HEY HEY MY MY

和・洋問わず音楽を聴いて、思ったこと、感じたことを時々、こそっと、書きます。

浜田省吾 『JBOY』

2008年02月04日 | JPOP
 アメリカで、ブルース・スプリングスティーンが、「Born in the USA」を歌い、その後、一時、「アイデンティティー」を歌うような曲がブームになった。
 ナショナリズムを鼓舞するような歌も出現した。

 最近は、過去の日本の歴史の解釈を「自虐史観」とする思想潮流もあるが、少なくとも80年代の日本は、今以上に過去の歴史に無頓着であった。森村誠一氏が「悪魔の飽食」という著書で、日本軍の関東軍731部隊の戦時中の悪行が、驚きをもって世間に明らかになった頃でもあった。

 浜田省吾は、明確に戦争を否定し、個々を競争原理によってコントロールする日本の社会体制に対しても、明確なスタンスを持っているソングライターであろう。
彼は、『J-BOY』というアルバムを発表し、強いメッセージを発した。
 その後、時代はバブル経済に振り回され、能天気な歌が日本の音楽業界を圧巻した。逆流に逆らうように、ブルーハーツ、エレカシなどが骨のある歌を引き継いだようではあったが。

 時を経て、浜田省吾はまだ現役である。ぜひ若い世代に、バラードだけではなく、もう一つの彼の側面にふれてほしいと願っている。

『J-BOY』(Youtube)
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学校 という場所

2008年02月01日 | Weblog
 高校1年の頃、学校が嫌いだった。正確に言うと、周りの「多数派」のもつ、空気が嫌でたまらなかった。何もかも、先生のせい、親のせいにして文句ばかりいう人が多かった。学校がつまらない、と思ったとき、自分も同じだと思った。
 だから、自分の世界を学校につくろうと、放課後の部活動にのめりこんだ。中学校時代に、全国を狙うような運動部にいた反動で、先生から「やるべきこと」を押し付けられるような部活動には二度とかかわりたくない、というねじれた感情もあって、高校の自由な部活動は、最高の空間だった。顧問は時々顔を出す程度だったが、やりたいことをさえぎるようなことはしなかった。
 高校2年の時、学校のサボり癖がついた。担任は、あまりがみがみ言わず、ただ、大人になったら苦労するぞ、といった。その静かな言い方が、妙に響いた。
 高3に覚悟を決めて、とにかく勉強した。苦しくはなかった。やりたいことのために必要なことだったし、知らないことを知ることは苦痛ではなかった。

 突然友人が「学校は意味がない」と学校を去った。
 交通事故で留年した友人は、高校を続けた。

 いつから、高校までもが、脅迫じみた空間へ、憎しみの対象へ、なってしまったのか。学校にまつわる「悲しみ」に答えを見出せないでいる。かつて、浜田省吾が歌った叫びはいまだ響き続けているということか。

浜田省吾 「家路」(Youtube) 
       「A NEW STYLE WAR 浜田省吾」(Youtube) 

 
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