引き籠もっております。家でワインなんぞ。
寒くて買い物億劫。徒歩一分のセブンイレブンイイ気分へ。
パン、生ハム、ポテト、スモークチーズと、シラーズの赤ワイン購入。
カベルネ・ソービニョンと同様、シラーは好きなブドウだ。
パセリとしめじは冷蔵庫にあったのでさっとオリーブオイルで加熱。
せめてワイングラスは、お気に入りの絵入りのものにして。
うむ。悪くない。悪くないよ。いいじゃんこれ。
ものぐさの、極上の、ひとやすみ。
安上がりだなぁ私って。
引き籠もっております。家でワインなんぞ。
寒くて買い物億劫。徒歩一分のセブンイレブンイイ気分へ。
パン、生ハム、ポテト、スモークチーズと、シラーズの赤ワイン購入。
カベルネ・ソービニョンと同様、シラーは好きなブドウだ。
パセリとしめじは冷蔵庫にあったのでさっとオリーブオイルで加熱。
せめてワイングラスは、お気に入りの絵入りのものにして。
うむ。悪くない。悪くないよ。いいじゃんこれ。
ものぐさの、極上の、ひとやすみ。
安上がりだなぁ私って。
シャンソンの出前。南柏に行って来た。
場所は「Amore」ここは飲み屋さんで、
美人のフィリピン人ママさんが、お料理したり歌ったり(マジ上手い)、
普段はカラオケでお客さん達がのど自慢大会のような店だ。
私は少々場違い?と恐る恐る伺ったのだが、
普段演歌バリバリのおじさま達が、
「シャンソン良いよねぇ。銀巴里行ったっけなぁ」
なんておっしゃるのを聞き、嬉しかった。
思いのほか盛り上がり、後半はリクエストいただき
シャンソン以外の歌も多かったけど、
喜んでいただけて本当に良かった。
皆さま、ありがとうございました。
またお逢いしましょうね!
今日の出前、実は仕掛人は弟だった。
よっ、営業部長!
有り難き、きょうだいの存在。
基本活字中毒である。といってもいいかな。
本を持たずに外出すると不安で、その辺で何か買ってしまう。
読みかけの本を忘れた時なんか、凄く気になる。
本でなくても何でも良いから、文字を追っていないと手持ち無沙汰。
なんでこんなに間が持てない人間になってしまったのか。
家でゴハン食べる時にも読んでいて、あー駄目だ、と思った。
お行儀悪いですよ。
小さい頃、我が家には父親による、
「食事中はテレビ消せ」という怖い掟があった。
でもまだ、テレビ見てる方がましだよね。
あ、そうか。
私は、テレビジョンなるものを持っていない。
それが活字中毒にさせるのか。
うーむ。それは大げさだ。
しかし、時代に取り残されて行くような危機感は、
無いわけでもない。
読み物が時代小説多いし。。。
頭の中が江戸時代のまま、シャンソン歌ってる変な私なのである。
洗濯物を干して部屋に入ると、
手のかじかみ、ひとしお。
両手をこすり合わせながら口元に持って行く。
ふと、母の冷たい手を思い出した。
真冬の朝。母の冷たい手が、私を起こす。
「ほらほら、起きなさい」
外から帰って来た母の、冷たい手。
何故に朝から外なのかと言うと、
彼女はヤクルトおばさんであった。
当時は早朝、牛乳みたいに宅配していた。
幼い私が腸の弱い子で、それにはヤクルトが良いと聞くと、
それなら自分がその仕事やっちゃえ、という母であった。
そのためにはバイクの免許も取ってしまった。
合格の時、女性二人しか居なかった。
その人と抱き合って喜んだと言う。
やるなぁ、母。
母は強し。母は無敵。
冷たい手が呼び起こす、温かい思い出。
指先に頬の熱を吸わせながら、しばし時を旅する。
冬は、寒いだけではない。
喪中だからお参りはしない。
けれど、ここのとこお見舞いに行ってる成田。
ハナエさんに逢いに行くことは、
私にとって教会や神社仏閣に行くにも等しい。
彼女自体が「パワースポット」なのだもの。
体の調子は落ち着いているよう。
日曜日だから、いろんな人に逢った。
ご縁とは有り難いものだ。
酸素の管が鬱陶しそう。それなのに、美人のハナエさん。
花が開くような笑顔で迎えてくれた。
ハナエさんの名前の通りと思った。
「また来るね、バイバイ」
と言ったら、
「バイバイ」と言った。
歌が聞きたい、とも言った。
うん。歌うよ。何か録音して来ようか。
何がいいかな。
蕎麦屋で熱燗。これぞ冬の楽しみ。
瓶は思いのほか熱く、
つまんだ指を思わず耳たぶへ。
そんなことすら楽しい。
でもこういう仕草って、今時するかしら。
天ぷらを塩でかじりながら、手酌酒。
誰のためでもない、自分だけのペースで。
しかも右手しか使わない。
左手は本を持っているため塞がっている。
かなり行儀は悪いが、誰にも迷惑はかからない。
安い酒ではあるが、充分だ。
充分幸せになれる。
値段じゃぁないのだよ。
帝国ホテルの上に、月が出ていた。
銀座八丁目で歌い終わって、日比谷まで歩く道すがら、
月を見つけて良い気分。
眺め、見つめて、ほろ酔いの体がよろめく。
写真を撮ってもうまくいかない。
だから、まぶたの奥に焼き付ける。
太陽は数秒しか見ちゃ居らんないもんなぁ。
高校生のとき、更級日記の感想文にそんなことを書いたっけ。
寒いと夜空が綺麗で嬉しい。
銀座のネオンで星は目立たないけれど、
月はやはり美しい。
この疲れ果てた人間たちを照らしたまえ。
月よ今夜もありがとう。
公園を横切ろうとして、ふと足の裏にかすかな感触。
ザクッ。霜柱?
子供の頃、面白がって踏みしめたものだ。
しかし、「霜柱」とか「霜焼け」とか、
滅多に聞かなくなったなぁ。
小気味好く、ざくっざくっと歩きながら、口から出た一節。
ざっくざっくざっくり、ざっくりこ
しもばしら ふみながら
となりのまちまで おつかいに
やりきれないような短音階の、小さな歌。
小学校のとき?音楽の教科書だか歌集の歌だったと思う。
寒い、冷たい世界に、マイナーの音。
こういうのって、救いがないというか、
例えば、「雪」(ゆきやこんこ あられやこんこ)の場合、
あの歌はメジャー、長音階だから救われるってもんだ。
「霜柱」でしょう?しかも「おつかい」
隣町まで使いにやられる子供の顔まで浮かんでくるよう。
下町の丁稚か職人の子飼、田舎は子沢山で帰ることも出来ない、
幼いうちから苦労が耐えない子供。。。
なんでか知らぬが、その子の歌のように思えてならない。
山本周五郎の読み過ぎか?
ところで、ちょっとした食材や日用品を買いに出るとき、
なんと言うか。
「買い物に行く」
「お使いに行く」
私は買い物かご下げて行く場合は、後者だと思う。
ニュアンスが違う。面白いね。
霜柱を踏んだのは、お使いの帰りであった。