思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

考える葦

2009年06月26日 | Weblog
フランスの偉大な学者パスカルの瞑想録「パンセ」の中に載っている言葉「人間は考える葦である」、と昔々学校で習いました。
人間は蘆のようにか弱いものであるが「考える」と言う特性を備えている、と言う程度の意味かと思います。

時々「私は何のために生きているんだろう」と言う疑問に取り付かれることがあります。
それは凡人にも賢者にも答えが見つからない問いだと思います。
人間は必ず死ぬ、と言う前提の下では「生きる意味」は見つけられません。

何とか生きていくためには「人生」に疑問を抱かないことが必要なように思えます。

「毎日の小さなことを楽しんで生きたらええねん」
これは女房の哲学です。
一番正しい生き方かもしれません。

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4 コメント

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確かに (てんてん)
2009-06-26 23:20:59
どんな出来事でも自分が楽しい思えたらやはり生きている実感が湧きますね
私は「誰もが必ず死ぬ」事を前提に考えていますから「生きている間残されているこの時間を楽しく生きたい」・・ともがいています
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てんてんさんへ (本人)
2009-06-27 00:01:56
「・・・ともがいています」が利いてますね。

誰しも同じようにもがきながら生きているような気もします。
私も「もがき」の塊みたいな人生だったような気もします。
でも楽しいことを見つけて生きなきゃね。
仰ることよく分かります。
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生意気なこと言いますが、 (comet)
2009-06-27 22:06:33
人生は長い時間をかけた自殺行為であるとサルトルが、
自分は孤独だと嘆く女は愚かだとサガンが、言っています。


みんな(と言ってもそんな風に考えない人達の方が多いかも)こういう事に考え悩むものなんだと悟りました。

結婚して5年ほど(25歳くらいまで)、何のために生きているのかと自問自答してひとりで苦しんだ頃があります。
その後、辛い時に、あの時よりはましだと乗り越えられ、30余年経ちました。

生きる意味を考え出すと、全てのことが感動するほどのものでない様に感じ、砂漠にいるような感覚。

早く開き直られて、心が軽くなればいいですね。





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cometさんへ (本人)
2009-06-27 23:27:05
そんな苦しい時期があったのですか、しかも新婚時代に。
察しようもありませんが、理想と現実のギャップが大きかったのですね、多分。

ハムレット型とドンキホーテ型、いずれも長短ありですね。
私はハムレット型、悩まんでいいことまで悩む鬱型でしたね。
最近はドンキホーテに近づきつつあります。
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