以前紹介した潮風さんの演奏。ダイレクトに埋込みで紹介できるようになりました。
たとえば一週間前何をしていたかと問われて、取り立てて特別な出来事がない場合「思い出す」ということをしなければならない。
帰省。4ヶ月ぶりにあった父は筋肉が衰え、声帯を動かすことすらままならないけれど、がんばっていた。
どうも、と一言。最近の記憶は曖昧らしくちょっと前の話題をだして、二言三言。気がつけば父は寝ている。
家族3人での大晦日の帰省は2度目。まだ若い頃は、自分の家族で大晦日をやるのが一人前だと思っていた。大晦日の乾杯の挨拶で、実家の兄が「いつもの正月は3人か4人、今日みたいに8人もいると賑やかで」と話していた。父はゆっくりと年の瀬のあいさつを話している、かつてここに住んでいたときの大晦日のいつもの光景。
いわれるまで気がつかなかった。2度目。思えば単身でくることはあっても、家族3人でということにはならなかった。そこにはいろいろな事情があるが、2度目。
新年用の古い掛け軸を取り出してきて、床の間に。仏壇の上には神棚、仏壇にあいさつしたら、2歩ほど下がり、たったままで礼をする。私の家族には不思議な光景。大晦日の日の夕食の時に身支度をして、会食をするのもそう。
かつては会食の後、24時まで間、家族でゲームなどをして過ごしたものだった。
思うことがありすぎて悶々としているうちに年が明けた。
風雪がやみ、静かな大晦日だった。過疎化で近辺の明かりもだいぶ寂しくなった。
点在するように一軒一軒の中では、それぞれの年越しがあったのだろう。
私の実家での大晦日はこうして終わった。
父が生きて年の瀬を迎えられたことが昨年の一番よかったこと。
父の前では言えなかった言葉。
William Ackerman - "Ventana"
帰省。4ヶ月ぶりにあった父は筋肉が衰え、声帯を動かすことすらままならないけれど、がんばっていた。
どうも、と一言。最近の記憶は曖昧らしくちょっと前の話題をだして、二言三言。気がつけば父は寝ている。
家族3人での大晦日の帰省は2度目。まだ若い頃は、自分の家族で大晦日をやるのが一人前だと思っていた。大晦日の乾杯の挨拶で、実家の兄が「いつもの正月は3人か4人、今日みたいに8人もいると賑やかで」と話していた。父はゆっくりと年の瀬のあいさつを話している、かつてここに住んでいたときの大晦日のいつもの光景。
いわれるまで気がつかなかった。2度目。思えば単身でくることはあっても、家族3人でということにはならなかった。そこにはいろいろな事情があるが、2度目。
新年用の古い掛け軸を取り出してきて、床の間に。仏壇の上には神棚、仏壇にあいさつしたら、2歩ほど下がり、たったままで礼をする。私の家族には不思議な光景。大晦日の日の夕食の時に身支度をして、会食をするのもそう。
かつては会食の後、24時まで間、家族でゲームなどをして過ごしたものだった。
思うことがありすぎて悶々としているうちに年が明けた。
風雪がやみ、静かな大晦日だった。過疎化で近辺の明かりもだいぶ寂しくなった。
点在するように一軒一軒の中では、それぞれの年越しがあったのだろう。
私の実家での大晦日はこうして終わった。
父が生きて年の瀬を迎えられたことが昨年の一番よかったこと。
父の前では言えなかった言葉。
William Ackerman - "Ventana"