HEY HEY MY MY

和・洋問わず音楽を聴いて、思ったこと、感じたことを時々、こそっと、書きます。

William Ackerman - "Ventana"

2011年01月01日 | フュージョン
 たとえば一週間前何をしていたかと問われて、取り立てて特別な出来事がない場合「思い出す」ということをしなければならない。

 帰省。4ヶ月ぶりにあった父は筋肉が衰え、声帯を動かすことすらままならないけれど、がんばっていた。
 どうも、と一言。最近の記憶は曖昧らしくちょっと前の話題をだして、二言三言。気がつけば父は寝ている。

 家族3人での大晦日の帰省は2度目。まだ若い頃は、自分の家族で大晦日をやるのが一人前だと思っていた。大晦日の乾杯の挨拶で、実家の兄が「いつもの正月は3人か4人、今日みたいに8人もいると賑やかで」と話していた。父はゆっくりと年の瀬のあいさつを話している、かつてここに住んでいたときの大晦日のいつもの光景。

 いわれるまで気がつかなかった。2度目。思えば単身でくることはあっても、家族3人でということにはならなかった。そこにはいろいろな事情があるが、2度目。

 新年用の古い掛け軸を取り出してきて、床の間に。仏壇の上には神棚、仏壇にあいさつしたら、2歩ほど下がり、たったままで礼をする。私の家族には不思議な光景。大晦日の日の夕食の時に身支度をして、会食をするのもそう。

 かつては会食の後、24時まで間、家族でゲームなどをして過ごしたものだった。
 思うことがありすぎて悶々としているうちに年が明けた。

 風雪がやみ、静かな大晦日だった。過疎化で近辺の明かりもだいぶ寂しくなった。
 点在するように一軒一軒の中では、それぞれの年越しがあったのだろう。
 
 私の実家での大晦日はこうして終わった。

 
 父が生きて年の瀬を迎えられたことが昨年の一番よかったこと。
 父の前では言えなかった言葉。
 


William Ackerman - "Ventana"
コメント
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