伊那からバスに乗る。
飯田もそうだが、山沿いは夕立やゲリラ雨は当たり前。
バスに乗ってしばらくすると雨。またしばらく行くと、
空に大きな大きな、虹。
前にも飯田で大きな虹を見た。
涙雨。父が亡くなってから雨が多い。
心に太陽。唇に歌。
けれど時々、雨も降る。
雨の後には虹だ。
「ありがとう。パパ」
虹が見えますか?この3枚で一つのアーチ。
ライブで気持ちよく沢山歌って、幸せな疲労感とともに、
皆様の温かい心に感謝しつつ飯田を発つ。
東京に帰れば、こんな美味しい空気は味わえないのだと深呼吸。
飯田の皆様ありがとうございました。
従兄弟の娘夫婦が、車で飯田間で迎えに来てくれる。
いざ、おとなり伊那へ。
そしたら伊那といっても、ぐんぐん山深く上って行き、
(上ってというより、分け入るという感じ)
あらま、ここは米良(宮崎西都市奥の父の故郷)かしらと思うような、
山奥。秘境。緑濃き、平家の落人村。
米良の側にも平家の落人村はあるし、
浜砂家、平家の落人説があったがその真偽は謎のまま。
ともかく、彼らに連れられて「分杭峠」なる場所へ着いたときは、
その絶景に感動。時間が無くて降りなかったが、
ここは最近有名な、パワースポット(ゼロ磁場)らしい。
そして車が着いたのは従兄弟の娘が料理人として働く店、
《平家の里》であった。
なんとまぁ。牛タン塩、は別として、
この山で獲れた、「イノシシ」です。「シカ」です。
なんて言われた日にゃぁ、びっくりだ。
ホルモンの種類も豊富。うわぁ、コラーゲン摂らねば。
美味かった。
りえちゃんご馳走さま。
父の名前で芋焼酎を1本キープ。
「また来るよ」
イノシシ
シカ
牛タン
七輪、炭火焼です。
麺辛うま。
信州の酒旨し。
夏の飯田は初めて。
いつも行く、町からちょっと離れた蕎麦屋からの風景。
あれ?何か違う。
ああ、いつもは秋で、林檎が真っ赤なのだ。
しかしやはり美味い。
空も風も、酒も。
目に舌に心に美味しい飯田を、
懐かしむように再確認。
《蕎麦・陸右衛門》にて。
2011/08/07 @ Iida Karakoro club
Summer night concert
《Menu》
薔薇色の人生
サン・トワ・マミー
恋心
百万本の薔薇
アカシアの雨がやむ時
ドミノ
慕情
O mio babbino caro/私の大好きなパパ
愛の讃歌
水に流して
港が見える丘
愛は限りなく
時は過ぎてゆく
アドロ
人生は過ぎ行く
For you
人生の扉
見上げてごらん夜の星を
オー・シャンゼリゼ
いかないで
留守の多い私。仕事に行けば帰りは夜中だし、
今は父の葬儀以来、実家に行くことが多い。
さて長野へ2泊3日。
赤いトランクを開けて、旅支度をしていると、チャーが入ってる。
いつも、そうだ。
トランクを持ってくると、行くんだな、と思うのだろう。
お化粧しようとすると邪魔するし。
BIBIは、慣れてるし、達観してる年頃だが、
チャーは甘えん坊将軍。
出かけについて回るし、帰ったときもしがみついてくる。
はじめて野良のチャーを見つけた時、
人なつっこいと思ったのと、
人が来るたび、誰かを探しているようだった。
たぶん、置いて行かれたのだろう。
大丈夫。大丈夫。帰ってくるから。
安心して待っていてね。
だけどふと、実家の猫を思うと切ない。
ノラという名のこのコは、父を捜す。
玄関の外、道路に前足を折って寝て、車の来る方を見ている。
もし私が帰りたくても帰れなかったら。。。
大丈夫。私は帰るから。
帰ってくるから。
先週末届いた、父からの御中元。
たぶん亡くなる直前、送ってくれたのだろう。
もう居ない人からのお中元。
その文字に心が潤む。
父のビール。冷蔵庫に入れておいた。
今日のお昼に、プシュッと開けた。
父はよく、お昼ご飯の時、ビールを飲んでいた。
だから私も。
とうぶん、父の話が続くかもしれない。
個人的な話題ばかりでごめんなさいね。
でも、書き留めておきたい。
私は何故か淋しくはない。
父を皆さんに紹介したい気分。
さざなみのように、
悲しみが押し寄せるのは、
まだ先のことのように思われる。
皆様ご心配おかけしました。
仕事は2日間お休みしました。
7/25のあと、父の葬儀で歌った以外、歌ってません。
今日から歌います。
さて、どんな声でしょう。
自分でもちょっと、興味津々です。
沢山の温かいメッセージ、お心づかい、感謝感激です。
ありがとうございました。
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
最後の魚
父は釣りの名人だった。
そう、釣りバカの浜ちゃんだった。
魚用の大きな冷凍庫から、父が釣った最後の魚が出て来た。
7月に釣った「イサキ」を、解凍してお皿に。
うーむ。これがラストか。
当たり前だった、父が釣ってきた魚。
私たちはいつも、新鮮な、美味しい魚を、当然のように食べていた。
ゴージャスな金目鯛。かわいい花鯛。アジやイサキ。
時には烏賊を釣って来て、沖漬けを作ってくれた。
父は釣った魚を、自分で調理した。
さばいて、お造りにしたり、形よく焼き上げたり、からりと揚げてくれたり。
父の最後の魚。
味わって、味わって、しみじみと。
美味しいなぁ。
お正月は、化粧塩も美しく、鯛の尾頭付きが定番だった。
来年から、淋しくなるね。
o mio babbino caro
大好きなパパ
聞いて欲しいいの
あなたの愛で 育った私よ
今 心から感謝してます
あなたの娘に 生まれてよかった
いついつまでも
見守っていてね
お願い パパ
ありがとう パパ
(from~Puccini "Giannni Schicchi")
私が書いた詞。
この日のために書いたのかもしれない。
7月26日、父が亡くなりました。
28日お通夜。
29日告別式。
棺の蓋を閉じる前、父の顔を見ながら歌った。
式の朝、父の亡骸に「歌うからね」と約束したから、
歌うまでは気張っていた。
歌い終わったら、崩れた。
7月25日、いつものように柏のライブに来てくれて、
お客様と一緒に歌うコーナーでは、いっしょけんめい歌っていた。
終演後、満足そうに笑って、
ご機嫌で握手して別れたのが最後だった。
そのあと仲間と、良い気分で飲んでいる時に、倒れたそう。
穏やかな顔。笑っているみたい。
苦しまずに逝った父。
満足です。悔いはありません。
最後に私のステージを見てもらえて、聴いてもらえて。
そして最後の最後、私は「大好きなパパ」を歌えて、
父は私の歌が聴けて。
幸せな父娘です。
私の、中途半端な知らせにもかかわらず、
お通夜、そして告別式と、
沢山の方が駆けつけてくださいました。
そして、弔電やお花も沢山頂戴いたしました。
心から御礼申し上げます。
父も喜んでいます。
ありがとうございました。
そして応援してくださる皆様と、父に応えるためにも、
しっかり歌って行きたいと思います。
7月28、29と、休んでしまいましたが、
その他はスケジュール通り参ります。
どうぞよろしく、お願いいたします。
家族を、私を、私の歌を、愛してくれた。
私も尊敬し、愛していた。
いえ、
愛しています。
ずっとずっと、愛しています。