放浪の詩人、種田山頭火、没後80年の今秋11月に山頭火最後の旅~
四国遍路の旅日記の句作を編纂した「遍路行」が出版されました~
山頭火が晩年の日々を過ごした庵、一草庵のある我が街、松山です~
正岡子規の生れ育った街である松山は俳句の盛んな街です。
道後にある子規記念館で発売されているという山頭火の「遍路行」を
散歩がてら買い求めに出掛けました . . . 本文を読む
ずっと祈りの風景を撮りたいと願っていました。 でも人が無心に祈る姿を、不躾に横合いからカメラを構えることなんか出来ません。 祈りは人間の根源的な「動詞」。 宗教性の最も原初的な領域だからです。 . . . 本文を読む
石井光太の「物乞う仏陀」の記述から、映画「砂の器」に行き着きました。
四国遍路は不治の業病(ハンセン病)を患った人々の最期の救済の辺地だった。
ご存知の通り、日本映画の名作「砂の器」のクライマックスシーンは、
ハンセン病を患った父子の過酷な巡礼の旅の長廻し(ロードムービー)です。 . . . 本文を読む
さぁ、ついに長かったお遍路の旅も最後の讃岐路へと入ります。 最初の難所、雲辺寺を打ち終えると、後は雪崩くずれるように 残りの札所を打ってゆきます。 白峯寺から根香寺の、まるでお大師様に試されているかのような試練。 そして結願の寺を前にして、思いがけない奇蹟が待っていました。 結願の寺から、さらに山を越え一番札所霊山寺へ。 四国遍路を円(縁)で結ぶ歩き続けた軌跡が、ここに繋がります。 . . . 本文を読む
四国お遍路全行程で、歩行距離が長くて最も大変だった土佐路。 そしてお遍路道中の風景で、最も心動かされ、ずっと楽しかったのも、ここ土佐路。 土佐の風景と人情は、まっことおっきいぜよ~ . . . 本文を読む
お大師様に導かれるままに、亡き父母の使った2本の金剛杖と共に歩いた50日間のお遍路旅でした。 発心の阿波路は無我夢中。 観るもの全てが新鮮で、自分自身の足でひたすら歩き続け、 幾つもの街を通り抜け、山を越え、峠を越え、里山を歩き、田圃の只中を歩き、川を辿り、そして海へと辿り着いた感動。 自分自身の足で地図上のパノラマのように広がる世界を歩き通した素朴な感動。 毎日が楽しくて、照りつける日差しも、吹き渡る風も、降りしきる雨も、すべてを受け入れてお遍路の旅の空でした。 . . . 本文を読む
結願の朝は雨だった。
ブログの更新で宿を出るのが遅くなった。
あの日の記事だけは、丁寧に書いておきたかった。
宿には迷惑をかけた(到着が19時で出発が8時半)が、
私にとって、どうしても必要な時間だった。 . . . 本文を読む
6/26日曜日、お遍路歩き始めから48日目。
85番八栗寺から88番大窪寺までの距離が26km余り。最後の大窪寺までの遍路道は
山越えになるので厳しいとは聞いている。(手前の長尾寺で一泊して翌日大窪寺を打って結願する人が多いらしい)
87番長尾寺までの所要時間によっては大窪寺まで行ってみようと考えていた。 . . . 本文を読む
高松の気温は、その日34℃まで上がったようだ。 山から下りてきて、暑気が吹き上げるような熱気がゆらゆら路面から立ち上がっていた。 頭は朦朧として、まともな思考能力に欠いていた。 . . . 本文を読む
丸亀市内から、ひたすら東を目指した。
寝不足のぼーっとした頭に容赦なく、朝から強い日差しが照りつける。
土器川の河口付近から讃岐富士(飯野山)の秀麗な姿が望まれる。
この山に代表される、なだらかな双曲線を描く山が多いのが讃岐路の風景だろう。 . . . 本文を読む