東日本大震災からもうずいぶんたちましたね。
あのとき、父ちゃんとみんみはバスから降りて、家の近所にある狭い商店街の入り口にいました。
電信柱がぐらんぐらん揺れてるのを見て、看板やら窓ガラスやら落ちてくると大変だと思い、まだオムツしてるみんみを抱きかかえ、バス通りまで戻り、広い交差点の真ん中にしばらくの間突っ立ってたことを思い出します。
そのあと、ぐちゃぐちゃになった家の中を片付けるのに夢中になってる間に、水やらおにぎりやらが売り切れちゃってて夕飯に困りました。
それに懲りて、緊急時に持ち出すものを詰め込んだリュックを作ったんですが、のど元過ぎればなんとやら……。
みんみも小学生になって、当時怖がってた津波の事も記憶から薄れて行ったように見受けられたある日、
むしょうに乾パンが食べたくなり、みんみの津波の記憶以上に薄れてたリュックを開けてびっくり。
中身の半分以上がみんみのオムツ。
たしかにオムツ取れるのが遅い子でしたけどね。もう掛け算とか出来てましたからね。
もしあの時大きな災害に巻き込まれていたら、と考えるとぞっとしますな。
震災当日、お出かけ先の出来事
震災の後の暮らし
あのとき、父ちゃんとみんみはバスから降りて、家の近所にある狭い商店街の入り口にいました。
電信柱がぐらんぐらん揺れてるのを見て、看板やら窓ガラスやら落ちてくると大変だと思い、まだオムツしてるみんみを抱きかかえ、バス通りまで戻り、広い交差点の真ん中にしばらくの間突っ立ってたことを思い出します。
そのあと、ぐちゃぐちゃになった家の中を片付けるのに夢中になってる間に、水やらおにぎりやらが売り切れちゃってて夕飯に困りました。
それに懲りて、緊急時に持ち出すものを詰め込んだリュックを作ったんですが、のど元過ぎればなんとやら……。
みんみも小学生になって、当時怖がってた津波の事も記憶から薄れて行ったように見受けられたある日、
むしょうに乾パンが食べたくなり、みんみの津波の記憶以上に薄れてたリュックを開けてびっくり。
中身の半分以上がみんみのオムツ。
たしかにオムツ取れるのが遅い子でしたけどね。もう掛け算とか出来てましたからね。
もしあの時大きな災害に巻き込まれていたら、と考えるとぞっとしますな。
震災当日、お出かけ先の出来事
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