法政大学大学院政策創造研究科教授の坂本光司さんの講演を聴いたことがあり、その話に吸い込まれて、あさ出版から出ている「日本でいちばん大切にしたい会社」を1巻・2巻まとめ買いしました。
その中に、「樹研工業株式会社」の紹介がありました。
その内容は、ある社員が重い病気にかかり三年間闘病生活を続け、結局は病院で息を引き取ったそうです。
その間、同社はこの社員に対して病に伏せる前年の年収を16で割り、毎月、前年と同じ月給を支払い、夏と冬に二か月分のボーナスを支給したそうです。
どんなに厚遇している企業でも半分くらいしか支給されない中で、これは破格の待遇でしょう。
また、同社が立派だったのは、この支払い方法であると坂本さんは言いいます。
そのお金を銀行振り込みや家族に取りに来させるのではなく、毎月、その社員の枕元まで現金を届けたというのです。
そして奥さんは、ご主人の枕元からありがたく家に持って帰られたそうです。
ある時、坂本さんは、同社の松浦社長にこのことをたずねました。
松浦社長は、
「人間、誰でも運悪く交通事故にあったりします。ましてや、その人が死んでしまったとするならば、いちばん困るのはあとに残された家族です。会社で、どんな盛大な社葬を上げたとしても、その家族の生活が楽になるわけではありません。社員だけではなく、家族もわが社の仲間ですから」と応えられたといいます。
実は、私も高校二年のときに父親が仕事中の事故で亡くなり、盛大な社葬を上げてもらいました。
そして、勤続年数にかけた見舞金が支給されました。
ただ、父親は何度か転職をしていましたから勤続年数は短いものだったため、当時の交通事故死の保険金と比べても三分の一以下だったと思います。
家族にとって一家の大黒柱を失うことで、どれほど生活が困窮するかは身を持って経験しています。
それだけに、同社の姿勢は頭が下がります。
何よりも、病床のご主人からお金をもらう奥さんの気持ちは、「うちの主人はこんなにも会社から感謝されているんだ。これほどまで主人は会社に貢献したんだ」と誇りに思います。
実は、この「誇り」こそが家族にとってのそれからの人生の糧になるのです。
形のない「誇り」が時として生きるためのエネルギーになるということを感じた素敵な話だったのでご紹介しまた。
その中に、「樹研工業株式会社」の紹介がありました。
その内容は、ある社員が重い病気にかかり三年間闘病生活を続け、結局は病院で息を引き取ったそうです。
その間、同社はこの社員に対して病に伏せる前年の年収を16で割り、毎月、前年と同じ月給を支払い、夏と冬に二か月分のボーナスを支給したそうです。
どんなに厚遇している企業でも半分くらいしか支給されない中で、これは破格の待遇でしょう。
また、同社が立派だったのは、この支払い方法であると坂本さんは言いいます。
そのお金を銀行振り込みや家族に取りに来させるのではなく、毎月、その社員の枕元まで現金を届けたというのです。
そして奥さんは、ご主人の枕元からありがたく家に持って帰られたそうです。
ある時、坂本さんは、同社の松浦社長にこのことをたずねました。
松浦社長は、
「人間、誰でも運悪く交通事故にあったりします。ましてや、その人が死んでしまったとするならば、いちばん困るのはあとに残された家族です。会社で、どんな盛大な社葬を上げたとしても、その家族の生活が楽になるわけではありません。社員だけではなく、家族もわが社の仲間ですから」と応えられたといいます。
実は、私も高校二年のときに父親が仕事中の事故で亡くなり、盛大な社葬を上げてもらいました。
そして、勤続年数にかけた見舞金が支給されました。
ただ、父親は何度か転職をしていましたから勤続年数は短いものだったため、当時の交通事故死の保険金と比べても三分の一以下だったと思います。
家族にとって一家の大黒柱を失うことで、どれほど生活が困窮するかは身を持って経験しています。
それだけに、同社の姿勢は頭が下がります。
何よりも、病床のご主人からお金をもらう奥さんの気持ちは、「うちの主人はこんなにも会社から感謝されているんだ。これほどまで主人は会社に貢献したんだ」と誇りに思います。
実は、この「誇り」こそが家族にとってのそれからの人生の糧になるのです。
形のない「誇り」が時として生きるためのエネルギーになるということを感じた素敵な話だったのでご紹介しまた。