癒しの庭Ⅲ

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今日の3つの事!

2008年04月10日 | Weblog

 

   午前中は巡検使道の探索です。江戸時代の今は道無き道を3時間3人で歩きました。

   江戸時代、幕府は将軍の代が替わるたびに目付役を地方に派遣し監察させました。それが巡検使(巡見上使、または廻国上使とも言う)で、その方(普通は3人セット)達の行列(御駕籠)が通った道が巡検使道なのです。

   ほとんど通行不可(勿論歩いてです)の状態で、やがては全く無くなってしまう巡検使道ですので、ご高齢の史談会の会長さんにご案内して頂き、さらに私よりは高齢の神主様をお誘いして、笹をかき分けたり、倒木をのり超えたり、交尾しているシマヘビ群を迂回して歩いたり、約3時間歩き、後世の人に語り伝える(近々は案内する)ことのできる証人になることが出来ました。

             

   右が最近営林署が作った林道で、左のやや高い所に向こうに向かう道(らしいもの)が江戸時代の巡検使道です。

             

   ここは一番歩きやすい巡検使道です。巡検使様はここを御駕籠に乗って、秋田市方面から来て青森方面に行って、そしてここを通って盛岡市方面に向かったと記録にあります。

   秋田藩には11回来ています。当市の南部藩には9回来ています。徳川将軍は15代までですので、秋田藩の11回は回数が足りないのですが、3代将軍の家光公から始まった事です。それでも秋田藩で1回足りず、当地南部藩では3回足りません。それは江戸から距離が遠く途中で巡検使様がご病気になり、途中で中止になったりしているからです。

   当地ご巡検9回目の天保9(1838)年には、普通は3人でお出でになるのですが、お一方がご病気となり、二人でいらしたのです。当時の記録(古川古松軒著「東遊雑記」)に詳しいことが書いてあります。

              カモシカの糞です・・・・

             バッカイ沢の水源・・・・

                                          (詳しくはトンネルの出口です・・・・)

 

   貴重は体験をした午前中でした。

   午後は八戸に用事があってお出かけしました。

   夜は東京の友さん達が来て下さいました。

   久々に楽しい一時でした