トーネードの無職生活

無職生活で日常どのように過ごしいてるのか?
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日ごろ思ったことを書いていきます。

海上自衛隊の護衛艦いずもを空母化

2018-12-14 15:57:35 | 日記
 海上自衛隊の護衛艦いずもを空母化するとのことです。いずもはDDHでDDとつくことは駆逐艦の一種なのですが、見たからにヘリコプター空母す。それを航空機が離発着できるように改造するというわけです。

 現在航空自衛隊では、旧式化したF4EJ改のかわりにF35Aの導入をすすめているところです。ネットの記事によると現在の航空自衛隊の主力戦闘機F15のうち近代化改造ができない約100機をF35に置き換えようと考えているようです。その100機のうち40機程度をF35Bという短距離で離陸でき、垂直に着陸できる奇襲を導入し、改造したいずもで運用しようという考えのようです。

 F35Bが離発着するときには、エンジンからの排気を下向きにしますので、その排気の熱に耐えられ根ように飛行甲板を改装することが必要です。ということは素人でもわかるのですが、そこから先はよくわかりません。

 いずものエレベーターにF35Bをのせて格納庫に降ろすことができるのか。F35Bを飛ばすパイロットは航空自衛隊なのか海上自衛隊なのか。F35B発着にかかわる人員をどのように教育するのか。F35Bを整備かる人員をどうするのか。などなど疑問というかこれから解決しなければならない問題は多いと思います。まあいずもを空母化しようということだけが言われているわけで、これからいろいろなことが明らかになってくると思います。

 あとは、いずもを改造した空母ですからアメリカ海軍が持つ原子力空母のような圧倒的な攻撃力をもつ空母ではなく、単にF35Bという航空機も運用できます程度の空母だと思うのですが、空母を持つことへの反発も予想されるので、これからどのような議論が国会などなどでされていくことになるのでしょう。


 

退院後の手続き色々

2018-12-13 17:26:07 | 日記
 交通事故で入院していた間、事故の相手側の保険屋さんも自分に直接連絡することができないので、実家の両親に連絡をとっていました。しかし、両親は80歳代ですし住んでいるところから病院まで片道3時間近くかかるのでおいそれと病院に面会に来ることもできません。また、自分は一人暮らしの独身で近所に親類縁者などもいないため、基本すべてを一人ですべてをやらなければなりません。

 ということで、12月4日に退院した翌日、まず自分の保険屋さんに連絡。ドライバーの加入していた保険屋さんと同じ保険屋さんだったので、情報がつたわっていたようでした。そして過失割合が9対1になるだろうということで、当然自分が1、自分の保険屋さんとは書類のやりとりなどは必要はないようでした。

 そして相手側の保険屋さんに連絡。入院の費用などなどの支払いに対応するために数種類の書類に記入捺印が必要なようで、書類を郵送するとのこと。届いた書類に記入捺印したり、今後発生しそうな費用などなどのメモをつけたりして返送しました。

 それから警察に電話。警察提出用の診断書をとってほしいとのこと。近所の整形外科の先生がもう松葉づえはなくても良いですよとのことだったので、借りていた松葉杖を返却するついでに診断書の発行をお願いしたところ、一週間ぐらい時間がかかるかなとおもったら、たまたま自分の治療に当たってくれた先生が外来でいたのか、すぐに診断書を発行してくださいました。そして翌日、警察に行って診断書を提出し、事故の状況などを色々と聞かれて調書というのですかえを作成されました。

 あとはお世話になっていたバイク屋に行きました。事故にあったバイクの回収をお願いしていたのですが、バイクにロックがかかってなかったため鍵がなくとも回収できたとのことで、大破したバイクを見ました。なにしろ車がバイクに乗り上げた状態だったのでひどい状態でした。自賠責などの書類をわたして廃車の処理や保険の解約の処理をお願いしました。

 というとで、とりあえず事故に関して連絡しなければならないところには連絡して一区切りついたところです。

 今日は、事故の時ヘルメットを道路に打ち付けたときにフレームがゆがんだメガネわ直してもらいに行きました。バイクがあれば15分ほどで行かれるのに、自宅からバスに乗り電車に乗ってさらにバスにのるということで往復に結構時間がかかりました。

 これかまではバイクがあることを前提にした生活で、特に銀行は駅周辺に集中しているのでいくつかの銀行に目的別に分けて貯金をしていたのですが、バスで駅まで行くと交通費がかかるので、住んでいるところに一番近いコンビニのセブン銀行に新たに口座を開いて、メイン口座にして家賃や公共料金のひき去りを行い、貯金はこれも近所にある郵便局にしほることにしようと考えています。


退院することになる

2018-12-10 14:37:01 | 日記
 左足を固定していた装具がはずれて自分の足で歩けるようになったことと、左足のすねの傷も抗生剤だったかなの点滴が終わり、薬も終わりとなった。ということはそろそろ退院することになりそうだなと考えていました。すると12月3日の月曜日にドクターが来て、明日退院でよいでしょうとのこと。早くても5日の水曜日かなと想定していたので急なことでビックリしたのですが、4日の火曜日に退院することとなりました。

 入院して一週間くらいたったあと、病院のソーシャルワーカーの方との面談がありました。退院してからの生活に支障がある場合に手助けする手段があるかとか、リハビリのために転院するリハビリ専門の病院を探すといったことを対応してくださる方です。面談した時はまだ左足を固定されていた状態だったのですが、事故で入院した経過からもし退院したときに考えていることなどを相談しました。その中で一番は介護ベットをレンタルしたいということでした。

 普段は床に布団をひいて寝ているのですが、特に左足が固定されている状態だと自分で立ち上がるというのもかなり困難です。その後左足を固定していた装具ははずれましたが、やはり寝た状態から起き上がるのはリスクがありそうなので介護ベットのレンタルをお願いしました。ソーシャルワーカーの方が業者をあたってくれて、退院した日に介護ベットが家に搬入されました。とても助かっています。

 また退院することを伝えくれたドクターからは、左足のすねの傷と骨折は近所の整形外科で対応してもらってくださいとのこと。幸いこれまで鎖骨の骨折や椎間板ヘルニアでお世話になった整形外科が近所にあるので、その整形外科に通院することにしまし、ドクターから紹介状みたいなものを書いていただきました。それとその時使っていた病院の松葉づえは、近所の整形外科で松葉づえをつくってもらい、返却するようにとのことでした。

 そして退院の日になったのですが、看護師さんから松葉づえを持ち帰るのには保証金が必要とのことで、保証金を支払って退院に関する手続きはすべて完了。交通事故なので医療費は損害保険会社が支払うことになるようで個人負担はありませんでした。

 そして病院からタクシーで帰宅。まずは夕食と食べたいものをコンビニで買ってきて、シャワーをあびました。入院中は暖かいタオルで体をふくだけで、シャワーをあびることができなかっのでとてもすっきりすることができました。

 普段の生活に近い状態ができる状態で退院できたのは幸いでした。左足を固定したまま退院したら、それこそ大変だったなと感じたところでした。


交通事故で入院 続き

2018-12-09 15:54:18 | 日記
 11月24日の土曜日に救急病棟から一般病棟に移動になった。ちょうどその時家族が面会に来てくれたので、さっそくペットボトルの水とかコーヒーとか入院中必要なものなどを買ってきてもらった。一般病棟なら飲食物の持ち込みもOKになりますし、病院の患者に対する管理もゆるやかになります。そして救急時に着ていた服を切り刻まれてしまったので、退院する時用に服をもってきてもらった。逆にバイクのヘルメットなどを持ち帰ってもらった。そして頼んでいた本、上下巻の二冊を頼んだのだが上巻しかなかったのことでしたが厚い本なので入院中の暇つぶしの役にたってくれました。

 11月26日の月曜日からリハビリが始まった。月曜日はリハビリの先生から骨折した左足を床につかず松葉づえで移動することを練習した。しかし、腕の筋力は落ちてしまっているしで20mも移動するのがやっとで、とても一週間や十日リハビリをしてもマスターできそうにない。自分で移動できるようになるころには骨折した骨はくっついてしまうことだろうと思ったものです。

 その月曜日の夕方ドクターが来て、骨折した左足を床についても良いとのお話し。翌火曜日のリハビリでは左足を床について松葉づえで歩く練習をした。これならは半歩づつ歩くようですがなんとか自力で移動はできる。しかし、左足を固定されたまま自宅に帰ったら生活が大変だなと思ったものです。

 そして木曜日の夕方ドクターが来て、左足を固定していた装具みたいなものをとることになりましたとのこと。やっと楽になりました。そして金曜日のリハビリでは松葉づえ一本で歩くことと、松葉づえなしで歩く練習を行いました。10日ほど左足が固定されていたので、怪我をしたわけではないのですが左り膝の調子がおかしいので、普段歩いているスピードではとても歩けない。しかし、自分の足だけで歩けるのは非常に助かる。これで退院してもほぼ以前と同様の生活が送れそうな感じがしてきた。

 リハビリから戻って担当の看護師さんに来てもらい、リハビリの先生から自分で歩いて良いことになったと伝えた。看護師さんがドクターに確認後、トイレまでは自分で歩いて良いということになりました。これで尿瓶と別れることになりました。

 左足のすねの傷は縫ってもらったりしてたのですがまだ治っていません。しかし自分で歩けるようになったことで退院が近づいてきたなと感じたところでした。


交通事故で入院

2018-12-08 11:43:42 | 日記
 11月21日に交通事故にあって病院に搬送されて入院し、12月4日に退院してきました。

 11月21日の午前9時30分頃、通院のために原付バイクで出発したのですが、300mくらい走りスーパーにさしかかったところ、スーパーの駐車場の出入り口からいきなり車が右折しようと出てきました。バイクのブレーキをかける間もなくそのまま車に衝突しました。その勢いて自分の体は車のボンネットの上を飛び越して道路にバタンと落ちました。その際、ヘルメットを道路に打ち付けたためだと思うのですが、メガネがひしゃげてフレームがまぶたの上の方に当たったためかちょっと出血しました。あと車のボンネットの上を飛び越えた時、左足を車にぶつけたようで左足のすねに痛みを感じました。事故の現場は、自分のバイクの上に車が乗りあげるような格好になっていました。

 車を運転していた人が警察と救急車を呼んだので救急車が到着すると、私は救急車に乗り込んで救急隊員に怪我のチェックを受けました。衝突した時幸い車に頭をぶつけなかったので頭や首に異常はなかったのですが、救急隊員から首を固定する装具を装着されました。そして傷のチェックを受け地域の拠点病院である大きな病院に搬送されました。

 搬送された大きな病院で救急の処置を受けました。着ていたズボンやシャツはハサミで切られて脱がされて体中の傷のチェックを受けました。そして傷の洗浄と消毒などの処置を受けたほか移動可能なレントゲンの装置でたぶん左足を撮られました。怪我をしたのは、左足のすねの皮膚が切れたというか裂けている。左足の腓骨という細い骨が膝の何センチか下で骨折。右と左の肘を擦りむく。まぶたの上の方の切り傷といったところでした。そして左足は、脚のカーブにあわせて固めることができるもので足を固定する装具がつくられて、脚の指先から腿まで固定する装具に包帯でグルグル巻きにされ固定されました。その後、造影剤を注射するCTやレントゲンの撮影を行いました。

 救急の処置が終わった後、救急病棟に運ばれました。ベットが置かれた場所はナースステイションの前で、夜間でもこうこうと明かりがともり、家では睡剤を飲んで寝ているのですが睡剤が病院から出されないので、二晩眠れませんでした。大部屋に移って睡剤が出された後も救急病棟ではあまり良く眠れませんでした。

 救急病棟は一般病棟と違って非常に厳しくて、飲食物の外部からの持ち込みは禁止。面会は家族のみ。携帯電話は当然使用不可。そして携帯電話が使えるところに運んでもらって電話をかけるというのも認められないので、実家などに連絡するため特別に病院の電話を借りて連絡をつけることができました。また水も薬を飲むときや歯磨きの時には看護師がコップに水をくんでくれますが、自分が飲みたいときにはいちいちナースコールで看護師に来てもらいコップに水をくんでもらうという状況でした。

 たまたま他の病院に通院するため出かけたので、持っていたお薬手帳は病院の薬剤の担当の方に渡りました。生活習慣病やうつの薬、睡剤などかなり多くの薬を飲んでいるのですが、救急病棟でのしばらくの間はインスリンの注射のみで、飲み薬や眠剤を出してくれませんでした。そこで看護師にお願いして薬を出してくれるよう依頼したのですが、薬剤師がきて言うには入院期間が短期と聞いたので薬は出さなかったとのこと。その後のみ薬が出るようになりました。

 お薬手帳は通院する時しか持ち歩かなかったのですが、今回の事故で病院に入院して思ったのは、自分は結構多くの薬をのんでいるのですが、すべての薬の名称を覚えているわけではないので、何かあった時のためにどんな薬を飲んでるかがわかるお薬手帳は常時持ち歩かないといけないなと痛感したところです。


 次に続く