露草(つゆくさ)は梅雨の頃咲き始めるので、夏の花という印象があった。
ここ数年意識的に観察していると、旺盛に繁殖しているのは、少し涼しくなる8月下旬から9月にかけて。
今回撮影したのが10月1日…むしろ秋の花だ。
下の群生画像を見れば分かるように休耕田の草地一面に咲き乱れている。
名称のように、しっとり潤う雨の季節に咲く花。
歳時記を調べてみると、やっぱり秋の季語だった。
しばらく彼岸花の極彩色を追いかけていたので、
涼しげな露草の青が、目に優しい。
万葉人に忌避された彼岸花と違って、露草は月草と呼ばれ古(いにしえ)の雅人たちにも愛された。
花色の青は、水にすぐ溶けるので染物の下絵具として用いられたようだ。
水溶性の色合いが朝顔に似ている。
同様に朝開き夕方には萎む一日花。
そう云えば、近年大繁殖している紫色のノアサガオ(琉球朝顔)は一年中、冬だって咲いている。
秋の長雨、秋霖は、季節を深める雨なのに、今年は、やたらと気温が高くて、
一向に紅葉が進行しない。
日本の四季も年々、怪しくなってくる。
朝露の煌めきの中に輝く透過光の青が、いっそう涼しげな秋の風情を誘う。
別名、月草、蛍草…
雑草と呼ぶには、あまりに風流好みの花。
大日本帝国の幻です(笑)
それまでの日本って、なんでもありのおおらかな精神性に支えられていました。
あの渡辺京二の名著、「逝きし世の面影」に記された日本の姿です。
http://1000ya.isis.ne.jp/1203.html
日本の精神文化は明治の近代化以降、大きく変質したというのが私の感想です。
特に精神性の根っこの部分である民族信仰の神道は、まったく別物ですね。
以下、今日の内田樹のツイートを。
内田樹
✔ @levinassien
日本列島文化の本質は「習合」だというのが僕の持論です。
異質なものと共生し、それを取り込み、癒合して、新しいものを作り出すのが列島文化の最大の特徴であり、
アドバンテージだったと僕は思います。
日本史上最大の過誤の一つは明治初年の廃仏毀釈神仏分離でした。
あの出来事で列島住民が内面化していた「習合する知恵」が深く傷つけられました。
僕たちに課されている21世紀の思想的課題のひとつは「習合する知恵」の再興ではないかと思います。
明日訪れる鶴岡は修験道の本家出羽三山の麓です。
修験道は古来の神仏習合を今にとどめている希有の宗教実践ですので、
山伏たちは神社で般若心経を唱えます。「神と言い佛と言い。唯これ水波の隔にて、衆生済度の方便の声」という能に頻出する詞章が「日本らしい」宗教性を語っていると思います。
ブログを拝見すると流れ星さんやのんびり山歩さんともお知り合いの様子。
同じ山域に通っていると出会う人は重なって来ますよね(笑)
恥ずかしいです。
私は、唯の本の虫なだけで、深い学識を備えているわけではありません。
ただ、唯、好奇心に促されて、「なぜ?こうなるの?」と先人たちの築いた壮大な叡智の裾野を答えを求めて彷徨っているだけです。
それにしても、どうしようもないくらい、この国の統治システムは劣化してゆきますね。
山本七平の「空気の研究」やアメリカによる日本占領政策の教書である日本人論「菊と刀」で指摘された、そのままです。
ロラン・バルトが「中心なき空虚」と指摘した、この国の本質です。
安倍首相は「私が責任をとる」と何の根拠もない空手形ばかりを連発して、
国民は、そんな嘘に縋るように依存しています。
震災と原発事故以来、「もう不景気な話は御免だ」と耳を塞ぎ続けます。
その結果が東京都と国の一連の五輪施設と豊洲市場移設の誰も責任者のいない膨大な予算の膨張と、
原発事故の企業賠償の有限責任と国民の税金による負担です。
もっと云えば10万年も管理しなければならない原発から排出され続けるゴミの問題。
10万年なんて、人類が文明を築いてから何年が経っていると思っているのだろう?
100%、人が責任を持って管理することが不可能な時間でしょう。
始めから企業や国が責任を負えない電力システムなら、再稼働なんて有り得ないでしょう?
もう全てが誰も責任を負わないで、その失敗の負債を物言わぬ従順な国民や未来世代に押し付けるシステムです。
そんな安倍内閣を国民の半数以上が支持し続ける不可解な国です。
限界のない知識の探求、そこから滲みでる深い知性。
ランスケさんの姿勢は、パタゴニアを走った日本人アスリートと共通の「念」を感じました。
日本人の好む「温和」は日常の無責任にも通じるように思います。
ランスケさんの重く厳しい「視点」は、今一番大事な事のように思います。
散歩の途中で見かけた身近な秋を興味深く取り上げ、
皆さんと一緒にその話題を広げてゆく鬼城さんスタイルは、
いつもながら心和みます。
これも鬼城さんの人柄ゆえですね(笑)
さて、その後の紅葉情報ですが、
週末に石鎚へ行った人のブログ情報では、紅葉はほとんど進行していないようです。
相変わらず夏のような暑い日が続きましたからね。
気になるのが台風18号の行方です。
この大型の台風が予報通り西日本を直撃すれば、
せっかく色づいた葉っぱが散ってしまう可能性大です。
そこそこ降ってコースを逸れてしまうことを祈りましょう。
台風通過後に待望の寒気が降りてくるので週末はチャンスです。
鬼城さんの予定されている10/16 は、山頂周辺は終わっていてもスカイラインから上の紅葉が見頃だと思います。
錦繍の彩を教え子の皆さんと楽しんでください。
それが一番心穏やかに自然と向き合えます。
それをフレーム内に収めて一瞬の美を切り取りたいなんて我欲を抱くから、
叶えられない脳内イメージとの落差に悩まなくてはなりません。
記憶の中の花が一番美しい。
でも、やっぱりこれじゃ済ませられないから厄介ですね(笑)
(最近はミッキーマウスに似ているとか?)難しい被写体です。
無造作に撮っていると、まったく花の持つ魅力が出せなくて落胆することが多いです(汗)
花の名前そのままに露とからませるのが一番効果的か、と思います。
朝早い時間だと、露草本来の色が朝陽で赤く染まってしまいます。
むしろ少し日が昇ってからの方が良さそうです。
今回も朝方降った雨が草地に残り、いい具合に光が射してきました。
こういう色んな幸運が重ならないとね。
自然写真は、その場の条件を可能な限り活用することです。
そうなんですよね。
写真は難しいから、悪戦苦闘、試行錯誤を重ねるから面白いのです(笑)
人真似でなく自分の世界観の発露ですから。
おそらくRAWファイルで現像されているのだと思います。
露草(雑草?)の切り取りも、玉惚けの技術もやはり凄い。
紅葉、遅れそうですね。
四季の変化、京都議定書からパリ議定書、地球温暖化どうなっていくのか?
ある人は「こんなに良い被写体が目の前にあるのにどうして写さないの」と言いますが、こんなに綺麗に咲いているツユクサをそのままに写す自信がなくて毎日眺めています。実際に写してもみましたが全く写真になりませんでした。
まだまだ勉強不足でツユクサの美しさに負けているというか恐れをなしています。
来年は純粋な気持ちでツユクサと向き合えるようになっていたいと思いながらツユクサを見ています。
おっしゃる通り、崩れかけていますね
紅葉のご来光を今か今かと待ちわびて体力温存しているのですがチャンスはゼロに近い
単発で深夜登山の覚悟を決めていますが・・・
メールでツユクサのことを言われてましたが
さすがの切り取りですね
今だから申しますが私はもう少し前から夜明けとともに撮影はしているのですが早朝の空気感が思ったほど出ません
ランスケさんの画像には毎回刺激を受けて私なりの世界の切り取りに悪戦苦闘
写真は難しい
でも、楽しい・・・
でなければよいものが撮れませんね
露草は、今を盛りと咲いています。
彼岸花も終わり、田圃の畔や草地は涼やかな青の彩が目を惹きます。
野辺の花々は、各々のニッチを見事に棲み分けていますね。
図鑑を見ると露草の花期は6月~9月になっていますが、気候変動のせいで、どんどん遅くなっている印象。
私の写真は植物の生態写真じゃないので、自然環境に咲く、その場の空気感を第一に考えます。
もちろん、植物写真家、いがりまさし氏の影響が大きいです(笑)
先ず写真映りのいい綺麗な個体を探して、周囲の環境をよく観察してください。
雨上がりの露や光の在り処を取り込むと、いっそう花は輝いて来ます。
何を対象にしても、自然写真は無造作に撮らないで周囲を観察することが大事だと思います。
先程までNHKのパタゴニア141kmトレランのドキュメンタリーを観ていました。
アスリートたちは身体の限界を越えた時にゾーンに入ると云いますが、
鏑木選手の側に人が、ずっと伴走してくれる幻視体験は、雪山でもよく耳にする話です。
なんだか、また沸々と萎えていた気力が頭をもたげて来るようです(笑)
さぁ、台風通過後に待望の寒気がやって来ます。
強風で色づいた葉っぱが散ってしまわないことを祈ります。
今が一番美しいと思って朝露をまとった姿を愛でています。家の周りで難なく見られる当たり前の花ですが愛すべき花です。