尊敬し、お慕い申し上げた、
清水末子先生が亡くなって、もう10年になる。
お誕生日と、命日、そして海外に行くとき時や帰って来た時など、
鎌倉霊園にお参りするのは、楽しい遠足のひとつだ。
京急で金澤八景。そしてバスに乗って行く。
峠を吹き渡る風は、身も心も洗い流してくれる。
やはりあそこへは、青い空の日に行きたい。
いつもピアノの上にある先生の写真を、窓辺に持って来た。
先生の好きなガーベラを飾る。
ご主人が出征なさる時、お家で撮った写真に、
ガーベラが映っていたそうだ。
モノクロの写真だが、
それが真っ赤なガーベラだったことを覚えてるとおっしゃっていた。
私がいつかガーベラの花束を差し上げた時に聞いたお話。
戦争で、愛する人を亡くし、
「髪の毛1本も帰って来なかった」
感傷も愚痴も無く、クールだった。
「だけど、この胸の扉をぱっと開けると、いつもそこに居るのよ」
厳しくて厳しくて、「歌=悩み」
私にとって歌なんて苦しみの他なかった・・というほど厳しかった先生。
いつになっても「OK」が出ない。
いつになっても納得がいかない。終わりなんて無い。
それはそのまま私に受け継がれた。
だから、今私は歌ってるのだと思う。
先生の写真と形見を目の前に置いて、
私には何も良い報告が無い。
叱ってもらいたいのだな。
先生に、まだ甘えている。
先生に頂いた、ブローチ。私の上着の襟にご自分でつけてくださった。
ネックレスは、形見分けでいただいたもの。トルソーの色のトーンとそっくりだ。