癒しの庭Ⅲ

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盛岡までの古道の下見、途中まで!

2008年09月28日 | Weblog

 

   10月末、盛岡までの古道と盛岡でのお墓探索?の講師を頼まれ、先日会長さん方と下見に行ったのですが、一部不安な所がありおかあさんとお出かけしました。下道(高速道でない)での盛岡までの往復はおかあさんにはまだ無理なので、途中の西根道の駅で折り返しました。新たな発見の多いお出かけでした。

            

   古道の確認には古絵図での確認が必須です。上は先に八幡平市博物館で見た絵地図です。さして気にもとめず写真を撮ったのですが、よく見ると気になることがたくさんあります。岩手山は岩鷲山(がんじゅさん)と書かれています。十和田湖は十和田湖の形ではなく無造作に青く塗られています。川と道路、村名は丁寧に書かれ、一里塚もきちんと書かれています。随分古いものに思われます。

   今回もう一度お邪魔し、年代と出所をお聞きすると以下のようなものでした。

            

           

 

  調べてみると、徳川幕府は各藩の領内図を作成・提出することを命じています。

           ① 正保[しょうほう]元年(1644)                                         ② 元禄[げんろく]10年(1697)                                                           ③天保[てんぽう]7年(1836)

 この「盛岡分国之全図」は、正保元年(1644)の写しということになります。岩手山はまだ噴火していません。岩手山の噴火は1686~7年ですので、元禄や天保の絵地図には岩手山は噴煙を上げていることになります。岩手山の歴史、噴火した年なども調べてみたら面白いことが分かりました。

 

  帰りは松川温泉の「松風荘」に寄りました。

          

                     

   ここはこの岩風呂で有名ですが混浴です。4時から5時までは男性、5時から6時は女性となっていました。私たちが着いたのは4時30分、私が入っても間もなく私は出ることになるのでここには入りませんでした。「松風荘」内には男女別の内湯の他に混浴の露天風呂もありました。

               

   久々に温泉の香り高い濁り湯を楽しむことができました。

   温泉のお好きな方には、是非一度はとおすすめする温泉です