散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

花見には少し早かったようです。

2009-03-29 21:07:57 | 日記
天気も良かったので海老名の相模川沿いの公園へ花見に行って来ました。
JR相模線の厚木駅から大通りを出て海老名方面に進んで『相模大橋東』の信号のところで相模川方面に左折。
道路の右側を歩いて二つ目の脇道を右に入りあゆみ橋へ向かう道を通り抜けて左手。
なんともユーモラスなお顔の布袋様が鎮座している安養院へ寄り道。
ここは三眼六足稲荷が祀られている稲荷社。
正式名称は稲荷山安養院。
特に何がということはないんですが、布袋様を確認したので次なる目的地あゆみ橋へ。
このあゆみ橋を渡ると厚木になり、川に沿って桜並木が広がりますが、こちら海老名側も橋の手前を上流(右)方向に進むと河原口桜並木、河畔公園と桜並木が続いています。
桜の開花具合も開花宣言は出されていますが、まだ五六分咲きでしょうか?
上の方ばかりを見て歩いていましたが、桜の蕾ばかり。
ふと、足下を見るとホトケノザとオオイヌノフグリ。(多分
草花の名前って考えてみるとかなり凄い名前のが多いですよね。
河畔公園を抜けて川から離れ住宅街へ。
圏央道の工事現場を抜けて歩いて行くと民家の間、海老名氏の霊堂の標柱がありその先を進んで行くとあります。
海老名氏は『村上源氏の流れをくむ武蔵横山党の子孫で、康平年間(1058年から1064年)、源四郎親季が相模守となってこの地に在住。そのまま在名によって海老名氏と称し、棟梁となった。孫の海老名源八季定は、武勇天下に名高く、保元物語白河殿の奮戦に、また曽我物語にもその名を伝えられている。』そうです。
霊堂からお寺が見えたので通りに戻りちょっと寄り道。
総持院。
高野山真言宗のお寺。
海老名氏の菩提寺であった宝樹寺(廃寺)と明治初年に合併した寺院。
境内には東大寺型の六角燈籠があります。
総持院を出て左へ道なりに進むと曲がり角の先に有鹿神社が見えて来ます。
由緒書きによると

『相模国の最古の神社であり、しかも、海老名の誕生と発展を物語る総産土神である。
最古の神社 はるか遠い昔、相模湾の海底の隆起により、有鹿郷を中心とする大地が出現し、やがて、そこに人々の農耕生活が始まった。その豊穣と安全を祈り、水引祭が起こり、有鹿神社はご創建されに至った。
式内社 奈良から平安初期まで、海老名耕地という大墾田を背景として、海老名に国府があり、有鹿神社は宮社であった。天智天皇三年(664)初めて神事を行ない、また、平安の延喜五年(927)延喜式の制定により相模国の13座に列せられた。美麗な社殿と広大な境内を有し、天平順宝八年(756)郷司藤原廣政の寄進により、五百町歩の墾田も神領となった。』正一位の神階、総産土神の説明が続きますが省略
有鹿神社の境内に木々は高く歴史を感じながら一休みした後、道なりに駅方面へ。
道なりに歩いて行きますが、所々古くから住む地元の人のお宅でしょうか神社かお寺かと思えるような家があり、敷地内に立派なクスノキが植わっていました。
歩いている途中、何台もの車が曲がって行く場所があり何があるか覗いてみたら『県立 相模三川公園』の駐車場。
川で公園となれば、眺望や草花に期待がもてそうなので、取りあえず寄り道。
公園内から対岸の先に広がる大山や丹沢などの山々が一望できます。
左から大山・鐘ヶ獄・塔ノ岳・三峰山・丹沢山・蛭ヶ岳・西峰・中峰・東峰・白山・辺室山・高畑山・高取山・華厳山・経ヶ岳・仏果山
公園は相模川と中津川、小鮎川の三つの川が合流する海老名市側の河川敷を利用した公園で園内には鳩川が流れ川沿いは遊歩道として整備されています。
来週辺りでしたら、桜も見頃を迎えていただろうと残念に思いましたが、遊歩道や公園内の所々の草木に花が咲いており色とりどり、形も色々な花を眺められたので、良しとしましょう。

春の草花を満喫した後は、再び最終目的地海老名駅を目指して出発。
途中、道祖神や上郷山龍昌院という曹洞宗のお寺を見つけたので撮影をしつつ、ひたすら海老名駅へ。
住宅街を抜けて通りを渡るとその先は田圃道。
海老名駅の裏手(JR相模線海老名駅側)は農地が広がっています。
右手奥の方に駅があり、駅の建物の向うにビル(ビナウォーク)が見えますが、こちら側は農村地帯。
子供達は田圃に水が張られた季節にはカエル採りやザリガニ釣りなどして遊んでいるのでしょうか?
なんとなくゆるやかな気持ちになりつつ、うっすらと汗をかいて本日の散策は終了!
桜の見頃は来週だと思いますので、ゆっくりどこに見に行くか今週検討します。
では。
コメント
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