夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

泣きくたびれた

2024-03-30 18:10:05 | つれづれ
泣いてくたびれて30分ほど寝てしまいました。

目が覚めたらもう夕やみ迫る時刻

ちょっと作品のスケッチしてみよう

工房の屋根の上で

イソヒヨドリが美しい声でさえずってる

青い鳥さん

青い鳥さん

私に夢を作らせてほしい

まだ頭がぼんやりしています。



東京の知り合いに

珈琲頂いた

ボリビアのヴィラ エル カルメンと

シロクマミックスというオリジナルブレンド

こんな夕刻に頂いたら眠れなくなるかしら?

眠れなくなったらスケッチ続ければいいかなあ。

イソヒヨドリの歌を聴きながら少しぼんやりしています。

それにしてもくしゃみと鼻水。

今日は黄砂がひどいのです。




おるごーる作り始めた頃

悩みに悩んだ

平凡なる才能の片鱗がない自分ではないかと悶々としながら模索してた。

周りには諦めろと笑われたものです

それでも物語作りたいとずーっとずーっと念じてた

ようやく最近になり形になってきた気がするけれど

まだまだ

まだまだ

って想っていて

そんな自分の心の底に眠ってる何かが

かき混ぜられたような気がしたから泣いたのかもしれません

こじんまりまとまるつもりはない

それとなく安定みたいな作品作るつもりもない

そこにはやっぱり妥協があるし

木の種類云々

音の伝わり方云々

そんな理屈なんてとてもとても小さい。

笑えるくらいだ。

それよりも深い何かを求めない限り

音色など奥底から響かないし

そこから生まれる物語等陳腐なものになる

それならば

才能溢れていないならば

もう一踏ん張りするべきだ

型にハマらず

ああいいですね~。とかじゃなくて

声が出なくなるような何かしらをお与えできる作家になりたい

理屈も説明も何にも要らない作品でありたい。

コンサートの時に色々説明するのも実はナンセンス。

そんなものは本当は必要ないのだ

言葉や理屈で伝わるものはそれまで。

それ以上のものは生まれはしない

それよりも

言葉も何にもないところから吹き出すようなエネルギーは

言葉が違おうが国が違おうが関係ないのである

そんなものでなければならないと

鼻水すすりながら

なきべそかきながら

想う私でありました
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ふと

2024-03-30 16:49:49 | つれづれ
予定なくなり

ふと近くの山の中の

彫金の先生が作られたアトリエに出かける。

週替わりで今展示を替えて

イベントされてますが

まずは絵を見たかった。

山を切り開かれた空間は独特で

それでも屋外のあちらこちらに

大きな彫金の作品が点在していた。

写真撮ればいいのだが

撮る気持ちにはならなかった。

ただ見てみよう

そう想ったから。



俗物の私にも

絵画というものは特別で

ずーっと子供の頃から絵を描きたくて描きたくて仕方なかった自分は

絵だけは許されなかった。

父のデッサンや油の匂いは

私にとって物心ついた頃からの当たり前のものなのだが

描くと言う行為は許されなかった。

諦めから他の造形を求めたけれど

独学で模索する世界は

なかなか想いの世界を出すということにまで至らず辛いことも多かった。

知ってる先生の絵も、海外の画家さんのもかけてあり

私はぼーっとそのアトリエの中で自分の感情を平坦にして見てた

ある絵を見た途端こみ上げてきて

我慢してたのだけど涙が落ちた。

なぜなのか

その絵が好きとかどうとかそんなものはわからない

突然涙が落ちた。

エネルギーが満ちてた。

自分の薄っぺらさが見えてちょっと嫌になった。

エネルギー放出するような

放つような世界を私は作ってるのか?と自問して

ただもう帰ろう

帰って作ろうと思った

また伺いますねと言われたけど

まだ来ないでと想った。

私もエネルギーの塊をつくりたいから。



芸術って定義なんかわからないけど

私も命を燃やしてみたいんだ

帰ってからも泣いて泣いて泣いた。

なぜ泣くのかわかんない

わかんないけど

ずいぶんと涙が出ました。

試せばいいではないか

試せば

やればいいではないか

やれば

籠もってつくりたい。

きれいなもの

定型的なものはそれとなくできても

エネルギー帯びさせるには相当な感動や情動が必要で

私はそんな情動のスイッチを入れたいと心の底から想いました。

知らない人ばっかり

誰かなんてわかんないけど

知らなくても構いやしない

その人を個人的に知ってるとか知らないとか

何のものさしにもなりはしない

世界のどこに誰がおられてどういう賞取られてどのような活動されてるとか云々

私には何にも興味がないことでした

そんなことより

その画家さんの出しておられる作品のエネルギーこそが

私には必要なものでした

理屈とか

経歴とか

美術の種別とか

何か必要だろうか?

そんなものはどうだっていいんです

涙が出るのは

そんなものじゃないし

私が見ているものはそんなのじゃないから。

生まれ変わったら絵を描きたい

死んで土になったら

そこから現れて

絵を描きたい

依頼された絵とか

喜ばれる絵とか

そんなのじゃなくて



だから泣いたんだ


私は俗物だ


俗物だからこそ

おるごーるを

昇華させたいと想ってる

まだまだヒヨッコだなあ。




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雑草の下から

2024-03-30 10:43:16 | つれづれ
昨年植え込んだ

宿根草たちは

雑草全部引き抜くと

何と下から元気に顔を出しました。

ミントやアジュガ

多年草のルピナスとか。

何とも元気で嬉しいです。

芝桜やタピアン達も花をつけはじめています

庭には新しいお友達が音楽会始めています。

リスさんたちとハリネズミさんと。




生命力強いのね。

ちょっと感動しました。

私も見習って

たとえ上を大きな雑草たちに覆いかぶされたとしても

にっこり元気に顔を出したいなあ。

そんな心でいたいなあ。

嬉しい朝でした。

しかし黄砂で

霞んでおりました。



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あたたかいこころ

2024-03-30 06:45:27 | つれづれ
午後に

福岡から友が来て

地元の友も来て

いろんなあたたかいこころに

癒され励まされ

私は新たにいろんな事を決意できました。

昨日はある事があった日で

遠いその場に想いを送ったり

いろんな事が同時にありましたけれど

それこそ自分ではどうにもできない流れは自然にあるわけですね。

その流れを受け止めて

自分が何を創ろうとしているのかを心に確認しました。

エンジンかかりました。

菜の花満開。


さて

今日も朝から
 
玄関前の庭には

小鳥たちがやってきてかしましい。

ちょっと大きな鳥がチョッチョッチョッと歌う。

キョッキョッキョッとも。

ツグミさん?

灰色っぽいヒヨドリくらいの大きさ。

カメラをカーテンの間から覗かせそっと撮ろうとしてもすぐに気づいて逃げます。

なかなか小鳥たちの姿は撮れないです。

最初はイソヒヨドリおりますからそのメスかなあと想ったけど鳴き方違いまして。

謎だ。

日当たりのいい福岡の友らのうちではもう庭のモッコウバラは蕾が出ているらしい。

1人のお友達は庭を整備してイングリッシュガーデンみたいに素敵に。

150種くらいのお花があるらしい。

すごーい。

咲いたら見に行きたいなあ。

素敵につるバラも咲くみたい。

ホントに素敵だなあ。

うちなどは狭いけど

西向きなので半日陰ですので

なかなかお花にとっては大変です。

だから何とかこの環境に合うお花を植え込んでいますが素人仕事。

失敗もある。

箒草が大失敗で

あれは日当たりのいい庭にこじんまりならいいけど

妙に成長してしまい背丈程になり後が大変になりました。

その環境環境に合う合わないを経験していかなきゃ。

反省。

子供の頃に憧れたターシャのお庭には程遠い。

まあこれもまたコツコツ。

失敗しては反省しやり直す素人仕事。

これもまた楽しいかもです。

周りの田畑に蛙たちがそろそろ目覚め出して

昨日は今年初めてカエルたちの声を聞きました

冬眠から覚めましたね。

さあ蜂たちやいろんな厄介な虫たちが出てきます。

庭の整備も本当にスピードも必要。

しかし手が出せないところも。(笑)

作品づくりが主なのでちょっと焦りそうですが

1日昼休みの10分でも、1週間で70分。

ひと月で約280分。4時間40分と言う長い時間になりますね。

時間は捻出するものだけど

義務みたいにしたら楽しくない。

何でも楽しむ、楽しむ。

音色の妖精さんたちが遊ぶ庭にしたいなあ。

自然を学び

木を使い

物語をつくる。

地味でもそれが一番。

いつかは自分も枯れていく

ヨーロッパの昔の静物画を見て

よく枯れゆく姿も描かれていますが

美しい花だけではなく

枯れゆく花の自然の美しさも描かれる。

ああ

全てを包括して

美というものはそこかしこにあるものだなあと想います。

人も若作りではなくて

そのまんまの美しさもある。

年齢経るたびに輝く内在する何かしらを

美しさと呼べるのではないかと

勝手に考えてはクスクス笑っている。

これはうちの近所の岬の現代アートに映り込んだ友らと私。


何だこれ?(笑)

おもしろーい。って作品。

さて

そんないろんな事を学びながら

自分の表現したいことを今日もコツコツ。

昨日は友らと語らいいい時間を取れましたので

さあ今日もフルで臨もう。

ありがたいです。






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