走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

二人の校長先生

2010年06月10日 00時05分14秒 | 考え方
林住職の講話第六弾。

 ある中学校の二年生の男子が放課後、野球部の練習中に心臓発作で倒れて救急車で運ばれたが、そのまま帰らぬ人となった。
 葬儀の日、その中学二年生全員が葬儀に参列したいと校長先生に申し出た。
しかし、校長先生は「学生の本分は勉強である」とこれを拒否したという。
それに反発して、二年生全員が体育館に座り込み、最終的には校長先生が代表九人だけが参列することで折り合いをつけた。

 その話を聴いた亡くなられた生徒のご両親は、葬儀を遅らせ、霊柩車が正午にその中学校の校門の前に着くようにされたそうである。
そして、霊柩車が校門前に着くと、二年生全員が食事も取らず、その霊柩車を取り巻き、号泣したというのである。


 もう一つの話は、車椅子の少年が普通の学校にいきたいと希望した。
そして、この少年には素敵な友達がたくさんいた。
小学校、中学校へとその少年は心優しい友達の手を借りて、無事、9年間通学できた。
しかし、卒業式の前の日、少年は風邪を引いてしまった。

 少年は、卒業式の当日、迎えに来た友達に「君たちのおかげで僕は卒業することができた。卒業式には出れないけれど、後悔はないよ」と言ったという。
その話を聴いた友達は、そのまま少年を残して卒業式に行った。

 お昼に少年の自宅のチャイムが鳴った。
 今日はお父さんが早帰りすると言っていたので、お父さんが帰って来たんだと思いながら、お母さんがドアを開けると、少年が通った中学校の校長先生が立っていた。
その傍らには、担任や教科担当の先生方、そして少年の世話をしてきた友達がいた。

校長先生は、「大変失礼とは思ったのですが、どうしても卒業式をあげさせたくて押しかけてきました。部屋で卒業式をさせていただけませんか」と

 林住職は、この二人の校長先生を比較するために、この話をしたわけではないといいます。
なぜなら、見方によっては前者の校長先生も、後者の校長先生も、どちらも正しく、どちらもどうかなという評価ができるからです。
林住職が言いたかったのは、その校長先生の行動や言動を見て、子どもたちの未来がどう変るかということです。
 人の一生は長いようで、短いものです。
大事なのは、いかに素敵な出会いにめぐり合うかで、その後の生き方が豊かになるかどうか決まるというのです。

 私たちは、人から影響を受けるだけでなく、影響を与える側でもあるということです。
このことを肝に銘じなければなりません。
日々の何気ない行動や言動が、気がつかない間に相手に多大な影響を与えてしまうということを。

 自分の過去を振り返ると、後悔の連続です。
 まだまだ未熟です。
 もっともっと精進しなければならないと反省と決意をしました。

お金の価値

2010年06月09日 05時21分35秒 | ちょっといい話
林住職の講話第五弾。

 知的障がい者を生活苦や家庭の事情等で面倒を見ることが出来ない家族のために18歳まで預かる施設があるそうです。
 そういった施設は、子どもたちを家族に代わって献身的に慈しみ育んでくれているそうです。
その中で、子どもたちを送り出すときにテストをしている施設のお話です。

 その施設では、子どもたちの前に硬貨をバラバラにおいて、価値の高い順に並べ替えをさせるそうです。
それは、世の中と触れ合ったときに最低限、お金の価値だけは知っておいて欲しいという親心にも似た思いからなのだそうです。

 そして、500円玉・100円玉・50円玉・10円玉・5円玉・1円玉と子どもたちが硬貨を並べてくれると雲にも上ったような嬉しさだというのです。
でも、この大人たちの思いを覆(くつがえ)すような出来事が起こったそうです。
 それは、A子ちゃんのテストのときでした。
どきどきしながら先生たちがA子ちゃんを見守る中、A子ちゃんは10円玉を最も価値の高い硬貨と選んだそうです。
もう一度やらせたそうです。
でも結果は同じでした。
何度やっても同じ結果です。

 でも、先生方はここであきらめなかったというのです。
これは、何かあると。
そこで、A子ちゃんの平素の生活様式について先生方は話し合ったそうです。
朝起きて、夜寝るまでの生活習慣は毎日毎日判を押したように繰り返されます。
それを時系列に話していくうちに、「A子ちゃんにとっての最大の喜びは何だろう」ということになりました。
A子ちゃんはお父さんと二人きりの父子家庭です。
でも、そのお父さんも病気で入院されておられるために、A子ちゃんの面倒が見られないという家庭の事情があったそうです。
ですからA子ちゃんは毎日、そのお父さんに電話をして、お父さんの声を聴くのが何よりの楽しみでした。
「あ!!」と一人の先生が声を上げました。
「みなさん、赤電話です。A子ちゃんがかけている電話は公衆電話の赤電話です。赤電話は10円玉を入れます。500円玉でも、100円玉でもありません!!」
先生方は顔を見合わせて、自分たちが言う「お金の価値」について改めて考え直させられたそうです。

 林住職は続けて言われます。
 お金も含めて、モノの価値は人それぞれでちがうと思います。
 世間で言う常識が、その常識といった価値観で判断されていいものでしょうか。
 私たちはもっと柔軟に幅広くいろいろな価値観があり、それがあってもいいということを認めるところから始めないと何も始まらないと思いませんかと。

 私もA子ちゃんのような価値観を持つことが出来るのだろうかと問いかけながら、これからの生き方を見つめ直したいと思います。


6月の立岩ダッシュ村

2010年06月08日 06時05分32秒 | 子ども体験学習
 立岩公民館の池田公民館主事から6月6日に行なわれました「立岩ダッシュ村」の写真が送られてきましたのでご紹介します。



池田公民館主事のメッセージには、「田植え・ジャガイモ収穫・中村PTA会長の蒸しパン作り・夕日眺望を行いました」とありました。
関係者の皆さん、お疲れさまでした。

これじゃあ、いかんのです

2010年06月07日 21時14分19秒 | つぶやき
 昨日、友人のご子息が入所している「子ども療育センター(愛媛県東温市)」に行ってきた。

 久しぶりに見る息子さんは、大きくなっていた。
重度の障害のため、指を少しだけ動かして自分の思いを表現するのが精一杯。
 しゃがみこんで話しかけると、うれしかったのか、うれしいと指で表現してくれた。
周りの先生たちが、「本当にうれしいんやねぇ」と言ってくれた。

 むしょうに可愛く思えて抱きしめたかったが、食事中だったのでかなわなかった。
 別れ際にバイバイすると、ちいさくバイバイしてくれた。
でも、そのバイバイは悲しそうだった。

 それから友人は、その施設を案内してくれた。
 幼稚園児から高校生までクラスが分かれているが、なぜか入所している子どもたちも先生たちも明るい。
友人が「医術が発達したので昔は死んでしまっていた子が助かるようになったけど、その分このような子どもたちが確実に増えているという現実があります。助けてくれた後は家族の責任になる。知っていますか、こういう子どもたちを持つ親の離婚率が高いということを。母親は、必死で生活しながら、子どもたちの面倒を見ている。こういう施設に入れていても、子どもの容態が悪くなると傍についておかないといけない。普通の仕事なんかできるわけがない。精神的にも経済的にもボロボロになる。今、この国には本当の救済システムがないと思う。これじゃあ、いかんのです」
友人には三人の重度障害をもった子どもがいる。

 彼は一切泣き言を言わない。
どこまでも現実的に、この子達が将来、一人の人間として尊重され、輝く人間になるよう汗をかいている。
時にその行動は行過ぎたり、理解できなく映る。

 友人の心の叫びは誰にも理解できない。
弱音を吐くと雪崩のように自分の心が崩れていって、止まらなくなるのではという不安があるのかもしれない。

 私は、この友人のために何ができるのか、よく自分に問いかける。
でも、その答えはまだ出てない。

 これじゃあ、いかんのです...

ル・コルビュジェ展

2010年06月06日 22時27分26秒 | おもしろい
 今、愛媛県立美術館(http://www.ehime-art.jp/)でル・コルビュジェ展が7月11日まで開催されています。
友人に進められて今日この展示を観にいきました。
1930年代に世界の都市計画に影響を与えたということです。
 都市づくりにも明確なコンセプトをもって造ていく必要性について学びました。
愛媛県立美術館のホームページに同展示の紹介がありましたので引用させていただきます。
 まちづくりの勉強をしたい方は、ぜひお出かけしてみてはいかがでしょう。

スイス生まれ。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャンネレ。
スイスの美術学校で彫刻、絵画、建築を学ぶ。
1917年にパリに移り、1912年からラ・ショー=ド=フォン芸術学校で教鞭をとる。
1920年に雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」を創刊。
1922年に設計事務所を開設する。
1928年に設立されたCIAM(近代建築国際会議)の中心メンバーとして活躍。
生涯にわたり建築や家具デザイン、絵画、彫刻、都市計画など幅広い分野において多彩な才能を発揮した。
主な作品には「サヴォワ邸」や「ロンシャンの礼拝堂」がある。
日本では上野の「国立西洋美術館」が唯一の作品。

 ル・コルビュジエは近代合理主義をモダニズムに昇華させた20世紀建築史に残る巨匠です。
ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトらと共に近代建築の3大巨匠の1人と称されています。
鉄筋コンクリート造で装飾を抑制したデザインは、機能美溢れるインターナショナルスタイルとして普遍的価値をもたらしました。
都市計画では、機能性とともに人間中心の思想をさらに推し進めました。
健康な暮らしのためには、「太陽、空間、緑」が不可欠として「輝く都市」を提唱。
高層ビルと高速道路のネットワークで都市機能を高める一方でオープンスペースの緑地化、歩車道の分離、歴史建造物の保存を両立させ、誰にとっても快適な都市環境づくりをめざしたのです。
ル・コルビュジエの思想は1933年開催されたCIAM(近代建築国際会議)で「アテネ憲章」として採択され、各国の都市計画に大きな影響をもたらしました。
 時が流れても都市の健康が重要なテーマであることに変わりありません。
WHO(世界保健機構)は「健康都市」を提唱し医療・福祉分野に限らず、さまざまな領域の人々が地域をあげて連携し、社会と経済の健康水準を高めることを推奨しています。
都市環境がいかに変貌を遂げようとも、人間中心の思想は普遍なのです。
本展ではル・コルビュジエの都市計画を中心に総合芸術としての足跡を辿り、その業績を継承する日本、特に愛媛のモダニズム建築を紹介します。
そしてル・コルビュジエの遺産を「健康都市」の視点で未来に引き継ぐべく、展示や関連イベント、講演等を通して過去から未来への都市環境を展望します。

あったかい心

2010年06月04日 22時25分03秒 | ちょっといい話
 松山に「すみれ」というお好み焼き屋さんがあります。
 とても流行っていて、ほかのお好み焼き屋さんとは雰囲気もメニューも、またスタッフ教育も同業者とはまったく異なります。
このお店を経営するのは元地方公務員です。
昨年、あるきっかけで知り合うことになり話をしたところ、意気投合しました。
 そして、今、お好み焼き屋「すみれ」は三店目をオープンする予定です。

 この「すみれ」のユニークなところは、具材の「地産地消」にこだわるだけでなく安心安全な商品提供を目指して具材づくりからすべて自分たちでやってしまおうというところまで行き着いてしまったところです。
 そこに、「奇跡のりんご」つながりでNPOユニバーサルクリエートに声がかかりました。
無農薬無肥料で具材をチャレンジドに作ってほしいという要望です。
すみれさんは、これによりチャレンジドの就労支援につながるということを理解してくれているのです。

 そして、まず、麦と豆を植えました。
 麦の効用は、地下深くまで根を張りますから土の改良につながります。
 そして豆は、食いしん坊ですから肥えすぎた土の栄養を吸い取ってくれるのです。
 この二つの植物の力を借りて土を元気にしておいてから主役のキャベツを植えることとしています。
 そして、蝶が嫌うハーブなどもあわせて植えることとしています。
 これにより、見た目は悪くても元気で安全なおいしいキャベツを作ることとしています。

 私たちは、このプロジェクトを「キャベツ・プロジェクト」と呼んでいます。
 そして、NPOユニバーサルクリエートにチャンスをくれたすみれさんの温かい心に感謝です。



  

 

いっしょに泣いてあげれる心

2010年06月03日 22時31分02秒 | ちょっといい話
林住職の講話第四弾。

 林住職は、医療関係者たちと毎月一回、一年間勉強会をしたことがあるそうだ。
その何回目かの時に、寺本さんという看護士のカリスマ的存在の方を講師に招いたそうです。
 そして、講演が終わり聴衆者から質問を受け付けました。

 一人の若い女性が手を挙げました。
指名されると、その女性は
「私も看護士です。
でも、今は休職をしています。
その理由は、ある若い女性の患者さんが乳がんで亡くなられたときに、小さな子どもが二人いて、その母親にしがみついて泣きじゃくる様子を見て、思わずその二人の子どもを抱きしめて、いっしょに泣いてしまったのです。
それから、さまざまな指示が飛んできたのですが、私はそのまま泣きじゃくってしまい、その指示をこなすことができませんでした。
あとから、医師や先輩から『おまえは看護士にはむいていない。指示通り動けないならやめてしまえ』と罵倒され、自信を喪失してしまい、休職してしまいました。
私は看護士にはむいていないのでしょうか」と。

 林住職は、寺本さんがどう応えるのか、会場の一番後ろで聴いていたそうです。

 寺本さんは優しい声で、
「その時に泣けない人は、看護士にはむいていないし、なってはいけないのだと思います。
私もいつも泣いていました。
指示通り動けなかったのは単に経験不足ということだけです。
経験を積めば、泣きながら指示通り動けるようになります。
どうか、いつまでも、いっしょに泣いてあげれる心を忘れないで下さい。
本当に大事なことですよ」
 質問した女性は泣きながら何度も何度もお礼を言ったそうです。

 今、世の中はあまりにも温かい心をどこかに置き忘れてきたという気がします。
相手を思いやる心があれば、相手の心がわかり、同じ気持ちになれると思うのです。

 少しだけの思いやりからスタートしませんか...

一流の客室乗務員(フライトアテンダント)

2010年06月02日 23時31分33秒 | ちょっといい話
林住職の講話第三弾。
今、なにかとお騒がせのJAL(日本航空)の国際便のフライトアテンダントの話。
林住職は、様々な企業の社員研修の講師としても活躍されておられるそうですが、よくそのネタ探しとして事前に現場スタッフの話をヒアリングされるそうです。

 そして、紹介されたフライトアテンダントに「何か想い出に残った経験はありますか?」という質問を投げかけたところ、「日々のサービスをいつもと変わらずに提供していますので、これといって想い出といわれても..」と悩まれたそうです。
事前に彼女がトップクラスのスタッフであり、超VIP対応も任されるくらい有能であると聞いていたので、この応えは意外だったそうです。

 すると急に彼女は顔を曇らせて「ひとつだけとっても忘れられないことがあります。」
林住職は「それは何ですか?」
彼女は話し始めました。

 カナダ・バンクーバー便に搭乗したときのことです。
 その日はビジネスクラスを担当させていただいたのですが、窓際に座られている男性が険しい顔をしておられたのです。
私は、おそらくこれから難しい商談に向かわれるか、飛行機の長旅で緊張されておられるのではないかと感じました。
私たちは、そういったお客様が搭乗中、少しでもリラックスしていただくことを願い、最善のサービスを提供しています。
 そこで、まずお客様の名前を覚え、そのお名前を呼ぶことでお客様との距離を縮めようと思い、搭乗者名簿を見ました。
すると、ご夫婦連れになっていました。
でも、奥様がおられませんでした。

 奥様が急にトイレに立たれたので、そんなに険しい顔をしているのかと思い当たりました。
 しかし、一向に席に戻られないのです。
 そうこうするうちに飛行機が動き始めました。
 私は、あわてました。
 急いで、その男性の席に行き奥様の様子を尋ねようと駆けつけました。

 そして、その男性の隣のシートを見て、思わず息を飲み込みました。
そこには、女性の写真が入った額に黒いリボンが巻かれていたのです。
行きすぎとは思いましたが、
「きれいな方ですね。奥様ですか?」とたずねました。
男性は目に涙をためながら、
「はい、家内です。現役当時、旅行へ連れて行ったことがなかったので引退をしたら海外旅行へ連れて行ってやるといったらたいそう喜びまして、行き先も本人が決めたのですが、一ヶ月前に脳梗塞で急に亡くなりました。
そこで今回の旅行をキャンセルしようと子どもたちに相談したところ、お母さんはとっても楽しみにしていたのだからぜひ行くべきだと。
そして、二人で行くのだからチケットも二人分取りなさいと。
一人分だと見ず知らずの女性が座るとお母さん、焼きもちやくよと。
そこで、旅行会社に行き相談したら、担当の女性スタッフが泣きながら『大丈夫ですよ、ご主人の隣には奥様が座れるように常に隣の席を空けておきます』と言ってくれたんです」

 その話を聴いた私は、すぐに機長に相談しました。
機長は、「機内にある赤ワインの中で最高級のワインを二人分、私からと言ってプレゼントしてください」と指示があり、すぐにグラスに入れご主人と奥様の前に出させていただきました。
すると、機長から機内放送があり、「はじめて海外旅行に行かれるご夫婦の記念に私からワインをプレゼントさせていただきました。どうぞ、ご旅行をお楽しみ下さい」と。

 そして、その様子を見ていた後輩たちが「私たちも何かしたい」と言って、機内に飾ってあった生花を集め、リボンで巻いて奥様の席にもって行き、「奥様の旅が素敵なものになりますように」と言って置いたのです。

 それからしばらくして、その席から声を殺した泣き声がしばらく聞こえてきました。


 JALとは、こんな素敵なお客様サービスができる会社なのです。



温かいパチンコ屋さん

2010年06月01日 20時20分49秒 | ちょっといい話
 林住職の講話第二弾。

 あるサービス産業の従業員300名の研修にいった時の話。
 数が多いので100人づつ3班に分けたそうです。

 研修は無事終わり、しばらくしてその研修を受けた人たちから感想文が手元に届いたそうです。
しかし、300人からの感想文です。
なんといっても忙しい。
担当者に電話して、全部読まないといけないかたずねました。
担当者は「ぜひ、一番上の感想文だけでも読んで欲しい」という回答でした。

 読み進めるうちに涙したというのです。
 その内容は、次のようなものでした。

 私は6年前に恋人を亡くしました。
 直後、私は彼の死を信じられず、しばらくの間、彼とデートをした思い出の場所を休みのたびにたずね回りました。
そして、ある日、パチンコ屋さんの前を通った時、彼と来たパチンコ屋さんだと気づきました。
そして気づくと、そのパチンコ屋さんに入り、彼が定席にしていた端っこの台の前に腰掛けていました。
なんだか彼のぬくもりが伝わってくるような気がしました。
私は、いつも彼の席の横に座り、二人で楽しくパチンコを愉しんでいたことを思い出すと、涙があふれてきて止まらなくなりました。

 そんな私の様子を心配して、店員さんが声をかけてくれました。
私は、彼のことを話しました。
するとその店員さんは、「ああ、覚えてますよ。とても仲のよいカップルで、いつも笑いながら楽しくパチンコをしておられましたね。そうですか、しばらくみないなあと思っていたのですが、亡くなられたのですか。それは残念ですね。」
 私は、彼のことを私以外の人が覚えてくれていると知ったとき、よけいに涙が出てきて涙が止まりませんでした。
 そして、私は泣きながら、その店を後にしました。

 それから何ヵ月後かに、そのパチンコ屋さんの前を通ると新装開店の花輪で埋め尽くされていました。
「ああ、とうとう彼との思い出のパチンコ台もなくなったのか」といいしれようのない寂しさに包まれました。
そして、気づくとその店に入っていました。

 すると、彼の台だけがそのまま残っていたのです。

 私はすぐにわかりました。
 彼と私のために残してくれたことを。
 涙があとからあとから出てきて、立ち止まったまま泣いていました。

 すると、あの時の店員さんがやってきて、「この席はあなたたちの思い出の席ですから、店長と相談してそのまま残すことにさせていただきました。」と話してくれました。

 そして、それから半年後、やはり新装開店で花輪が並んでいました。
 今度こそ、あの台はなくなっただろうと思いながら店内に入ると、やはりその台だけはそのままでした。

 私は、サービス業の仕事をしています。
 でも、店長さんや定員さんのようなサービスをお客様に届けたことがありません。
 なぜできないのか、ずっと悩んでいました、
 そして、先生の話を聴いて、その答えを見つけることができました。

 温かい心を持たないと、温かいサービスを提供することはできないことを。
 日々の忙しさにかまけて、このことをいつしか忘れていました。

 温かい心、ずっと持ち続けたいと思います。

この感想文は、このように結ばれていたそうです。