みんな、元気してる?元気じゃない人も、暇してるなら今日初めてブログに参加した、おやじの泣き言聞いて!
僕は、福島の原発被災者で、今は、3回目の避難先の横浜からブログ送っているのだけど、つい最近やっぱり逃げている事(避難している事)に疲れてきちゃって、全国のみんなに力もらいたくて書いているよー。
今年の3月11日に原子力発電所が爆発するかも?と町民に一斉避難指示が出てから、家にいたら本当に原発が爆発しちゃって放射能で被曝しちゃうからまずいので2日目には、逃げなくちゃ!っていうことになり、1回目はほかの町の体育館にお世話になっていたのだけれど、そこも事情があって3日で出て、新宿にいる娘(専門学校に通学中)の1ルーム7畳にかみさんと逃げ込み、3ヶ月暮らしてようやく横浜の団地に入る事が出来た。
今までの恨み辛みを書こうとも思ったのだけど、それはやめた。都会に住んでいるみんなには、被災者の話っておもしろくも何もないと思ったので、普通に書こうと思う。
普通に書いたらおやじの泣き言にならないか。それでも、やっぱり自分が経験した事などみんなに聞いてもらいたいから、これから時間のあるかぎり書いていくねー。僕ってさあ、一応横浜出身なんだけど、20年も福島にいたからめちゃくちゃ、なまっているからそこのところは、かんべんしてほしいんだけれど宜しくお願いするね。
僕はみんなに、まずありがとうって言いたい。今年の東日本大震災でたくさんの人達が、募金やボランティアしてくれて、嬉しかった。ほんとうにありがとうございました。まさか自分が、毛布に包まり体育館で生活するとは、夢にも思わなかった。
本当に青天の霹靂だったよ。(がっくし。)淡路大震災があった時、募金はしたけれどまさか、自分が同じ思いをするとは思わなかったし、信じられなかった。
都会にいるみんなには、避難所の生活は分からないかも知れないけれど、めっちゃくちゃつらいぞ!このおやじにもきつかったのだから。僕の町の駅は大津波で無くなり、マイホームを建てる前に住んでいた住宅は、跡形も無くなった。
津波だけなら、すぐに復興の道もあったのだろうけど、原発の爆発で目に見えない放射能との戦いが始まったのだ。今は水も電気も無い強制避難区域になっている僕の町、福島の富岡町で、今でも放射能の恐怖の中で戦いたった一人で暮らしている男と、同じ被災者である僕たちの暮らしぶりをこれから書いていこうと思うので、よろしく!
放射能汚染で、すぐに帰れない土地を故郷に持つ僕らの恨めしさや苦しみなどを、書いてみたい。また、たった一人で町に残った男の事を深く掘り下げて書いてみたい。彼は、日本でより海外で有名になっている男です。インターネットで富岡町の松村なおとで検索してみて下さい。世界でも有名な放送局AP通信とかBBC放送で取材された記事が出てくると思います。今日は、挨拶だけして、明日から書きますので宜しく!
僕は、福島の原発被災者で、今は、3回目の避難先の横浜からブログ送っているのだけど、つい最近やっぱり逃げている事(避難している事)に疲れてきちゃって、全国のみんなに力もらいたくて書いているよー。
今年の3月11日に原子力発電所が爆発するかも?と町民に一斉避難指示が出てから、家にいたら本当に原発が爆発しちゃって放射能で被曝しちゃうからまずいので2日目には、逃げなくちゃ!っていうことになり、1回目はほかの町の体育館にお世話になっていたのだけれど、そこも事情があって3日で出て、新宿にいる娘(専門学校に通学中)の1ルーム7畳にかみさんと逃げ込み、3ヶ月暮らしてようやく横浜の団地に入る事が出来た。
今までの恨み辛みを書こうとも思ったのだけど、それはやめた。都会に住んでいるみんなには、被災者の話っておもしろくも何もないと思ったので、普通に書こうと思う。
普通に書いたらおやじの泣き言にならないか。それでも、やっぱり自分が経験した事などみんなに聞いてもらいたいから、これから時間のあるかぎり書いていくねー。僕ってさあ、一応横浜出身なんだけど、20年も福島にいたからめちゃくちゃ、なまっているからそこのところは、かんべんしてほしいんだけれど宜しくお願いするね。
僕はみんなに、まずありがとうって言いたい。今年の東日本大震災でたくさんの人達が、募金やボランティアしてくれて、嬉しかった。ほんとうにありがとうございました。まさか自分が、毛布に包まり体育館で生活するとは、夢にも思わなかった。
本当に青天の霹靂だったよ。(がっくし。)淡路大震災があった時、募金はしたけれどまさか、自分が同じ思いをするとは思わなかったし、信じられなかった。
都会にいるみんなには、避難所の生活は分からないかも知れないけれど、めっちゃくちゃつらいぞ!このおやじにもきつかったのだから。僕の町の駅は大津波で無くなり、マイホームを建てる前に住んでいた住宅は、跡形も無くなった。
津波だけなら、すぐに復興の道もあったのだろうけど、原発の爆発で目に見えない放射能との戦いが始まったのだ。今は水も電気も無い強制避難区域になっている僕の町、福島の富岡町で、今でも放射能の恐怖の中で戦いたった一人で暮らしている男と、同じ被災者である僕たちの暮らしぶりをこれから書いていこうと思うので、よろしく!
放射能汚染で、すぐに帰れない土地を故郷に持つ僕らの恨めしさや苦しみなどを、書いてみたい。また、たった一人で町に残った男の事を深く掘り下げて書いてみたい。彼は、日本でより海外で有名になっている男です。インターネットで富岡町の松村なおとで検索してみて下さい。世界でも有名な放送局AP通信とかBBC放送で取材された記事が出てくると思います。今日は、挨拶だけして、明日から書きますので宜しく!