散歩のついでに・・・

犬も歩けば棒にあたる。デジカメを常に持ち歩き、気ままに撮った写真を中心に思い思いに綴っています。

江の島ぶらり、ぶらり。 其の一

2008-02-17 23:14:26 | 散歩
よく考えてみると物心ついてから江の島周辺はうろついた事はありますが、江の島の中、神社や展望台に行った事がないことに気付きまして昨日から地図を見て簡単に予定を立てて朝から出発
派手です。観光地の駅らしく大変派手な造りとなっています。
竜宮城というか中国風のお屋敷と言うか朱塗りの派手な駅舎となっています。
小田急江の島線片瀬江ノ島駅に10時少し過ぎに到着し、江の島に向けて出発です。
駅のロータリーを抜け、橋を渡り観光センターに寄りしっかりと江の島イラストマップを入手。
国道の下を潜る地下通路を通り江の島弁天橋の歩道を歩いて江の島に向かいます。
まだ、この時間は道路も渋滞していないようです。
右手の遠くには富士山が見えるのですが、頂上付近に雲が被っているのと少し霞がかっていて富士山がハッキリ見えず少し残念。
橋を渡り切ると両脇には観光客相手のお店が立並び正面には青銅の鳥居。
この青銅の鳥居は市指定重要文化財で創建は延亨4年(1747)。現在のものは文政4年 (1821)に再建されました。鳥居をくぐると車一台分ほどの狭く緩やかに昇る参道が江島神社へと続きます。
江島神社は安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされ、欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされるそうです。
これから参拝する辺津宮(下の宮)・中津宮(上の宮)・奥津宮(本宮御旅所)・御窟(本宮)を併せて江島神社といいます。
参道を昇って行くと最初に見える鳥居が辺津宮で鳥居をくぐり階段を登り瑞心門を抜け右の曲がり更に階段を登ったところに福石があります。
江戸時代、幼くして失明した杉山和一という鍼医が、鍼の技術は上達できず江の島弁財天の祠へ詣でたときの帰り道に福石につまずいて倒れて気を失ってしまい、目が覚めた時、偶然に拾った竹筒に松葉が入っていたことから管の中に鍼を入れて挿す事を考えついた。その後、関東総検校にまで出世したことから福石という事なんですが、この碑のどの石につまづいたのか判りません。
階段を更に上り、手水場で手を清め辺津宮です。
辺津宮の祭神は田寸津比売命
建永元年(1206)に源実朝が鎌倉幕府の繁栄を祈って創建。現在の建物は延宝3年(1675)の再建、昭和51年(1976)に改修されたものです。
本殿正面には茅の輪があり、決められた作法通りに3回くぐり家内安全・身上安全・無病息災・無事故を祈るそうです。
辺津宮の南隣にある八角円堂の奉安殿は「裸弁財天」とも呼ばれる妙音弁財天像と八臂弁財天像を安置しています。拝観料150円を払い中に入ると琵琶を抱えた全裸の坐像(妙音弁財天像)と八臂弁財天像(県指定文化財)が並んで安置されています。中は撮影禁止なので画像はなしです。きれいな像でした。
更に南隣には八坂神社が建っています。
江島神社の境内社で祇園精舎の守護神・牛頭天王を祀る社です。毎年7月中旬に行なわれる神幸祭は神奈川の祭50選に選ばれています。
他に境内には『宗国伝来の古碑』や『沼田頼輔の歌碑』、『猿田彦大神』(庚申塔)などがあります。
中津宮。
祭神は市寸島比売命。
仁寿3年(853)に慈覚大師によって創建。元禄2年(1689)に再建、平成8年(1996)には大改修が行ました。境内には江戸歌舞伎中村座・市村座から奉納された石灯籠が並び、当時の江の島詣での盛況がうかがえます。
朱塗りが鮮やかでした。
江の島サムエル・コッキング苑
入場料+灯台昇塔料で500円。
江の島の貿易商サムエル・コッキング氏が明治15年(1882)から造成した和洋折衷の庭園跡。大正12年の震災で温室など倒壊等で失われた部分もあるが、自治体により再建され、現在の苑として保存公開されています。
苑内には南洋の植物や四季の草花が植えられていてます。また、藤沢市と姉妹都市である中国・昆明市四阿「騁碧亭」、長野県・松本市の海鼠壁が特徴の「松本館」、展望台などがあります。
苑内をグルリと廻っていて、この松本館に着いた時間は11時半。
ちょっと早めですが、蕎麦でも食べようと思い店の中に。
店内は売店をちょっと綺麗にした感じで外側の建物から受ける印象とは異なった店内の内装。
特盛りそば(2玉分)800円。
蕎麦は細めですがコシがあります。
見た目は量が少ないと思ったんですが、食後は満腹感があり満足。
締めにそば湯を頂きながら一息ついて展望灯台へ出発。

其の二へ続く。
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おぼろ月

2008-02-16 18:51:13 | サボテン・多肉植物
おぼろ月
学名:Graptopetalum paraguayense
科名・属名:ベンケイソウ科グラプトペタルム属

このおぼろ月を園芸種として改良したものとして『ブロンズ姫』があります。
冬場でも関東以西であれば、外に出していても大丈夫なようです。
育て方としては割と手間が掛かりません。
もう少し暖かくなったら、多肉植物を寄植えにしようと思い、現在の多肉植物とのバランスを考えて購入。
高低差、姿形のバランスを考えてどう何を植えたら良いか悩んでいます。


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こちらはサボテンの金洋丸です。
花芽がつき始めました。
イボ脇の棘座と呼ばれる綿毛状のところから黄色い花のつぼみが顔を出しています。
今月の終わりくらいには花を咲かせてくれそうです。
楽しみです。
では。
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銀座、長寿庵

2008-02-15 12:55:37 | 昼飯
昭和十年創業。
鴨せいろの元祖だそうです。
蕎麦は細いのですがコシがあるというか締まりあります。
汁はほんの少し甘く鴨から出た脂が旨味を加えています。
元祖の味、しっかりと味わいました。
事業部長にご馳走頂いたので値段は不明です。
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気になるワイン

2008-02-14 12:29:47 | どうでもいい話
柿やみかんのワイン。
どんな味?
どんな色?
仕事中でなければ買ったかもしれません。
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麺恋

2008-02-14 12:19:45 | 昼飯
愛甲石田です。今年に入って初めてです。
私一人しか客はいません。大丈夫でしょうか?
愛甲石田で昼食となるとこの店で食べる事にしているので店がなくなると困ります。
スープが薄くなったような気がします。
大丈夫でしょうか?麺恋!
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洋麺屋、五右衛門

2008-02-13 13:47:45 | 昼飯
具だくさんな欲張りミートソースセット。
麺大盛になります。
箸で食べると焼きそばを食べているような気がしてきます。
やはり器は大切です。
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栄児家庭料理

2008-02-12 12:16:18 | 昼飯
麻婆豆腐ランチ900円。
花山椒が効いていて痺れる辛さ!
注文する時に辛いの大丈夫ですか?と尋ねるくらい辛さに店は自信があるようです。
山椒の辛さがお好きな方、辛いもの好きの方にオススメ!
水餃子お代わり自由です。
栄児家庭料理 本郷店
コメント (2)
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多肉植物 熊と子猫

2008-02-11 18:07:06 | サボテン・多肉植物
二つの鉢が並んだ画像ですが、この二つの多肉の違い判りますか?
二つとも同じ色ですし、ベンケイソウ科・コチドレン属。 葉にはうぶ毛があり、葉先には赤褐色の爪があります。
知っている人はすぐ判ると思いますが、名前の札を付けていないで並べられていたら同じ物がちょっと違う程度の差です。
どこが違うかはそれぞれのアップの画像で確認して頂ければと思います。

名前はそれぞれ熊童子と子猫の爪です。
どちらが熊童子か子猫の爪かはイメージでお分かりとは思いますが、左が熊童子で右が子猫の爪です。
では。
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歴史散歩 -いずみ中央- 後半

2008-02-10 22:36:52 | 散歩
坂を下り切ると先程、橋を渡って右折した交差点の反対側に出てきました。先程と進んだ方向と反対の方向へ右折して、次の目的地である鯖神社を探して進みます。
鯖神社です。
間違いなく鯖と書かれています。環状4号線で隔てられていますが、密蔵院という真言宗のお寺の関連らしいですが、なぜ鯖なのかは不明です。源義朝の官位の左馬から左馬神社としていたのを鎌倉北条の時代に偽って鯖としたとも伝えられているそうですが他の左馬神社はなぜ変えなかったのか納得できません。
鯖神社を確認した後はもとの道のもどり四ッ谷交差点を目指して歩きます。
四ッ谷交差点の4-50メートル手前の右側に第六天神社の鳥居が見えて来ます。
鳥居脇の第六天神社・酒湧池の解説によると鎌倉幕府以前からこの地に祀られているといわれる古い神社。
祭神は『面足能命(おもたるのみこと)と惶根能命(かしこねのみこと』の二柱。
境内の隣には池があり、弁天様が祀られ、弁天池と呼ばれています。親孝行の息子がこの池の水を樽に汲んで病気の酒好きの父に飲ませたところ酒になり、それを知った村人が一儲けしようと池の水をくんだところ、ただの水になったという孝子伝説が残っています、だそうです。
階段を登り切ると小さな社がありますが酒湧池への道というか池が見当たりません。
解説に書いてあったので近くにある事は間違いないと思い社の後ろにある坂道を登ると酒湧の池という看板が出ていたので竹に覆われた狭い下りの道を降りて行き酒湧池を確認。
半径1メートル位の円形の場所の奥に小さな祠があり周りを囲むように幅1メートルくらいの池があります。(ドーナッツ型の池)
残念ながら、現在はとても飲みたいとは思えない状態となっています。
池に来た道を戻り神社裏の道をそのまま登り、四ッ谷湧き水を探しますが見つからないので、民家の点在する脇道をとおり、市営地下鉄の高架下の通路を通り和泉川の測道を上流方向に向かって歩いて行きました。
和泉高校の手前の橋を渡り、奥へと進む道を30メートルほど進むと中之宮左馬(サバ)神社があります。
この左馬神社の祭神は源満仲だそうです。源義朝の官位説はどうなったんでしょう?
謎が謎呼ぶサバ神社。
境内脇からもとの道に戻り再び和泉川を渡る橋を目指して進みます。
基本的に同じ道を戻る事なく常に歩いていない道を歩くのが私の散歩のお約束。
桜川公園を右手に見ながら和泉川に架かる石橋という橋を渡り、正面のこんもりした山が泉中央公園らしいので登って行く道を探しながら適当に道を曲がり公園へ。
公園の中を進み、一段下がったところにある池は泉小次郎親衝(平)の馬洗いの池と伝えられており横浜市地域史跡となっています。
公園のこの場所から100メートルほど歩いた場所に泉小次郎が創建した道場といわれている長福寺と築いた城の鎮守神を祭った須賀神社があります。
境内の泉小次郎親衝縁起によれば、泉小次郎親衝は信濃の国(上田市小泉)の住人にして信濃源氏の嫡流なり。
建暦三年(1213年)二代将軍源頼家の遺児千寿を擁して執権北条打倒(源家再興)を企てるも事前に発覚し追手を討ちて行方を晦ます。
小次郎と意を同じくする越後・伊勢・下総の衆330余名に及ぶ。
この衆親衝の乱が口火となり侍所別当和田義盛の乱起り北条体制に不満を持つ相模武士団が挙兵する(吾妻鏡より)だそうです。
和田稲荷(和田義盛)や二俣川鶴ヶ峰合戦(畠山重忠)、富士塚城(飯田家義)とこのお寺や池の泉小次郎の話など教科書では習った記憶のない鎌倉時代のお話が横浜には結構あるものだと感心しました。
と、感心したところで最終目的地蚕御霊神塔へ出発。
ほぼ、道なりに進んで行くと長後街道に出る手前の二股に分かれるところにある神明社の道路脇に蚕御霊神塔はあります。
蚕御霊神塔(かいこごりょうしんとう)横浜市地域有形民俗文化財
泉区和泉町3696番地に所在する本塔は、明治11年(1878年)に造立された角柱で、その規格は高さ70.5センチ、幅33センチ、厚さ31センチを測ります。
塔の背面には、慶応二年(1866年)三月に霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てことができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとともに、台石には六十余名の連名が見られる事から、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行なった事を知る貴重な資料です。と解説板には書かれています。
糸を取るために蚕の命をうばうことよりも無駄に殺してしまった事に対し蚕の慰霊をしたということでしょうか?
以上で3時間の蚕と歴史を辿る散歩は終了。
では。
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歴史散歩 -いずみ中央- 前半

2008-02-10 21:06:48 | 散歩
横浜開港当時、輸出のメインとしては生糸と絹製品。
八王子から横浜までの絹の道は有名ですが、横浜の泉区や瀬谷区でも養蚕業や製糸工場が多くあり、隆盛を誇っていました。
昨日の雪もすっかり上がり、晴れ渡った空の下のんびりとした散歩日和。
本日は当時を偲ばせる建物や歴史を訪ねての散歩です。
スタートは相鉄いずみ中央駅から旧鎌倉街道-和泉川沿いを歩いて戻ってくるコースです。
いずみ中央駅を降りたらロータリーを抜けて長後街道へ出ます。
長後街道に出たら、長後方面に左折して道なりに進み、中和田公園を左手に見ながら和泉坂下の交差点を渡り、50メートルほど歩くと左側に斜めに進む小道がありますので脇道に入って行き、けやき公園の先を左折して進んで行くと三柱神社があります。
天神社と日枝神社、神明社を合祀しているので三柱神社と呼ぶそうです。
三柱神社を過ぎ、4つ角を右折して旧鎌倉街道へ。
街道沿いには製糸業を営んでいた旧家の立派な門構えの家が残っています。
200メートルほど歩き、三叉路を右に曲がりすぐに左の脇道へ。
左に小川が流れ右手には田圃が広がる田舎道をのんびり歩くと左手に大きな長屋門の屋敷が見えて来ます。
江戸時代中期の相模を代表する俳人の美濃口春鴻池の生家だそうです。
横浜市地域有形文化財(歴史資料) 美濃口春鴻関係資料一括 23件(非公開)が残されているそうです。
道なりに歩き、再び旧鎌倉街道へ。
相鉄と市営地下鉄の高架橋の下を抜けすぐの左手に富士塚公園という小さい公園があり、奥に富士塚城跡の石碑があります。
源頼朝が石橋山合戦に敗れて安房国へ逃れる際に命を助けたことで知られる飯田家義の館がこの辺りにあったらしいです。実際は富士塚団地の中?
ひたすら旧鎌倉街道を歩いて行きます。
ところどころ宅地化が進み家や畑が広がり視界が開けて来ますが左前方に木々が茂っている丘のうようなものが見えて来ます。
琴平神社と東泉寺です。
入口(参道)は別々なのですが中ではつながっています。
この東泉寺の境内には家義の供養塔と明治32年に発掘された家義の墳墓跡とされるところから出土した五輪塔があります。
下飯田の交差点を直進し、遊水池を右手に見ながら進み、左脇道に入り和泉川に架かる鍋屋橋を渡り突き当たりを右折して2-300メートルで天王森泉館に着きます。
天王森泉館の手前には弁財天があり、ごみのポイ捨ては弁財天のご利益を得る事ができなくなるので止めましょうといったポイ捨て防止の看板が立っていました。
さすがに祟りがあるとは書けなかったと思います。

横浜市歴史的建造物(平成10年1月認定)
この建物は、1911(明治14)年ごろ和泉町内に建てられた市内に残る唯一の製糸関連施設の遺構で、かっての製糸場を移築して当地で住宅に使用されていた物を公園施設として1997(平成9)年に復元。
建物の特徴は明治期の近在農家に見られた四つ間取りを基本とした木造ニ階建てで、座敷を続きで取る新興産業資本家層の典型的な住宅形式が伺えます。
建物の奥には湧き水を利用したわさび田があり、施設入口横から坂を登ると見晴らしの丘という公園があります。
公園から左に降りて行くと下り坂の途中に庚申塚があります。
石碑に刻まれた文字は長い年月で掠れていて、わずかに泉村という文字を読み取る事ができました。
文字数の制限がありますのでちょうと全行程の半分となりましたのでここまで。
つづきは『歴史散歩 -いずみ中央- 後半』をご覧下さい。
では。
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