HEY HEY MY MY

和・洋問わず音楽を聴いて、思ったこと、感じたことを時々、こそっと、書きます。

エチュード・アレグロ 中田喜直

2005年11月30日 | クラッシック
 娘のピアノ発表会の曲は、知らぬ間に標題の曲。金管でフリューゲルを担当する傍ら、週1回のレッスンに通う。技巧的な曲。本番に弱いのが我が家の家系。
 練習を100とすれば80の出来。即興演奏でない限り、本番で練習以上は出せるはずもないけれど、そっと彼女にアドバイス。音には意味があるから、一つ一つの音の意味を大切にと。
 人前に出ることがもっとも苦手な娘は、金管で鍛えた「暗譜能力」をもとに、演奏をしていた。

 もっとも、私の誕生日にと「瑠璃の島」を欠かさず見ていた私にコブクロの曲を一方で練習していたのはうれしかった。時折、キース・ジャレットの曲を聴かせてあげる。速く弾くことが大切らしく、音の間合いを知るにはもう少し人生経験が必要なようだ。それでも、ケルン・コンサートは綺麗だねという。ちょっとうれしい言葉。

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LUNA SEA  『MOTHER』

2005年11月26日 | JPOP
 朝、目覚めたら、うっすらと雪化粧。鉛色の空は、寒さを一層鋭いものに感じさせる。丁度10年前の今頃、このアルバムを購入した。
 白黒のジャケットは鉛色の空を思わせ、冬の始まりに1回はこのアルバムを聴く。

 400CCのバイクで職場に通っていた頃。娘が生まれたての頃。

 収録曲の「TRUE BLUE」は当時、あきれるくらいオンエアーされていた。
 唯一、聴き応えのあったジュアル系バンド。

 冷静で、扇情的な歌詞とハードロックサウンドは、バイクで駆け抜けていた時の風。
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Def Leppard  『Pyromania(炎のターゲット)』

2005年11月26日 | ロック
 ハードロックバンドとして、驚異的なアルバム売上げ記録を築いたデフ・レパードとの出会いは、この作品からだ。邦題は『炎のターゲット』。当時のロック音楽のアルバムにはこのようなとてつもない名前が付いたものだ。直訳では「放火癖」となる事を思うと、まあ悪くないタイトル。バンドとしては3作目、1983年に発表されたものだ。
現在、1000万枚以上の売上げ記録を持つ。この作品は、本国イギリスのみならず、アメリカでの成功を手にする突破口だった。
 多くの場合、ヒットしたアルバムの次作品は酷評が呈せられるものだが、デフ・レパードに関してはあてはまらなかった。この後の「ヒステリア」「アドレナライズ」と次々と1000万枚を越える売上げを連発する。その音楽は電波に乗り、普段、ハードロックを耳にしない層にも届けられた。日本では、バンドとしての名よりも、メロディーの方が多く耳にされているはずである(「ラブ・バイツ」など)。

 高校1年生の時、写真部に在籍していた私は、学校祭の写真展示でこのアルバムの「フォトグラフ」を流していた。

 洋楽を聴く高校生同士、ちょっとマイナーな連帯感があった時代。

 デフ・レパードは数々の苦難を経たバンドでもある。ドラマーは事故で片腕を失い、復帰は無理だろうといわれた。シークレットギグで、彼がその姿を現し、ドラムの音を響かせた時、他のバンドのメンバーが涙したという。

Def Leppard ~ Photograph

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Boa の実力

2005年11月25日 | 洋楽一般
 彼女の日本の音楽界におけるポジションはどういうものか。ダンスミュージック的なものをシングルとして発売することが多いが、電波の関係で韓国のFMを聴くことができる日がある。その時に紹介されていたのが「Neul(Waiting)」という曲。
 日本では発売されているのかどうか。再び聞くことがあるかどうかわからないけれど、卓越した表現力を感じさせる歌に仕上がっている。
 韓国の歌手が日本に来て、日本語で歌うのには違和感がある。彼女には原語で歌って貰いたい。どこかでまた聞けるだろうか。とても美しい曲なのだ。そしてとても美しい声。

BoA - waiting
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エリック・クラプトン「レット・イット・グロウ」

2005年11月24日 | ロック
 以前、ブログに高校時代のレンタル屋さんについて書いた。まだアナログレコード主流の時代。20代後半の店を切り盛りしているオネーサンがいて、アルバムのリクエストなんか受け付けていた。今となっては考えられないことだが、私一人がリクエストをしても、後日、用意してくれた。
 FM放送で、ドラッグ問題でリタイヤする前のデレク&ドミノスのライブ音源が放送されていて、「愛しのレイラ」の壮絶なギターソロに激しい衝撃を受けた私は、早速店のオネーサンに、エリッククラプトンのアルバムでいい物はないですかと相談した。紹介されたのが「461オーシャンブルーバード」であった。ドラッグ問題を乗り越えての作品で、かなりレイドバックした物であった。それでも、私のために用意してくれたアルバムをレンタルで借り、聞き込んだ。激しいギターソロもなく、どちらかというとマッタリとした作品であったが、アルバムラストの「レット・イット・グロウ」は傑出のできばえであった。
 当時の心境も反映し、とにかく聞き込んだ。
 今でこそ、地位を不動の物とした彼であるが、この作品はそれまでの彼の演奏を信奉する層からは批判が強かったといわれている。

 レンタルのオネーサンは、本当に音楽が好きな人だった。今であれば売れ筋の作品しか置かないであろうけれども、相談すればどっからか、アルバムを用意してくれた。

 商売は利益あってのもの、その店の閉店セールの時、「461オーシャンブルーバード」を購入した。借りた履歴を見ると、私一人であった。

 今日、某大型CD店で、キース・ジャレット・スタンダーズトリオの「スタンダーズVol.1」と「SATANDERS LIVE」を購入した。1985年当時、CDプレーヤーもCDも高価な存在であったが、時を経た今、2枚で2500円で販売していたものだ。

 売れ筋でないCDは、大都会の大型店以外では手にすることが難しくなった。良い音楽を情熱を持って提供する店が少なくなってしまったことが残念な気がして、帰路についた。
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