違っているようで、共通したものをリッチー・ブラックモアは貫いているのだ、と再認識した。ディープ・パープルというバンドは、70年代ロックのシンボルとなり、80年代のハードロック界にも影響を及ぼし続けた。
Blackmore's Night は、昔、友人が、初期のディープ・パープルが好きだといっていたのを思い出させる。先日、レッド・ツェッペリンがライブをやったことが注目を浴びていたが、どっこい彼(リッチー・ブラックモア)はもう10年も前から、新たに歩き始めていたようだ。
彼がかつて、ギターの奇才として名をはせ、技巧派メタルロックギタリストの教則的存在であったことなどどうでもいいと、このユニットの音は語る。装飾語なくしては語られない彼だが、ユニット名にその名を冠し、新鮮な音を提供しづけているのだった。
実は、このユニットの音源をきたのはつい先日。
「いつもの」音楽ではない、でも振り返ると彼は「以前から」こういう音楽を目指していたようにも感じられる。
留まり続けない彼に、拍手。
Blackmore's Night - Village Lanterne(Youtube)
Blackmore's Night Shadow of The Moon(Youtube)
Blackmore's Night は、昔、友人が、初期のディープ・パープルが好きだといっていたのを思い出させる。先日、レッド・ツェッペリンがライブをやったことが注目を浴びていたが、どっこい彼(リッチー・ブラックモア)はもう10年も前から、新たに歩き始めていたようだ。
彼がかつて、ギターの奇才として名をはせ、技巧派メタルロックギタリストの教則的存在であったことなどどうでもいいと、このユニットの音は語る。装飾語なくしては語られない彼だが、ユニット名にその名を冠し、新鮮な音を提供しづけているのだった。
実は、このユニットの音源をきたのはつい先日。
「いつもの」音楽ではない、でも振り返ると彼は「以前から」こういう音楽を目指していたようにも感じられる。
留まり続けない彼に、拍手。
Blackmore's Night - Village Lanterne(Youtube)
Blackmore's Night Shadow of The Moon(Youtube)
谷山浩子さんの歌うバージョンもすてきなこの曲。
重なるようで、重なりきれない繊細な心のやりとりが歌われています。
言葉にできない感情を簡単な言葉で代用できなかった頃です。
今の世代にはどう聞こえるのでしょうか。
soramimi 斉藤由貴(Youtube)
(200905 追加)
SORAMIMI 谷山浩子(Youtube)
重なるようで、重なりきれない繊細な心のやりとりが歌われています。
言葉にできない感情を簡単な言葉で代用できなかった頃です。
今の世代にはどう聞こえるのでしょうか。
soramimi 斉藤由貴(Youtube)
(200905 追加)
SORAMIMI 谷山浩子(Youtube)
音楽が民族・人種的な背景を持って存在しているということをあまり意識しなくても、ロック界とブルース界の奇妙な棲み分けをみることができる。
まだ気が早いようだが、夏の曲。
夜、ギターを弾きたくなり、つい先日、転勤した同僚からもらったちょっと高め のガットギターでぽつぽつとメロディーを追いかける。
Summertime - Ella Fitzgerald & Louis Armstrong(Youtube)
Janis Joplin - Summertime (Live Gröna Lund 1969)(Youtube)
まだ気が早いようだが、夏の曲。
夜、ギターを弾きたくなり、つい先日、転勤した同僚からもらったちょっと高め のガットギターでぽつぽつとメロディーを追いかける。
Summertime - Ella Fitzgerald & Louis Armstrong(Youtube)
Janis Joplin - Summertime (Live Gröna Lund 1969)(Youtube)
40歳を迎えた今、20年前の1980年代というのは、
ついこの前のように思えてしまう。その訳は、CDという
音源の存在が大きい。10代の頃の20年前は、1960
年代前半となる。カセットテープもなく、ステレオ音源す
ら希な時代だったということになるのだから。
「年度の変わり目」が節目となる生活がかれこれ、30
年以上続いてきた。思い通りになることも、ならないこと
もこの節目が象徴。だたならぬ決意をしても崩れ去りいつ
ものままであったり、気にもとめないような出来事が思い
もよらぬ結果に向かっていったり。
満たされた人生の中で年をとるものだと思っていたが、
そういうものではないらしい。満たされきれず、求めてい
たものは遠くのまま近づくことすらまだできない。ささや
かな願いだった想いすら、あいかわらずだ。
それでも、容赦なく、この節目はやってくるのだ。
今年こそは、と想う。
けれど、今年も、とも思う。
遠く離れた地の友人・知人達にお互い健康であるように。
いつか、また、会えると思いたい。
それは、20年後のことかもしれないが。
ついこの前のように思えてしまう。その訳は、CDという
音源の存在が大きい。10代の頃の20年前は、1960
年代前半となる。カセットテープもなく、ステレオ音源す
ら希な時代だったということになるのだから。
「年度の変わり目」が節目となる生活がかれこれ、30
年以上続いてきた。思い通りになることも、ならないこと
もこの節目が象徴。だたならぬ決意をしても崩れ去りいつ
ものままであったり、気にもとめないような出来事が思い
もよらぬ結果に向かっていったり。
満たされた人生の中で年をとるものだと思っていたが、
そういうものではないらしい。満たされきれず、求めてい
たものは遠くのまま近づくことすらまだできない。ささや
かな願いだった想いすら、あいかわらずだ。
それでも、容赦なく、この節目はやってくるのだ。
今年こそは、と想う。
けれど、今年も、とも思う。
遠く離れた地の友人・知人達にお互い健康であるように。
いつか、また、会えると思いたい。
それは、20年後のことかもしれないが。