よく考えてみると物心ついてから江の島周辺はうろついた事はありますが、江の島の中、神社や展望台に行った事がないことに気付きまして昨日から地図を見て簡単に予定を立てて朝から出発
派手です。観光地の駅らしく大変派手な造りとなっています。
竜宮城というか中国風のお屋敷と言うか朱塗りの派手な駅舎となっています。
小田急江の島線片瀬江ノ島駅に10時少し過ぎに到着し、江の島に向けて出発です。
駅のロータリーを抜け、橋を渡り観光センターに寄りしっかりと江の島イラストマップを入手。
国道の下を潜る地下通路を通り江の島弁天橋の歩道を歩いて江の島に向かいます。
まだ、この時間は道路も渋滞していないようです。
右手の遠くには富士山が見えるのですが、頂上付近に雲が被っているのと少し霞がかっていて富士山がハッキリ見えず少し残念。
橋を渡り切ると両脇には観光客相手のお店が立並び正面には青銅の鳥居。
この青銅の鳥居は市指定重要文化財で創建は延亨4年(1747)。現在のものは文政4年 (1821)に再建されました。鳥居をくぐると車一台分ほどの狭く緩やかに昇る参道が江島神社へと続きます。
江島神社は安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされ、欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされるそうです。
これから参拝する辺津宮(下の宮)・中津宮(上の宮)・奥津宮(本宮御旅所)・御窟(本宮)を併せて江島神社といいます。
参道を昇って行くと最初に見える鳥居が辺津宮で鳥居をくぐり階段を登り瑞心門を抜け右の曲がり更に階段を登ったところに福石があります。
江戸時代、幼くして失明した杉山和一という鍼医が、鍼の技術は上達できず江の島弁財天の祠へ詣でたときの帰り道に福石につまずいて倒れて気を失ってしまい、目が覚めた時、偶然に拾った竹筒に松葉が入っていたことから管の中に鍼を入れて挿す事を考えついた。その後、関東総検校にまで出世したことから福石という事なんですが、この碑のどの石につまづいたのか判りません。
階段を更に上り、手水場で手を清め辺津宮です。
辺津宮の祭神は田寸津比売命
建永元年(1206)に源実朝が鎌倉幕府の繁栄を祈って創建。現在の建物は延宝3年(1675)の再建、昭和51年(1976)に改修されたものです。
本殿正面には茅の輪があり、決められた作法通りに3回くぐり家内安全・身上安全・無病息災・無事故を祈るそうです。
辺津宮の南隣にある八角円堂の奉安殿は「裸弁財天」とも呼ばれる妙音弁財天像と八臂弁財天像を安置しています。拝観料150円を払い中に入ると琵琶を抱えた全裸の坐像(妙音弁財天像)と八臂弁財天像(県指定文化財)が並んで安置されています。中は撮影禁止なので画像はなしです。きれいな像でした。
更に南隣には八坂神社が建っています。
江島神社の境内社で祇園精舎の守護神・牛頭天王を祀る社です。毎年7月中旬に行なわれる神幸祭は神奈川の祭50選に選ばれています。
他に境内には『宗国伝来の古碑』や『沼田頼輔の歌碑』、『猿田彦大神』(庚申塔)などがあります。
中津宮。
祭神は市寸島比売命。
仁寿3年(853)に慈覚大師によって創建。元禄2年(1689)に再建、平成8年(1996)には大改修が行ました。境内には江戸歌舞伎中村座・市村座から奉納された石灯籠が並び、当時の江の島詣での盛況がうかがえます。
朱塗りが鮮やかでした。
江の島サムエル・コッキング苑
入場料+灯台昇塔料で500円。
江の島の貿易商サムエル・コッキング氏が明治15年(1882)から造成した和洋折衷の庭園跡。大正12年の震災で温室など倒壊等で失われた部分もあるが、自治体により再建され、現在の苑として保存公開されています。
苑内には南洋の植物や四季の草花が植えられていてます。また、藤沢市と姉妹都市である中国・昆明市四阿「騁碧亭」、長野県・松本市の海鼠壁が特徴の「松本館」、展望台などがあります。
苑内をグルリと廻っていて、この松本館に着いた時間は11時半。
ちょっと早めですが、蕎麦でも食べようと思い店の中に。
店内は売店をちょっと綺麗にした感じで外側の建物から受ける印象とは異なった店内の内装。
特盛りそば(2玉分)800円。
蕎麦は細めですがコシがあります。
見た目は量が少ないと思ったんですが、食後は満腹感があり満足。
締めにそば湯を頂きながら一息ついて展望灯台へ出発。
其の二へ続く。
派手です。観光地の駅らしく大変派手な造りとなっています。
竜宮城というか中国風のお屋敷と言うか朱塗りの派手な駅舎となっています。
小田急江の島線片瀬江ノ島駅に10時少し過ぎに到着し、江の島に向けて出発です。
駅のロータリーを抜け、橋を渡り観光センターに寄りしっかりと江の島イラストマップを入手。
国道の下を潜る地下通路を通り江の島弁天橋の歩道を歩いて江の島に向かいます。
まだ、この時間は道路も渋滞していないようです。
右手の遠くには富士山が見えるのですが、頂上付近に雲が被っているのと少し霞がかっていて富士山がハッキリ見えず少し残念。
橋を渡り切ると両脇には観光客相手のお店が立並び正面には青銅の鳥居。
この青銅の鳥居は市指定重要文化財で創建は延亨4年(1747)。現在のものは文政4年 (1821)に再建されました。鳥居をくぐると車一台分ほどの狭く緩やかに昇る参道が江島神社へと続きます。
江島神社は安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされ、欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされるそうです。
これから参拝する辺津宮(下の宮)・中津宮(上の宮)・奥津宮(本宮御旅所)・御窟(本宮)を併せて江島神社といいます。
参道を昇って行くと最初に見える鳥居が辺津宮で鳥居をくぐり階段を登り瑞心門を抜け右の曲がり更に階段を登ったところに福石があります。
江戸時代、幼くして失明した杉山和一という鍼医が、鍼の技術は上達できず江の島弁財天の祠へ詣でたときの帰り道に福石につまずいて倒れて気を失ってしまい、目が覚めた時、偶然に拾った竹筒に松葉が入っていたことから管の中に鍼を入れて挿す事を考えついた。その後、関東総検校にまで出世したことから福石という事なんですが、この碑のどの石につまづいたのか判りません。
階段を更に上り、手水場で手を清め辺津宮です。
辺津宮の祭神は田寸津比売命
建永元年(1206)に源実朝が鎌倉幕府の繁栄を祈って創建。現在の建物は延宝3年(1675)の再建、昭和51年(1976)に改修されたものです。
本殿正面には茅の輪があり、決められた作法通りに3回くぐり家内安全・身上安全・無病息災・無事故を祈るそうです。
辺津宮の南隣にある八角円堂の奉安殿は「裸弁財天」とも呼ばれる妙音弁財天像と八臂弁財天像を安置しています。拝観料150円を払い中に入ると琵琶を抱えた全裸の坐像(妙音弁財天像)と八臂弁財天像(県指定文化財)が並んで安置されています。中は撮影禁止なので画像はなしです。きれいな像でした。
更に南隣には八坂神社が建っています。
江島神社の境内社で祇園精舎の守護神・牛頭天王を祀る社です。毎年7月中旬に行なわれる神幸祭は神奈川の祭50選に選ばれています。
他に境内には『宗国伝来の古碑』や『沼田頼輔の歌碑』、『猿田彦大神』(庚申塔)などがあります。
中津宮。
祭神は市寸島比売命。
仁寿3年(853)に慈覚大師によって創建。元禄2年(1689)に再建、平成8年(1996)には大改修が行ました。境内には江戸歌舞伎中村座・市村座から奉納された石灯籠が並び、当時の江の島詣での盛況がうかがえます。
朱塗りが鮮やかでした。
江の島サムエル・コッキング苑
入場料+灯台昇塔料で500円。
江の島の貿易商サムエル・コッキング氏が明治15年(1882)から造成した和洋折衷の庭園跡。大正12年の震災で温室など倒壊等で失われた部分もあるが、自治体により再建され、現在の苑として保存公開されています。
苑内には南洋の植物や四季の草花が植えられていてます。また、藤沢市と姉妹都市である中国・昆明市四阿「騁碧亭」、長野県・松本市の海鼠壁が特徴の「松本館」、展望台などがあります。
苑内をグルリと廻っていて、この松本館に着いた時間は11時半。
ちょっと早めですが、蕎麦でも食べようと思い店の中に。
店内は売店をちょっと綺麗にした感じで外側の建物から受ける印象とは異なった店内の内装。
特盛りそば(2玉分)800円。
蕎麦は細めですがコシがあります。
見た目は量が少ないと思ったんですが、食後は満腹感があり満足。
締めにそば湯を頂きながら一息ついて展望灯台へ出発。
其の二へ続く。