橋周辺を撮影していて、後ろの方のビルの上を見たら見つけた『アサヒペン』の広告塔。
ペンキ缶がクルクルと回り、面白いので撮影。


『銀座発祥の地』の石碑と『三愛ドリームセンター』。
持っているデジカメがリコーなので取りあえず撮影してみました。


昼頃になり、ラーメンを食べようとメインの通りから脇に入り、ついでに芝口御門跡の碑を撮影。


食後は更に歩きます。
ゆりかもめの線路下をくぐり、通りに沿ってひたすら進みます。
正直、新橋駅から電車に乗り品川駅で時間調整しようかと思いましたが、黙々と歩きました。
途中、『東京タワー』の案内を見掛け方向転換!

御成門の文字が見えたので東京タワーの下に行くのは止めにしました。
並びには『芝増上寺』徳川家菩提寺。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所があります。



芝5丁目交差点近くにあります。
港区立港勤労福祉会館の道路を挟んでJR線側のビルとビルの間の通路右手前。
『西郷南州と勝海舟会見の地碑』
高輪大木戸は、江戸時代中期の宝永7年(1710)に芝口門に建てられたのが起源。
享保9年(1724)に現在地に移された。
江戸の南の入口として道幅役10メートルの旧東海道の両側に石垣を築き夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた。
旅人の総下もここで行なわれ付近に茶屋などもあり、当時は品川宿にいたる海岸の景色も良く月見の名所でもあった。


途中、食事休憩もありましたが、2時前に品川駅に到着。

ビジネスシューズでこの距離を歩くのは辛かった

今度は休日に品川から六郷まで歩こうと思います。

では。
