高校1年の頃、学校が嫌いだった。正確に言うと、周りの「多数派」のもつ、空気が嫌でたまらなかった。何もかも、先生のせい、親のせいにして文句ばかりいう人が多かった。学校がつまらない、と思ったとき、自分も同じだと思った。
だから、自分の世界を学校につくろうと、放課後の部活動にのめりこんだ。中学校時代に、全国を狙うような運動部にいた反動で、先生から「やるべきこと」を押し付けられるような部活動には二度とかかわりたくない、というねじれた感情もあって、高校の自由な部活動は、最高の空間だった。顧問は時々顔を出す程度だったが、やりたいことをさえぎるようなことはしなかった。
高校2年の時、学校のサボり癖がついた。担任は、あまりがみがみ言わず、ただ、大人になったら苦労するぞ、といった。その静かな言い方が、妙に響いた。
高3に覚悟を決めて、とにかく勉強した。苦しくはなかった。やりたいことのために必要なことだったし、知らないことを知ることは苦痛ではなかった。
突然友人が「学校は意味がない」と学校を去った。
交通事故で留年した友人は、高校を続けた。
いつから、高校までもが、脅迫じみた空間へ、憎しみの対象へ、なってしまったのか。学校にまつわる「悲しみ」に答えを見出せないでいる。かつて、浜田省吾が歌った叫びはいまだ響き続けているということか。
浜田省吾 「家路」(Youtube)
「A NEW STYLE WAR 浜田省吾」(Youtube)
だから、自分の世界を学校につくろうと、放課後の部活動にのめりこんだ。中学校時代に、全国を狙うような運動部にいた反動で、先生から「やるべきこと」を押し付けられるような部活動には二度とかかわりたくない、というねじれた感情もあって、高校の自由な部活動は、最高の空間だった。顧問は時々顔を出す程度だったが、やりたいことをさえぎるようなことはしなかった。
高校2年の時、学校のサボり癖がついた。担任は、あまりがみがみ言わず、ただ、大人になったら苦労するぞ、といった。その静かな言い方が、妙に響いた。
高3に覚悟を決めて、とにかく勉強した。苦しくはなかった。やりたいことのために必要なことだったし、知らないことを知ることは苦痛ではなかった。
突然友人が「学校は意味がない」と学校を去った。
交通事故で留年した友人は、高校を続けた。
いつから、高校までもが、脅迫じみた空間へ、憎しみの対象へ、なってしまったのか。学校にまつわる「悲しみ」に答えを見出せないでいる。かつて、浜田省吾が歌った叫びはいまだ響き続けているということか。
浜田省吾 「家路」(Youtube)
「A NEW STYLE WAR 浜田省吾」(Youtube)