トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
ウォーシミュレイションゲーム
日ごろ思ったことを書いていきます。

ようやく決まった警備会社

2014-03-14 09:26:50 | 日記
 ある警備会社に就職が決まりました。以前勤務した警備会社は施設警備でしたが、今回は、通行止めの看板のところに立っていたり、片側交互通行で車の誘導を行う警備員です。

 まず、研修を受けましたが講師の方とマンツーマンでの研修でした。警備の仕事にとても情熱を燃やしておられる方で、私より若干年齢は若いのですが、その熱意には打たれるものがありました。

 この手の警備会社は、たぶんどこもそうだろうと思うのですが、直行直帰となります。前日の夕方から夜にかけて会社の担当者から、勤務場所としてどこそこの何丁目の何番地の何号で、お客さんがどこそこという会社で、一緒に勤務する方がだれそれで携帯電話の番号は何番で、何時から勤務と指示されます。

 それをメモしてインターネットで検索したり地図を見たりして場所を確認します。この会社では公共交通機関を使うと交通費の上限があるのですが、原付だとガソリン代相当が支給されますので、多少遠くとも原付で現場に向かうことになります。ですから、現場の場所が確認できたら、そこまで行くルートを地図で調べて、どこそこの通りを通って、ここの交差点で曲がってとか、コンビニの近くに現場があるというように確認しておきます。たまたま車を売却した後、中古の原付を購入していたので助かりました。

 当日の朝は、出発するときに会社の担当者に、これからどこそこの現場に向かいますと連絡をいれます。私の場合、行きがけにスーパーで昼食用のおにぎりとペットボトルを買います。季節が暑くなってきてからは、おにぎりが悪くならないように保冷剤で冷やして持って行きました。

 会社からは、業務開始の30分くらい前には現場に着いているようにと指示されました。実際にお客さんである業者さんが来るまでに、通行止めならは迂回路をどうするかなど、現場周辺の状況を確認しておくことが必要だからです。私の場合は経験の豊富な方といっしょに勤務しましたので、それらの点は先輩が確認してくれていました。

 現場によっては、交代で昼食をとることもできますが、場合によっては通行止めの看板の横で立ったままおにぎりを食べるという状態でした。あと、トイレも問題です。現場に仮説のトイレが設置されている現場もありますし、近くのコンビニやスーパーなどが利用できる場合もあります。現場によっては、まわりに何にもない住宅地でトイレがないところもあるので、必要ならば現場に行き着く前にトイレのあるところですましておかねばなりません。

 あと、勤務の開始や終了にあたっても、会社の担当者に連絡をいれます。私の場合は先輩が連絡してくれておりましたので、特に連絡はいれませんでした。勤務時間もお客さんの作業の進捗によって異なってきます。だいたいの場合、多少短めの時間で業務が終了することが多かったです。

 そんなわけで、仕事につくことが出来、勤務が始まりました。私の場合、屋外での立ち仕事というのは経験がなかったので、最初のうちは、3日に1回ぐらいのペースで業務を入れてくれるようにお願いしました。



 

生活保護の相談に行ってみる

2014-03-13 09:55:04 | 日記
 うつ病まであることもあり、就職先はなく、そのため生活するには借金頼み。親から援助してもらっても借金の返済で終わってしまい、どうしようもない。という状態に陥りまして、最後の手段として生活保護を受けるしかないと思い、役所に相談に行きました。

 役所の担当者の方からは、懇切丁寧に生活保護の仕組みや受給するまでに必要なことなど説明をしてくださいました。私は独身で独り者ですから、ご家族がいる方などは金額などが異なってくると思いますが、だいたい次のとおりです。

 まず、生活保護受給の申請の出来る金銭状態は、手持ちの現金、銀行の預金をあわせて6万数千円になってからでないと申請ができないということです。つまり、その6万数千円で申請が認められて生活保護の支給があるまで、まかなってくださいということです。

 それから資産になるものは売却してくださいということです。私の場合は貴金属製品など持っておりませんから、唯一の資産は車です。走行距離はあまり乗っていないので短いのですが、購入してから5年ほどたっているので、売却してもたいした額になるとは思えませんでした。

 もうひとつが生命保険です。掛け捨ての場合はそのまま加入し続けることは認められるのですが、終身とかの場合だと貯蓄にあたる部分もあるため、解約して生活費に当ててくださいということです。

 それと家賃分の給付に上限があることです。私の場合だと5万2千円ぐらいとのことでした。当時住んでいた賃貸のマンションの家賃は、その額をかなり超えていましたので、給付内の家賃の住居を探して転居する必要があります。

 受給にあたっての要件は、だいたい以上です。そこで、まず、車をディーラーに売却することとし、生命保険も解約の手続きをしました。転居先を探すのはネットとかでも出来るのですが、一番重要なのが不動産屋と契約する際、勤め先がないと契約するのが難しいだろうということです。ですから、勤め先を探そうとしました。

 また、役所では一回相談しただけではなく、状況が変わったりしたら電話や直接担当者とお会いし、話を聞いてもらったりしました。役所の担当者そのものが転職先の斡旋をしたりするわけではありませんが、アドバイスをしていただいたりしました。

 で、ようやく勤め先が決まりました。



面接を受けてみるのだが

2014-03-12 09:37:17 | 日記
 警備会社を退職し、次の勤め先を探さなければなりません。インターネットで求人を集めたサイトを見てみたりしましたが、50歳近い人間の求人はなかなかありません。やはり警備会社ぐらいしか求人はないようです。

 そんなわけで、警備会社に応募してみたのですが、ある警備会社では私を採用したくないためなのかわかりませんが、これまで勤めていた会社などの住所や電話番号を全部書かせて、その会社などに在籍していたことを確認するとか、無職で仕事を探していた期間は友人等に確認できるようにしてくれとのこと。

 だいたいプライバシーの問題もあるので、会社にだれそれという人が在籍していましたか、なんて電話しても人事担当者が答えるわけがありません。あんのじょう、その警備会社からは電話もかかってきませんでした。同じ警備会社の違う支店にも応募してみましたが、やはり同様の扱いでした。

 そんななか、介護施設の求人情報を携帯にメールで知らせてきてくれている派遣会社から、近くの介護施設の派遣の仕事の情報が来ました。ちなみに派遣といっても、身分的にずっと派遣の扱いの場合と、紹介予定派遣といって3ヶ月ぐらい派遣で働きますが、その後で施設側と働く側の両者が合意すれば、身分が施設の正社員になれるという制度があります。

 その求人は派遣のままでの募集でした。応募したい旨、派遣会社に連絡したところ、施設側と派遣会社と私の三者で面接をうけることになりました。その施設は人手不足で困っていたのか私でも採用してくれることとなりました。

 派遣の場合、タイムカードは施設側のもので打刻をしますが、それとは別に派遣会社からいつ、何時から何時まで勤務した結果を記入し、施設側の人に確認のサインをもらい、それを派遣会社に郵送するというシステムです。また、派遣会社の担当者からは、1ヶ月くらい勤務したら、勤務を継続するかしないかの確認をするのですぐに辞めることはしないで欲しいとと言われました。

 ということで、その施設で勤務してみたのですが、何か雰囲気が変なのです。なぜかというと、施設で働いている人のほとんどは、いろんな派遣会社から派遣されてきた人ばかりで、施設の従業員はフロアの責任者ぐらいしかおらず、その従業員はプライドだけは高く、派遣会社から派遣されている人たちは、フロアの責任者のことを馬鹿にしていて、陰口をきいているという状態です。

 そのためになんか雰囲気が悪いのです。派遣会社の担当者からすぐ辞めるのは避けてくれと言われていましたが、あまりの雰囲気の悪さにすぐ辞めてしまいました。

その頃のふところ具合は

2014-03-11 12:54:43 | 日記
 学校を卒業後に入社した会社に20年以上在籍したわけですが、うち3年半ぐらいはうつ病で休んでいました。その間は健康保険からおりる傷病手当金によって生活していました。ただ、休職期間にたいして傷病手当金が支給される期間が短いので、半年くらい預貯金で生活していた状況です。

 その後、その会社を退職し介護の世界で生活しようと思ったわけですが、なかなかうまくいかなくて、採用された施設も1~2ヶ月で退職してしまったので、合わせても6ヶ月程度しか給料がなかったわけです。そして、警備の仕事につきましたが、そこでは長く務められそうな感じだったのですが、椎間板ヘルニアで休むこととなり、医療保険の給付で生活するようになりました。

 しかし、警備会社も結局退職してしまったので、預貯金を取り崩しての生活になってしまいました。そんなわけで、もしなにか金がいりようだったときに困るなと思い、私のメインバンクの銀行でカードローンを組みました。その銀行の口座自体、インターネット扱いにしていましたので通帳に印字したりといったことは必要なくなっていました。そのためかどうかわかりませんがカードローンの口座から必要があればその金額をPCでちょいと入力するだけで銀行の口座に移せます。また、逆にカードローンを返済しようと思えば、同様に金額を入力するだけでカードローンの返済ができます。

 そんなわけで、非常に便利なのですが、カードローンというのは毎月1万円とか決められた額を返済すればすむのですが、その1万円の内訳として元本の返済分と利息の返済分とかあり、1万円かえしたからといって1万円また借りられるわけでもありません。最高100万円まで借りられるようにしましたが、それだけ借りたらいったいいつ完済できるのか見当も付きません。

 ついでにメインバンクの銀行以外にも借金するカードをつくりました。しかし、預貯金はどんどん減っていくし、就職先は決まらないしで、ついには借金に頼らざるをえません。いい年ことて恥ずかしい話ですが、親から援助もうけましたが、50万円あっても3ヶ月くらいでなくなってしまいます。

 そんなこんなで、借金がどんどんとふくれあがっていったのでした。

ある朝突然に

2014-03-09 11:34:52 | 日記
 学校の警備と掛け持ちでビルの警備にもつき、ビルの警備の仕事には色々と細かい事柄が多くあるので、先輩からひとつひとつ教えてもらいながら勤務していました。

 そんなある日、日曜日で学校の警備の勤務の日でしたが、朝、起きたら腰が痛くて、まともに歩けない。困ったなあと思いましたが、どうしようもないので会社の担当者に連絡し、腰が痛んでまともに歩くことが出来ず勤務できないと伝えました。会社が私のかわりをどのように対応したのかわかりませんが、担当者からは「病院に行ってくれ」と言われました。

 日曜日なので病院は休みですが、腰が痛くてまともに歩けないだけで、命に別状があるわけでもないので救急車を呼ぶわけにもいきません。役所ではそんな時に病院を紹介するシステムがありまして、そこに電話し病院を紹介してもらいました。それから病院に電話をしたところ先生の回診が何時ごろ終わるので、それにあわせて来てくださいとのことでした。

 そんなことで、病院に行き先生に状態をお話し、レントゲンを撮りました。その結果、先生からは「骨には異常がないから大丈夫」みたいに言われまして、ホッとしたような、でも腰は痛むしまともに歩けないしという状態でした。その後、会社の担当者に電話して病院でレントゲンを撮った結果、異常がないとのことなので、明日から勤務につきますと話しました。

 腰が痛み歩くのに苦労しながらも勤務をしていましたが、近所の整形外科で診察をうけ、椎間板ヘルニアかもしれないとのことで、それを診断するにはMRIを撮る必要があるので、近くの大きな病院を紹介してもらいMRIを撮りました。その結果、椎間板ヘルニアであることがはっきりとしました。

 近所の整形外科の先生からはリハビリを受けてみないかということで、会社が休みの日にはリハビリを受けに整形外科に通いました。リハビリの内容は、腰を牽引して伸ばすというのと、痛みのあるところに電気を流してビリビリとかさせる治療を受けました。

 そんなおり、会社の課長にあたる人から、もしものときに警備員が椎間板ヘルニアで走ることもできないようでは困るから、休んで直してくれといわれました。そこで一日おきくらいに整形外科のリハビリを受けましたがひと月たってもふた月たってね一向に改善の様子はみられません。

 そこで、整形外科の先生から、腰の痛みのある神経に麻酔を注射して痛みをとる治療があるが受けてみるかといわれ、その治療をやっている病院を紹介され、注射の治療を受けました。ところが、受けた結果は、よりいっそう病状が悪化して、ふつうに歩くことすらできなくなってしまいました。

 その病院の先生からは、あとは手術するしかないとのことで、手術する気になったら病院に来なさいということとなりました。椎間板ヘルニアは症状がおさまるのに人それぞれ違いがあって、すぐに痛みがなくなる人もいれば、手術をしても痛みが取れない場合もあるようです。MRIを撮った病院の先生も手術は勧めないと言っていました。

 しかし、ふつうに歩くことすら困難になってしまったので、手術するしかないと思い。手術を受けることに決めました。そして入院して手術を受け、幸いなことに傷みがなくなり普通に歩くことができるようになりました。ただ、しばらくの間、コルセットをつけていないといけませんでしたが。入院した部屋の隣のベットの方が、私の手術を担当した先生を関東一の名手だと言っていました。とにかく、まともに歩けるようになってホッとしたところです。

 会社を休んでいる間、会社からは社員あつかいからアルバイト扱いに変更され、健康保険や年金も国民健康保険や国民年金に切り替えました。健保や年金の会社負担分をなくしたいからでしょう。それから、学校の警備も他の人が担当することとなり、ビルの警備も従来から勤務している人たちだけでシフトを組むようになり、私の勤務先はなくなてしまったようなものでした。

 会社からは、手術をする前に、もしものときに走ることもできない警備員を勤務に付かせるわけにはいかなと言われたわけですが、なにを思ったのか、ある施設での警備をやってみろと指示されました。そこはマンション群の警備なので、歩く範囲も広大です。一日試しに付いて回りましたが、とても勤まりませんので断りました。その結果、私の勤務先の予定は、そのマンション群の駐車場の管理ということになりました。

 ただ、従来からそこで勤務している人もいるわけで、そこに割り込む形になります。それもどうかなあというのもあり、最終的にはその会社を退職することとなりました。

 その間、お金はどうしていたかと言いますと、学校卒業後に入社した会社で募集していた医療保険のようなものに、その会社を退職後も加入していましたので、入院給付のほか、これがその保険の最大のうりだと思うのですが、休業つまり会社を休んでいる間、1年間ですが1日1万円の給付があります。警備会社に勤務するよりも給付の方が多いということで、とりあえず生活には困りませんでした。