40を超えたのを実感したのは、仕事中のスナップショットに写っている自分の姿を見たとき。ゴマ色の頭と目尻の皺、消して血色のよくない肌。
最低限の時間しか鏡とは向き合わないから、それはある意味衝撃であった。
この季節、この時期はいつの間にか、節目。いろんな「だったはず」「だったら」という気持ちと言葉を胸にしまい込む節目。
桜咲く講演を娘と歩いたとき、きっと故郷に戻れると確信していた。あれから十余年、娘は高校受験を意識する年頃となり、自己主張もする歳になった。
その桜祭り協賛の三味線大会、せかせか歩く私を引き留め、三味線の独奏に釘付けの幼い娘がいた。早速団子を買ってきて、娘と座ってしばらく聴いたのだった。
いつか、ふるさとに戻れるのだろうか。戻れるものであれば戻りたいと、
眠れぬ夜はいつもおもう。
いつだったか、何気なく娘に振ったとき、「いいね」と気軽な返事。でもそれまで。私の行動を決めるのは、いつの間にか私ではなくなっているから。
即興演奏の自由さをいつか取り戻したい。
最低限の時間しか鏡とは向き合わないから、それはある意味衝撃であった。
この季節、この時期はいつの間にか、節目。いろんな「だったはず」「だったら」という気持ちと言葉を胸にしまい込む節目。
桜咲く講演を娘と歩いたとき、きっと故郷に戻れると確信していた。あれから十余年、娘は高校受験を意識する年頃となり、自己主張もする歳になった。
その桜祭り協賛の三味線大会、せかせか歩く私を引き留め、三味線の独奏に釘付けの幼い娘がいた。早速団子を買ってきて、娘と座ってしばらく聴いたのだった。
いつか、ふるさとに戻れるのだろうか。戻れるものであれば戻りたいと、
眠れぬ夜はいつもおもう。
いつだったか、何気なく娘に振ったとき、「いいね」と気軽な返事。でもそれまで。私の行動を決めるのは、いつの間にか私ではなくなっているから。
即興演奏の自由さをいつか取り戻したい。