昨夜、旭区の散歩ルートを調べていてほど良い距離のルートとして『ふるさと尾根道コース』、約3.4キロ約90分というのがあったので、歩いてきました。
相鉄の鶴ヶ峰駅からバスロータリーを抜けて国道16号を渡ってまずは鶴ヶ峰浄水場へ。
浄水場の外柵に沿って緩やかな坂道を上って行くと右手にあるのが、この駕籠塚です。
敷地内の武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文によれば、
『元久二年六月二十二日畠山重忠公は岳父北條時政の策謀により冤罪を被る
北條義時大軍をもって之を迎撃せんとす。
重忠公一族百三十四士悉く死を決するの悲報秩父・菅谷の館に達す。
内室急遽北條に到らんとするも公既に戦死す 悲嘆慟哭し乗駕中殉ず
駕篭塚は永く其の霊を弔うて今日に至る』とあります。
鶴ヶ峰・二俣川合戦と吾妻鏡に書かれた合戦にまつわる史跡はこの鶴ヶ峰や二俣川に多くあり、この駕籠塚はそのひとつです。
この先を左に下り、鶴ヶ峯中学校(何故、みねが峯なのか?)前を通り、導水路の下をくぐってすぐ左の坂道を上って行くと変形四叉路があり、ふるさと尾根道緑道へ。
今回のメインルートふるさと尾根道緑道は旭区の背骨に当たる稜線にそって、導水路敷きを中心に整備された全長約1.6キロメートルの緑道で平成12年度に国の「都市景観大賞」を受賞しているそうです。
まだ、季節は早かったのですが春には美しい桜並木が楽しめます。
また、入ってすぐの左手下には、すり鉢状の緑地を利用した今宿東公園があり、トイレ休憩ポイントです。
尾根道を10分程歩いたところで(上白根1丁目バス停付近)、道路を横切り(横断歩道なし!)案内標識に従って進むと高台に広場があり保土ヶ谷方面を臨む事ができます。(右画像)
左手に導水路を見ながら市営今宿ハイツ内の公園?を歩き。ふたたび車通りに出たところで、このまま『ふるさと尾根道緑道』を歩いてズーラシアの方へ抜けるのも面白くないと思い、右へ曲がり白根通りに出て白糸の滝を見て西谷駅をゴールとするルートへ変更。多少、行き当たりばったりが散歩の楽しみ方!
白根通りを目指して歩いて行くと途中、左手に上白根稲荷社がありましたのちょっと寄り道。
祭神は宇加之御魂命・天照大神・大己貴命・日吉大神・皇産神だそうで、境内には明治の俳人内藤鳴雪の句碑があります。
また、参道の石段の途中には横浜市指定名木古木のシラカシの木があり見上げた先に空を覆い隠すように枝葉が伸びていました。
句碑に書かれた句は境内にある夫婦松を詠んだ句で『夫は夫たり婦は婦たりてぞ松凉し』
なんだか良く判りませんが、正岡子規と共に俳句雑誌ホトトギスの選者にもなっている人の句なので、それなりに判る人が聞けば良い句なのでしょう。
白根通りに出て、20分程で鶴ヶ峰方面に向かって右手コンビニ脇の駐車場と右手から下って白根通りに交差する道の間に標柱を発見!
鬢手洗池跡と書かれており、説明によると『源頼朝が文治5年奥州征伐の時、源義家の勝利を思い白根不動に祈願に立ち寄った時、この地で鬢をなでつけたと伝えられる。』そうです。
保土ヶ谷区の釜壇にしろ、和田町の町名の由来となった和田稲荷にしろ結構、源頼朝にまつわる話が多いですねぇ。
源頼朝といえば伊豆での挙兵と鎌倉幕府ですので、海沿い・東海道沿いを活動していた人のイメージで自分の住んでいる場所近くで史跡があるなんてちょっと不思議というか感慨深いものがあります。
代官前のバス停の先を左斜めに入る道を進み白根神社の鳥居をくぐるとすぐそこに白糸の滝があります。
白糸の滝と聞いて清流の糸を引くように流れ落ちる滝を思い浮かべると思います。
確かに幅約7メートル、落差3.2メートルで、市内ではもっとも大きな滝ではあるんですが、ハッキリ言って生活排水が流れ込むのかちょっと臭いです。
撮影時には写らないようにしましたが、自転車が捨てられています。
非常に残念ですが、イメージだけで楽しむのが良いと思われます。白糸の滝と言う事で期待して初めて行った時には遠目に見て、そのまま帰ったので滝があったというだけの記憶で今回来ましたが、撮影のため近寄ってみて幻滅!
水しぶきが掛かるのではないかとヒヤヒヤして撮影しました。(普通、ワクワクした楽しい気分で滝に近寄ると思いますけど・・・)
白糸の滝付近の白瀧龍神や白根不動尊をお参りして国道16号へ。
国道16号愛宕の信号で16号に合流しますが、合流する右手にあるのが、左画像の白根不動尊道標の不動像です。
八王子街道より白根不動尊への参道入口の道標で道しるべの不動尊は寛政9年(1797年)に建てられたそうです。
信号は渡らず西谷駅に向かって左側の歩道を歩くとすぐ左手上にあるのが右画像の白根村道橋改修碑。
『この碑は、江戸中期、八王子往還白根村地先の難路改修の由来を記したものです。
江戸の住人櫻井茂左衛門が供養のため、田地を買収し、破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったとあります。元文4年(1739年)11月に建立されたものです。
八王子往還は、芝生(現在の西区浅間町)で東海道から分岐し、町田、八王子へと通じている街道です。-横浜市教育委員会-』
道橋改修碑といえば、保土ヶ谷区にも和田村道橋改修碑や権太坂改修記念碑がありますが昔も今も大変な作業なんでしょうねぇ。
そのまま西谷へ向かって歩き、環境センターへ向かう交差点で道路を横断して帷子川分水路から帷子川に沿って歩いて行きました。
この分水路は大雨が降った時に帷子川が氾濫しないようにここから横浜国大近くを通って横浜西口の新田間川へ流れる暗渠となっています。
他にも治水事業の一環として河川改修工事(川の流れを変える工事)が行なわれていて蛇行していた部分を真っすぐにして、跡地を公園にしたりしています。
今回改めて公園を歩き改修工事以前の川の流れを思い浮かべてみましたが、公園際まで民家が現在は建っていますが、地盤は大丈夫なんでしょうか?
そんな事を考えつつ公園を抜け左右左と道を曲がりゴールの西谷駅へ。
当初のコースを変更したため歩行距離は約6.5キロ、時間にして2時間の散歩でした。
相鉄の鶴ヶ峰駅からバスロータリーを抜けて国道16号を渡ってまずは鶴ヶ峰浄水場へ。
浄水場の外柵に沿って緩やかな坂道を上って行くと右手にあるのが、この駕籠塚です。
敷地内の武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文によれば、
『元久二年六月二十二日畠山重忠公は岳父北條時政の策謀により冤罪を被る
北條義時大軍をもって之を迎撃せんとす。
重忠公一族百三十四士悉く死を決するの悲報秩父・菅谷の館に達す。
内室急遽北條に到らんとするも公既に戦死す 悲嘆慟哭し乗駕中殉ず
駕篭塚は永く其の霊を弔うて今日に至る』とあります。
鶴ヶ峰・二俣川合戦と吾妻鏡に書かれた合戦にまつわる史跡はこの鶴ヶ峰や二俣川に多くあり、この駕籠塚はそのひとつです。
この先を左に下り、鶴ヶ峯中学校(何故、みねが峯なのか?)前を通り、導水路の下をくぐってすぐ左の坂道を上って行くと変形四叉路があり、ふるさと尾根道緑道へ。
今回のメインルートふるさと尾根道緑道は旭区の背骨に当たる稜線にそって、導水路敷きを中心に整備された全長約1.6キロメートルの緑道で平成12年度に国の「都市景観大賞」を受賞しているそうです。
まだ、季節は早かったのですが春には美しい桜並木が楽しめます。
また、入ってすぐの左手下には、すり鉢状の緑地を利用した今宿東公園があり、トイレ休憩ポイントです。
尾根道を10分程歩いたところで(上白根1丁目バス停付近)、道路を横切り(横断歩道なし!)案内標識に従って進むと高台に広場があり保土ヶ谷方面を臨む事ができます。(右画像)
左手に導水路を見ながら市営今宿ハイツ内の公園?を歩き。ふたたび車通りに出たところで、このまま『ふるさと尾根道緑道』を歩いてズーラシアの方へ抜けるのも面白くないと思い、右へ曲がり白根通りに出て白糸の滝を見て西谷駅をゴールとするルートへ変更。多少、行き当たりばったりが散歩の楽しみ方!
白根通りを目指して歩いて行くと途中、左手に上白根稲荷社がありましたのちょっと寄り道。
祭神は宇加之御魂命・天照大神・大己貴命・日吉大神・皇産神だそうで、境内には明治の俳人内藤鳴雪の句碑があります。
また、参道の石段の途中には横浜市指定名木古木のシラカシの木があり見上げた先に空を覆い隠すように枝葉が伸びていました。
句碑に書かれた句は境内にある夫婦松を詠んだ句で『夫は夫たり婦は婦たりてぞ松凉し』
なんだか良く判りませんが、正岡子規と共に俳句雑誌ホトトギスの選者にもなっている人の句なので、それなりに判る人が聞けば良い句なのでしょう。
白根通りに出て、20分程で鶴ヶ峰方面に向かって右手コンビニ脇の駐車場と右手から下って白根通りに交差する道の間に標柱を発見!
鬢手洗池跡と書かれており、説明によると『源頼朝が文治5年奥州征伐の時、源義家の勝利を思い白根不動に祈願に立ち寄った時、この地で鬢をなでつけたと伝えられる。』そうです。
保土ヶ谷区の釜壇にしろ、和田町の町名の由来となった和田稲荷にしろ結構、源頼朝にまつわる話が多いですねぇ。
源頼朝といえば伊豆での挙兵と鎌倉幕府ですので、海沿い・東海道沿いを活動していた人のイメージで自分の住んでいる場所近くで史跡があるなんてちょっと不思議というか感慨深いものがあります。
代官前のバス停の先を左斜めに入る道を進み白根神社の鳥居をくぐるとすぐそこに白糸の滝があります。
白糸の滝と聞いて清流の糸を引くように流れ落ちる滝を思い浮かべると思います。
確かに幅約7メートル、落差3.2メートルで、市内ではもっとも大きな滝ではあるんですが、ハッキリ言って生活排水が流れ込むのかちょっと臭いです。
撮影時には写らないようにしましたが、自転車が捨てられています。
非常に残念ですが、イメージだけで楽しむのが良いと思われます。白糸の滝と言う事で期待して初めて行った時には遠目に見て、そのまま帰ったので滝があったというだけの記憶で今回来ましたが、撮影のため近寄ってみて幻滅!
水しぶきが掛かるのではないかとヒヤヒヤして撮影しました。(普通、ワクワクした楽しい気分で滝に近寄ると思いますけど・・・)
白糸の滝付近の白瀧龍神や白根不動尊をお参りして国道16号へ。
国道16号愛宕の信号で16号に合流しますが、合流する右手にあるのが、左画像の白根不動尊道標の不動像です。
八王子街道より白根不動尊への参道入口の道標で道しるべの不動尊は寛政9年(1797年)に建てられたそうです。
信号は渡らず西谷駅に向かって左側の歩道を歩くとすぐ左手上にあるのが右画像の白根村道橋改修碑。
『この碑は、江戸中期、八王子往還白根村地先の難路改修の由来を記したものです。
江戸の住人櫻井茂左衛門が供養のため、田地を買収し、破損した橋を改修し、往来の難儀を救ったとあります。元文4年(1739年)11月に建立されたものです。
八王子往還は、芝生(現在の西区浅間町)で東海道から分岐し、町田、八王子へと通じている街道です。-横浜市教育委員会-』
道橋改修碑といえば、保土ヶ谷区にも和田村道橋改修碑や権太坂改修記念碑がありますが昔も今も大変な作業なんでしょうねぇ。
そのまま西谷へ向かって歩き、環境センターへ向かう交差点で道路を横断して帷子川分水路から帷子川に沿って歩いて行きました。
この分水路は大雨が降った時に帷子川が氾濫しないようにここから横浜国大近くを通って横浜西口の新田間川へ流れる暗渠となっています。
他にも治水事業の一環として河川改修工事(川の流れを変える工事)が行なわれていて蛇行していた部分を真っすぐにして、跡地を公園にしたりしています。
今回改めて公園を歩き改修工事以前の川の流れを思い浮かべてみましたが、公園際まで民家が現在は建っていますが、地盤は大丈夫なんでしょうか?
そんな事を考えつつ公園を抜け左右左と道を曲がりゴールの西谷駅へ。
当初のコースを変更したため歩行距離は約6.5キロ、時間にして2時間の散歩でした。