ときぶーの時間

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牛舎に残された牛

2011-11-18 12:03:53 | 日記
                                                 NO-4 牛の話 (前編)                                                                                       強制避難区域の富岡町で、放射能の危険にさらされながら、人間たちが置き去りにしていった動物たちの面倒を、見続けている松村直登氏。 彼は牛の話もしてくれた。

                                     
牛の話はもっと悲惨だったし、本当にひどく辛い話だった。震災後彼が、犬や猫、鳥や豚と世話をして回り出して、数週間が過ぎた頃、目に止まった牛舎があり覗いて見た時、その牛舎でつながれていた牛は殆ど餓死していた。
     
                                  
死んだ牛の目や鼻、口からは蛆が這いずり強烈な腐敗臭の中、屍骸を覆う無数のハエ。牛舎の悲惨な光景を目の当たりににした彼は、他の牛舎も見に行ったのだった。                                 
                                       
飼い主が避難する時に、餌と水を多めに給餌して行ったその牛舎の牛は、数頭だけ生き残っていたのだが、餌も食べつくし水も無くなっていた牛舎に、生き残っていた母牛と子牛の話は胸を締め付けられるものだった。       

母牛は餌が無くなって殆ど食べていないから、骨も浮き出てやせ細り、もう、ろくに乳も出ない。子牛はお腹が空いて母牛のおっぱいが欲しくて吸いに行くのだが、母牛も自分が生きるのに精一杯。                       
         
出なくなった乳房を吸われると痛いのか?それとも、乳が作れたとしても、それを吸われたら自分が弱って死んでしまうことを、本能的に知っていたのか?人間の僕には分からないことだが、おっぱいを求めてくる子牛をあの太い足で蹴り、子牛を寄せ付けない。                                    

子牛は何度も、それこそ何度もお乳が欲しくて母牛の元へ行くのだが、その度に母牛は子牛を蹴り、寄せ付けないでいた。立つのもやっと、歩くのもやっとの子牛が、ついに母牛の強烈な一撃をくらい、牛舎の床に蹴り倒されてしまう。

                                    
子牛は腹ばいになり、たった今、目の前で何があったのか?分からずにきょとんとしていた。しばらく頭をもたげていたのだが、さすがにこれでおっぱいを諦めたようで、母牛から離れておぼつかない足とりで、よろよろと歩いて牛舎の隅へ歩いて行った。
                                                     
彼が心配して子牛を見に行くと、よっぽどお腹が空いていたのだろう。牛舎の柵に牛を引く時に使う縄が垂れ下がっていて、その縄の端の部分をお乳に見立てて、ずっとしゃぶり続けていたと言う。 

                                        
赤ちゃん牛にとっては、この時どれほど苦しかったであろう。彼は、どうしてもその子牛が気にかかり、次の日見に行ったのだが子牛はついに、目と口開き倒れていて餓え死んでいたそうだ。

                                               
あまりにもひどく、本当に子牛が可哀相で残念だった。こんな事が強制避難区域では、日常茶飯事にあったのかと、この時は子牛の姿が頭から離れなかった。
                                                                                                  僕のかみさんの実家は農業を営んでいて、義父は数年前まで牛を飼っていて、実家に寄る時には僕も牛に餌をやったりして、あの大きくて可愛い目に癒された事があったものだから、この話は辛かった。                                                      

子牛はいつからお乳を飲んでいなかったのだろうか?と ふと僕の脳裏をよぎった。人間が、餓死すると言ったら、それがどれだけ苦しいものなのか?僕には理解し得ない。                                                 

食べるものが豊富にあり、病気になった時くらいしか食べられないなんていう事が無いからだ。僕は、養牛業者の人に聞いた事がある。子牛の母が何らかな事情で死んだりいなくなったりすると、他の母牛はその子牛に自分の乳を与えることは普通にあるのだと。                                                 

牛も助け合いをする動物だと聞いた事を思い出し、この牛舎には餌も他の母牛もいなかったのだから、仕方がなかったのだと。しかし、母牛が子牛を寄せ付けないでいた事を、信じられなかったのだが、ふと僕が小学生の時の担任の先生から、言われた事を思い出した。                                                     

「みなさん、人間だけおっぱいが心臓のすぐ近くにあるのです。動物は腹とか、もっと下のほうにありますよね。これは人間だけに心があるからで、心の無い動物を畜生といいます。みんなも、人間らしく動物のようになってはだめですよ。」と、そんな事を昔言われたことが甦ってきた。                                                 

人間の母親なら、自分を犠牲にしてでも子供に食べ物を与えるから、この時の母牛の事はどうしてもやはり信じられなかった。それでも今の時代、親が子供を殺したり、子供が親を殺したりする事件が多いので、これを考えると人間にも畜生と同じで心の無い人がいるよなあと思った僕がいた。。                                                        

特に子供の虐待が多いよね!これにはほんとに考えさせられる。                                                                                                                                                                            次回牛の話(後編)                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
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