Tokkoちゃんの気まま日記

感じたままに~ 心のままに~ 好き放題書いてます

母のアクセサリー

2019-01-17 20:30:58 | 母便り
 おじさんから、母の鏡台の引き出しに入っていた物が届いた
チェーン同士が絡まって、グチャグチャの状態だ
しかし本物の貴金属は全く無いのは解る


 色褪せて嵌めてあったガラス玉が外れて無くなっていたり
片方しか無いイヤリング 留め金の無いブローチ
ネチャネチャになって他の鎖とくっついているものまで有る

 家族になる会社の代表が来られて、話をさせて貰ったとき
私は2つ程お願いをした

 一つ目は、おじさんがもし施設に入られるなら荷物は何一つ残さないで欲しい 家電や家具も新しくても要らない
      ただし、妹から頼まれた事で「預けたお雛様と五月人形は処分から外して欲しい」
 
 二つ目は、母の洋服やアクセサリー・毛皮・着物も要らないが帯だけ欲しい(帯なら姪っ子が使えるから)
      もし母が以前買った スイングダイヤモンド の指輪が有れば姪っ子に遣って欲しい

  4年前に私達の父が亡くなった時、いわゆる 家財整理 をした
家具・家電・衣類・溜め込んだ返礼品の山・・・・・・
その処分に、十数万円を支払った経験が有るので
もしも 善意からで有っても物を残されると困ると解っていたから


 しかしそうお願いしたにも拘らず、グチャグチャのアクセサリーが届いてビックリ
「こんなものでも、勝手に捨てるなよ 妹達に見せてから処分を決めろ」
そう言う主人の言葉に頷く 
ご尤も様です

 母は良く言えば お洒落で着道楽 悪く言えば 浪費家
に見えていたが、アクセサリーは全てフェイク
冠婚葬祭に必要な 真珠 さえ持っていなかった事に驚いた

 私が スイングダイヤモンドの話をした時におじさんから言われた
「あんたは、サファイヤか何かの指輪を貰ったろう~」
「サファイヤのような高価な物は貰っていません、私が貰ったのは水晶です 紫水晶アメジスト
私の父が母に贈った物だったので預かっています」
私達の父が母に贈ったものが、行方知れずになるのが残念で母に頼みました

 ではスイングダイヤモンドはどうなったのか・・・・・
私の思い違い・・かもしれませんし
「渡す渡さないは、おじさんの自由だ」 と言う主人の言葉通りですので
無ければ無いで、それで何も差し障りは有りません

 身辺整理を始められたようなので、何処かの施設に決められたのか?
と思ったが、ただボチボチと片付けを始めている~と仰ったそうだ

嵌ってるお菓子

2019-01-16 07:16:55 | スイーツ
 実は今、嵌ってるお菓子が有るんです
主人もお気に入りで、毎日一人一個づつ食べています
偶然 広告の品 になっていて、198円で買いました
でも一つ食べてビックリ(@_@)
2人で 「美味しいね~」 と声を上げてしまいました

 それがこのお菓子



 名前の通り、本当に濃厚
職場の お菓子友達 にもお奨めしました
何時もは彼女の お奨め に乗っかる事が多いのですが
今回は、私からの発信♬
彼女は、安売りをしていたお菓子を一つ買い帰宅
早速、買ったお菓子を食べた所
余りに美味しくて、お店に取って返して残りの商品を全て買い占めた 強者

 最近は見つけるとせっせと2人で買い溜めをしております
広告の品 でなければ、可なりお高めの値段で売っていますし
お一人様2個限りなので、二人で4個買うんです

 それに反して苦手なお菓子がこの3つ


鯨羊羹

淡雪羹

マシュマロ
 共通点は、食感が グニュ~ ってしている所

 同じ鯨羊羹でも米粉を使っている宮崎県のこれはOK

 
 今年のバレンタインデーに、この濃厚ブラウニーに似たものが
自分で焼けないかなぁ~と思案中

葛藤

2019-01-15 10:46:40 | 母便り
 或る日、主人にこう言われた
「おじさんの事で、ケアマネから何か話が有るらしいぞ~」
日にちを指定されたが、仕事が有る
主人も唯一楽しみにしている日と重なって、留守
主人は、出勤前の早い時間ならと言っておいてくれた

 当日、ピンポンが鳴って出てみると其処には大柄な一人の男性
あれ?誰だろうこの人・・・・
てっきりおじさんのケアマネさんだと思っていたのでビックリ
名刺を出された
主人の思い違いで、話が有るのはこの男性だったようだ
それが 家族になる会社 の代表だった

 パンフレットを差し出された
おじさんと契約したので、挨拶に訪れたと言う
成る程~そんな会社が出来始めて契約をしたんだぁ~と驚いた

 おじさんが体調を崩したのを切っ掛けに、母への態度が一変し
目に余る態度を取り出したのは、2017年の夏頃からだった
母に大量の精神安定剤を飲ませたり
母がトイレへの付き添いを頼んでも知らん顔をするようになり
何度も転んだ母は、圧迫骨折で苦しみ始めた
そんな母に「一々トイレに連れて行けとか、しつこいんや
パンツに何回かしたら替えてやる言うてるのに」
等と暴言を吐くようになった

 その頃のおじさんは、私から見ても母を重荷に思っている事が顕著に成り始めていた
まず母を見る事 それ自体を嫌がり始めていた
自分が体調を崩したことで、一挙に母への嫌悪感が噴出したのだろう
人間として、そんな感情が湧き出る事は十分に理解できた

 しかし私は思った
普通の夫婦ならばその気持ちを理解し、同調して上げられる
でも おじさん達は違うでしょう! と~~
母とおじさんの自分勝手な行動で、周りの人達がどれだけ被害を受けたか・・・・
それが解っていたら、こんな態度は許されるものでは無い筈

 「おじさんも頑張って下さっている」
そう思っていた私の信頼感は一挙に崩れた
薬の大量投与も、わざとでは無かったと言う言葉が怪しくなった
単に煩いから薬で大人しくさせていただけなのではないか・・・
おじさんの人間としての感情は理解できても
それイクオール、仕方ない感情 と許す事が出来ない
どうしても 理不尽 だと怒りが湧く
自分達が遣った事の責任を取りなさいよ~~と

 嫌な奴だなぁ~とそんな自分に嫌悪を感じながらも
おじさんへの腹立たしさが収まらない
母とは離れて暮らす妹達との温度差を感じ始めたのもその頃からだ

 穏やかに 穏やかに 腹を立てず 優しい気持ちを持ちなさい
例えおじさんがどんな人であっても、酷い態度を取れば心苦しくなる
そう思うのに、ドンドンかけ離れていってしまう

 おじさんが 家族になる会社 と契約したのも
結局、私が自分からは一番言いたくなかった事を伝えたからだ
その心苦しさを妹に伝えると
「仕方ないよ、何時かは誰かが言わないといけない事だったし
今は何を思われても憎まれても我慢しないと~」
と言われた

 じゃあ~貴女が言いなさいよ~~とまたまた思ってしまった私でした 

新しい職業

2019-01-14 09:17:29 | 母便り
 会費を取って 家族 になる会社
そんな職種が出来たのは、高齢化社会 になり
家族の絆が希薄になり、頼れる人の居ない高齢者が増えた
今の日本ならではの職種だろう

 実は私もこんな会社が実在することを知らなかった
頼れる身内の無い人は 後見人 を家庭裁判所に任命して貰える と其処迄しか知らなかった
しかしこの 後見人 は、手術などの同意書も書けないと聴いていた
それでは高齢者が手術を受けるとなれば、誰が同意書を書くのだろうか?と疑問だった

 そんな不安を一掃するのがこの 家族 になる会社
一般社団法人で、会員を募る
会員の最大数は決まっている
入会には、百数十万円の可なり纏った金額が要求される(会社によって金額は違うと思う)
入会後も毎月の会費と年会費は生きている限り払い続けなければならない

 しかし、入院や施設に入居時も 身元引受人 になり
手術時は、病院に出向き同意書を書き手術の立ち合いもする
亡くなれば葬儀の手配から財産の分配まで、本人の希望に基づいて行われるそうだ
入会金はその手数料と葬儀などの預託金なのだ

 其処でちょっと不安なのは、その 家族 が途中で消滅しないか・・・だろう
施設を運営する会社が破産して、家を売り払ったお金で得た
「終の棲家」 を追い出された高齢者の実例も有る
この種の会社が、これから実際に力を発揮するのか
経営難に陥って、会員が路頭に迷う事になるのかはこれからだろう

 会員になって、実際に頼りたい事態になるのは数年後
いや数十年後なのかも知れないのだから~~
其の時に 家族 が消滅していたら事態は深刻になるだろう

 私がこの新しい職種の会社を何故知る事になったのか・・・・
それは私にとっては、やはり辛い選択に関わる事が有ったから

 今年になってブログを再開した時
「日記だと思えば良い
後になって読み返し、自分の心と向き合えるかもしれない」
私はそう書いた

 今日、2017年と2018年の母とおじさんに関するブログを読み返した
やはり書いていて良かったぁ~ と思った
其の時の事情や自分の感じた事
それが怒りで在ったり諦めで在ったりはしても
自分に言い聞かせるように
「後、少し頑張ろう~」と思っていた事を思い出せた
今書いているブログも、読み返す日が来たら
きっと後悔もあるだろうけれど、其の時の自分と向き合えると思う

眠れる幸せ

2019-01-13 21:04:45 | 日記
 元々、寝つきの悪い私
旅行に行っても,なかなか旅館やホテルでは眠れない
それでも若い時は余りそれが苦にもならず、本を読んで過ごしたりしていた

 しかし、年々 眠れない 事がきつくなり始めた
主人が時折主治医から貰って来る 入眠剤 を飲んだりしても
眠れるのはせいぜい4時間位
入院中も、病院は患者には寛大に入眠剤を配る
それは有り難いのだが、眠れるのは4時間なので飲む時間に苦慮した

 10時や11時に飲むと、真夜中の2時や3時に目が覚めてしまう
そこで我慢して12時くらいに飲んでいた
そうすると早朝の4時に目が覚める
それでもまだまだ病院は動き出していないから
暫くは、周りの迷惑にならないように静かにしていた
5時くらいにナースステンションで物音がしてくるとホッとしたものだ

 こんな 不眠症 は何科を受診すれば良いのかと考えていた
一番思いつくのは 心療内科 だ
母の通う 物忘れ外来 は、つまりは 心療内科 なのだ
しかし、母を連れての受診では
終われば直ぐに戻らなければならないし
主治医が市民病院の先生だったから、横から私が入り込んでの受診は出来なかった

 それが去年、市民病院を退職されて 開業医 になられた
母の受診時、「私も診て欲しい」と思ったがそれでもなかなか言い出せなかった
しかし今回体調の悪い母は、受診することが難しいので投薬だけをお願いに行った

 そして遂に私自身の受診を希望した
「実は長年、寝つきが悪く一日3~4時間しか眠れていません
入眠剤も服用経験が有りますが、4時間程度しか眠れません
ぐっすり眠ってみたいと、年と共に思うようになりました」

 先生の話では、入眠剤は元々 寝つきを良くする効果 は有るが
薬の効いている時間は4時間程度なのだそうだ
特別、私が薬の効き目が薄い体質と言う訳ではなかった

 大きく分けると2種類有って
寝つきだけを良くする薬と長めに眠る事を目的とする薬に分かれる
どちらが希望ですか?と訊かれた
勿論、長く眠れる方だ

 やはりこの種の薬は難しい決まりが有って
いきなり3か月分の処方は出来ないそうだ
先ずは、 お薬合わせ で3週間分を貰った
飲んでみて体質に合わなければ、薬を変えて上げるよ~と言われた
起きてもボ~っとしたり、寝付けない等の不都合が無いかを試すらしい

 今の所は大きな不都合は無い
それでも6時間は眠れない
5時間位かな~~
毎日飲んでも、勝手に2錠飲んだりさえしなければ
飲み続けても問題は無いらしい

 全く眠れなかったり、寝ても3~4時間の日も多かったから
飲めば5時間位でも確実に睡眠がとれるのは
私には 暁光 だ

 実は年々体重が減少し始めていた
去年はギリギリ 40kg
それよりは当然太った心算だった今年は何と 39.3kg大人になって初めての30kg台
身長が162cmは有るので、健康診断でも体重の項目が C判定 だった
もっと体重を増やしましょう と書かれていた

 ちょっとした事で細菌感染を起こし抗生物質のお世話に成るのもこの体重低下のせいかもしれない
よく食べて、よく寝る
とても大切な事だと思う

 母の調子が思わしくなく
休みの日は母の受診に消えてしまう
紹介状を貰った 胃カメラ の予約日がまだ取れていない

今日も病院

2019-01-12 16:29:09 | 母便り
 年が明けて4日、以前にもお世話になった病院の整形外科に行った
でも予約が無いから一体何時になったら診てもらえるやら解らない状態
先にレントゲンだけは撮って貰った
施設の主治医からの紹介状で、転んだ事は伝わっていたようだ

 2時間が過ぎて、立っているのが辛くなったが座る場所が見つからない
空いた椅子が有っても、母のリクライニング式の車いすを横に停められる場所で無いと座れない
遂に腰が痛くなって、少し離れた救急受付の辺りの椅子に座った
主人には空いた椅子に座って貰っていたから、番号が呼ばれたら主人が知らせてくれるだろうと思う外はない

 暫くして、整形外科の待合の椅子にも空きが出始めてやっと移動
母は 「入院しないよね~入院しないよね~」 と繰り返し聞く
うん!入院しない なんてうっかり言うと後が怖い
「まだ診て貰ってもいないから何も解らないのよ」 と繰り返し答える

 やっと呼ばれたが、診察は5分
膝に水も溜まっていないし、腫れもさほど酷くは無い
レントゲンを診ても骨折も無い
「徐々に痛みも引いて行くでしょうし、痛み止め以外には処方は無い」 との事だった
それでも年末からの心配が解消したのだから一安心だと思った

 そして数日、仕事終わりに迎えに来てくれる主人から
「また電話が有ってなぁ~やっぱりもう一回病院に行って欲しいらしい」
またまたそのまま施設へ直行・・・・・・
その日、仕事で痛めた足が痛くて正直早く帰って休みたい・・・と思っていたので気分が凹んだ

 看護師さんの話だと、熱が高い時は38度を超えるらしい
血液検査でも、血小板や白血球の値が高いのでやっぱり炎症を起こしている筈だと
体を触ると、彼方此方が痛い痛いと訴えて動かすのも一苦労らしい
其処で施設の車の手配をお願いして、再度受診することにした

 それが今日
今回は事前に予約電話を入れたのが功を奏して、待つことなく受診できた
でもやっぱり5分で終わった
「前と同じです、膝には水も膿も溜まってはいません
炎症値が高いとしたら、それは何処か他に原因が有ると思います
膝や腰に拘っていると他の病気を見逃しますよ」
と忠告された

 施設に戻り、看護師さんに伝えた
施設の主治医へ宛てた手紙も渡した
はてさて、一体何処が悪くて熱が出て食事も受け付けないのだろうか・・・・
それは一先ず、主治医の判断に委ねる他は無い

 と、次は 目薬 も切れかけているから貰って来て下さいと言われる
整形外科が早く終わったので、12;30の受付に間に合うだろうと思い急ぎ眼科へ
眼科は異常なほどの混みようだった
月曜日が祭日だからか・・・と思いつつ受付を済ませた
薬だけなので、待っても15~20分 と思いきや1時間待たされた
実は病院のPCの故障で、皆さんが支払いが出来ずに待たされていたらしい

 私達の昼食はまたもや1時過ぎ
貴重な休みもこうして過ぎてしまう

 親の為なのに 文句言う? と思われるだろうか・・・・
でも 自分の為にだけしか生きて来なかった母に 親だから とは素直に思えない
育てて貰ってこそ 親
私には 産んで貰った恩 その一語だけが支えだ





 

今年は如何に~

2019-01-11 21:36:50 | 日記
 2019年は新年からブログを再開しよう~と年末には思っていた
しかしその年末、31日と言うギリギリに問題が勃発
会社に向かう車中に電話が掛かって来た
母がお世話に成っている施設からだった

 あれ~~こんなギリギリに一体何……?
どう考えても 良い知らせ である訳は無い
やはり今朝から母の具合が良くないと言う
しかも今頃になって
「実は12月の14日と21日にベッドの所で座り込んで居るのを見つけました
簡易トイレを使う時に転ばれたようで・・・・」
え?そんな報告受けてませんが!!
「そのせいか今朝から足や腰の辺りが痛いと言って、食事も摂れません」
つまり大晦日になって、救急病院にでも受診して欲しいと言う要請

 とりあえずは、主人が施設に言ってくれることになった
私は会社に着いてから
「もしかしたら早引けをするかもしれません」 
と申し出た
上司としては 駄目 とは言い難かっただろう

 しかし、施設に行った主人からの報告では
「そんなに大したことは無いようだ」
であった
なんせスーパーの大晦日
息つく間も無いような時間に忙殺された

 しかし夕方になって迎えに来ていた主人が言うには
「昼間、施設に行った時はお母さんも落ち着いていて大丈夫だと思った
しかしついさっき又連絡が有って、熱が上がりやはり受診して欲しいと言われた」
え・・・大晦日の夜間救急・・・・・

 疲れた体を引きずってそのまま施設に・・・
看護師の方と話し合った
確かに受診はした方がベストだろう
しかし今の時間帯の当番病院は 西神戸医療センター だと言う
インフルエンザの患者や急病人でごった返しているらしい
そんな所に熱の有る母を連れて行っても、何時間待ちで受診できるのだろう
しかも、施設でも職員は帰ってしまって車が出せないと言う

 車椅子のまま乗り込める車で無いと、動かすのは無理だとも言う
それなら一体如何して受診したら良いのだろう・・・途方に暮れた
会社を出る時に、同僚に話したら
「転んだ事は隠していて今になって言うなんて可笑しいわ
救急車を呼んで欲しいと言えば良いのよ」
とアドバイスを受けていたから
「いよいよとなったら、救急車を呼んで下さい
熱の有る母を何時間待つか分からない所に連れては行けませんし
移動も家の車では無理です」

 そう言うと流石に相手も黙った
移動手段も無く、却ってインフルエンザを貰いそうな場所に行く方が怖い
痛がる母は可哀そうだと思ったが、致し方無かった
救急搬送の方が、母には楽なはずだ! と割り切った

 家に帰っても、気になって仕方ない
施設からも、お正月でも面会に来て欲しいと言われたので翌朝も行ってみた
熱は上がったり下がったりで、一進一退だという
4日には整形外科に連れて行きますからと言うと
「絶対に連れて行って欲しい」 と言われた

 施設に入れば、病院の通院は施設で面倒を見てくれると思っていた
何も知らないアホだと言われればその通りなのだが
通院も薬を貰いに行くのも、全て 家族 なのだと知って驚いた
それでも主人のお陰で、通院も薬も何とか施設の要望通りに遣って来た

 そして慌ただしく年が明けたがブログ所の騒ぎでは無かった
それでも少しづつ少しづつ、ため込まない為にも書いて行こうと思った
日記だと思えば良い
後になって読み返し、自分の心と向き合えるかもしれない