走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

共助と互助

2009年09月22日 22時03分04秒 | つぶやき
 部下と地域の互助機能の低下の話していて、奥さんの実家の話を聴きました。
 奥さんの実家は、まだまだ地縁が残っていて、家に鍵をかけないのだそうです。
 ある時、帰宅すると皿にのせたコロッケがあって、明らかに誰かが来た形跡がある。
そして、そのコロッケを食べると、「ああ、○○さんか!」とわかるのだそうだ。

 この話を聴いて「煩わしい」と思ったり、「勝手に進入してくるなんて家宅侵入罪よ」と思われる方は、まず互助の話をしても何の役にも立たないと思いますので、読みとばして下さい。

 行政改革担当をしていた時に、仲間に嫌われる宿命でした。
それでも仕事を貫徹するために、そのよりどころを探しました。
 そして、迷った時には「温故知新」。
 歴史上の改革者を探しました。

 当時はインターネットもない。
 本屋に通い、行き当たったのが「上杉鷹山」でした。
 教科書で習った改革者のイメージは、徳川吉宗や松平定信などでしたが、それまで恥ずかしい話ですが彼の存在すら知りませんでした。
 ですから、はじめて「上杉鷹山」の本を手にしたときには、「何?」でした。

 買ってかえって頁をめくるうちにどんどん入り込んでいき、一気に読んでしまいました。
それまで抱えていた課題や方向性の答えがそこにありました。
 そして、その中で最も印象的だったのが「自助・互助・共助」の精神でした。
実は、私が携わった時の本市の行政改革大綱の中に、住民自治という項目ではじめてこの言葉を引用しました。
また、そこから「市民力」という造語が生まれました。

 地域住民の自治について整理をしていくうちに、優先順位は、まず自分のことは自分でする「自立」、それで無理なら互いが助け合う「互助」、それでもできないときにはじめて「公助」という考え方が前提にないとなしえないということに気づきました。
 住民の自治を語るとき、私たちが気をつけなければならないのは、美辞麗句が先行し、あたかも公助が優先すると勘違いさせないことだと思うのです。

 そして、この「互助」を最近は「共助」という言葉に置き換えることが多くなっています。
 よくよく考えると助け合う立ち位置が対等の立場の時に「共助」ではないかという気がするのです。
 しかし、現実は、強い者と弱い者がいます。
大切なことは、強い者が弱い者に対しても敬意をもって接しあう社会でなければ、互いが助け合うということにはならないような気がします。

 私は、やはり上杉鷹山の「互助」の方を使います。