梨木香歩「沼地のある森を抜けて」(新潮文庫)の再読。
一度単行本で買った本を、文庫化されるとまた買ってしまうことがある。
よくあるのが心に残った本を、お気に入りの作家が末尾で解説文を書いている場合。
例えば沢木耕太郎の「凍」を池澤夏樹が解説とか、
いしいしんじの「ポーの話」を堀江敏幸が解説とか…
普通の感覚なら解説文だけ読めば済む事なのに、なぜか買ってしまう?
ファン心理というか… . . . 本文を読む
雨上がりの森の、気胞に沁みるいるような清浄感を胸いっぱい吸い込んだ。
乳白色の霧に滲む淡く萌える若葉の樹冠。
恵みの雨が森を潤す…降り続けた雨水を集め渓は、白い紗幕のように泡立ち、川面に水蒸気を発生させる。
森はいっそう水の粒子に覆われ、水底を漂うようなガラス越しの雨だれの情景を幻視させる。
そして森は一雨ごとに、湿潤な微生物の揺り籠(環境フローラ)と . . . 本文を読む
父の死に伴なう弔いの儀式の渦中で、
すべての日常的な営為が中断された。
やっと読みかけの本を手に取るようになったのは、いつ頃からだったろう?
私は一冊の本を、読み上げるまで他の本は、いっさい手に取らないという
集中的な本読みではない。
結構、同時進行的に何冊かの本を読み散らす落ち着きのない読み方をしてしまう。
そのため途中で興味を失って、栞を挟んだまま埃を被り忘れ去られる運命の積読 . . . 本文を読む
連休明けの11日は、我が家の菩提寺がある愛媛県南西部の河口の街へ
母を伴って出掛ける筈だった。
ところが「母の日」の遠出が思いの外、疲れたようで、
「私は、よういかん」と母は留守番を申し出た。
この小旅行は、母の故郷の街や女学校時代を過ごした宇和島市街の
思い出の場所を巡る、母のセンチメンタルジャーニー(感傷旅行)となる筈だった。
2年前にも父の申し出で、父が子供時代過ごした故郷 . . . 本文を読む
「ねぇ来週の日曜は母の日だけど、何かほしいものある?」
と母に打診してみたが「何もいらない」と素っ気ない。
それでは「ドライブに行こうよ。アケボノツツジが綺麗だよ」
と誘い水をかけてみると、「うん」とけっこう乗り気だ。
私一人で山へ出掛けるのは、まだ難しそうだ。
それなら母を一緒に連れて行けば好い。
(以前から撮影したスライドフィルムをプロジェクターにかけて
スクリーンへ映し . . . 本文を読む
夕食後のことである。
母が「蜜柑が食べたい」と言う。
父方の実家が蜜柑農家なので、葬儀の祭壇へのお供えとして
たくさんの伊予柑と八朔を戴いた。
父は腎不全を患ったことで大好きだった蜜柑が食べられなくなった。
一時は隠れて食べることもあったが、
とたんにカリウムの値が跳ね上がり、病院から警告を受けた。
葬儀社の方から祭壇に供える果物を用意するように言われたとき、
弟が「おやじの . . . 本文を読む
通夜から葬儀、そして事後処理の慌ただしさのなかで
「父の死」と正面から向き合うことを避けてきた。
心の内に悲しみを溜め込むことが、決して良い結果を招かない
ことは充分承知していた。
でも、やはり「父の死」と正面から向き合うことは怖かった。
そのことは、出来る限り先送りしておきたかった。
葬儀の事後処理が一段落して、明日は手続きをする役所も休みという日の深夜、
日付が変わろうとする . . . 本文を読む