思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

転んだ

2007年02月28日 | Weblog
3段式の駐車場での出来事。

どうしても駐車場の柵を乗り越えて車から取り出したいものがありました。
一度中に入り再び柵を乗り越えて出るときに、「えいやっ」と乗り越えるつもりがバランスを失って思い切りアスファルトのギザギザの地面に無様に転げ落ちました。

右手の平を打ちつけ、左手は小指と薬指を擦りむいて血がドバツと出てびっくりしました。
左足も暫く痺れていました。

今夜のダンスは大丈夫かなと心配でしたが何とかなりそうです。

それにしても悔しいのは、その場所はマンションの防犯カメラがモニターしている場所です。
管理人が一部始終を見ていたかもしれませんし、何かの都合で私の無様な行動が日の目を見ることがあるかも知れません。
柵をヒラリと乗り越えるはずのおっさんが地べたにベタッと転んだ図は惨めこの上なしです。

女房に話したら「アホカ、ちゃんと消毒しときや」と一言いわれました。

民生委員

2007年02月28日 | Weblog
民生委員というのをご存知でしょうか。

これはあるところで某老婦人から聞いた話です。
ご主人が存命の頃、彼は民生員をしていたそうです。
防犯の担当に適当な人を推薦する必要があってある人を推薦したそうです。
人柄・見識・申し分なしと推薦書を提出したら、2ヶ月後に「不適当」との回答が警察から帰ってきたということです。

その理由。
被推薦人は戦後のある時期にメチルアルコールを酒として販売していたことがある、ということだそうです。

彼女が驚いたのは
警察がいかに徹底して調査を行うかということでした。
そんな昔のことまでどうして調査できたのか、驚きだったといいます。

勿論こんな話を口外することは民生委員の妻として許されることではありませんが、と前置きして「既に迷惑をこうむる人はおりませんので」といって話したのです。
彼女が言いたかったのは
「民生委員に関する仕事をしている人は、皆まっとうな人で信頼するに足る」ということを言いたかったようです。

確かに戦後メチルアルコールを飲んで目がつぶれたとか言う話しは聞いたことがあります。
自分達が飢えないためにやったことですが、やはりそれを酒として販売することは立派な犯罪です。

ある高名な女優が、異国で夫と離婚し娘と2人で生きていかなくてはならなくなったときに
「食えなくなったら泥棒してでも娘を育てる」
といっていたことを思い出しました。

ユーモア

2007年02月28日 | Weblog
今日の英会話で教師がアメリカの漫画を配布した。
何がユーモアなんでしょうか、というわけだ。
なかなか理解しにくい。
教師が「何故面白いのか」を解説してくれる。

なるほどと思うものもあるが、何故それが面白いの、と理解に苦しむものもある。
彼に言わせると
「半数の生徒が理解できているから、この教室は水準が高い」という。
子供の教室では殆どの人が何が面白いのか理解できなかったという。

文化と伝統が違うと、かくも違うものかと思う。

彼も今日本語を一生懸命勉強している。
今日は「キツイはどう意味でどんなときに使いますか」と聞いてきた。
なるほど「キツイ」なんて言葉は日常いろんな使い方をするから難しいだろうなと思う。

そして必ず「それは失礼な言葉でしょうか」とも聞く。
それも気になるところだろうと思う。

彼もそういう教え方をする。
この言葉は失礼に当たる言葉ですから気をつけましょう、と。


郵便物

2007年02月27日 | Weblog
山上憶良の「貧窮問答歌」に

 しろかねも くがねも玉も 何せむに
 まされる宝 子にしかめやも

極貧の中でも子供を愛する歌です。
古代から貧困のあまり自分で子供を育てられず、捨て子が横行しまたそれを多くの他人が自分の子供のように育ててきた、と何かで読んだ記憶があります。

「赤ちゃんポスト」が日本のみならず欧米諸国でも設置されたりしていることが話題になっています。
イタリアでは匿名でも受け付けを始めたら1件発生したそうです。
餓死させるよりはましということかも知れませんが、赤ちゃんは郵便物ではありません。

口減らしのための子殺しも昔からありました。
今でも産んだ子供を平気で抹殺する人もいます。

1億人の中にはそんな人もいるさ、と言ってしまえばそれまでですが、一度生を受けた命はどんなことがあっても全うさせてあげたいと考えるのが普通ですね。
世界一の金持ち国になった今の日本でそんなことすら防げないことは何とも不可解です。

宗教

2007年02月26日 | Weblog
車の中で彼の携帯がなる。
何かを頼まれている様子、仕事の話かと思ったがそうでもないようだ。

「知人のお父さんが昼に亡くなったそうです、今夜枕経を頼まれました」
「えっ、おたくはお坊さんだったの?」
「はあ、立正佼成会でそういう役目をしてます」

その宗教団体でそういう講座を受けて経を読んだり戒名をつけたりとかもやっているという。
それなりの幹部の地位にあるのだろう。
人は見かけによらない。
とてもそんな風には見えないが、いわれてみれば、彼は人のために何かをすることを厭わないような人柄だ。
その宗教、信者は全国で約400万人だそうだ。

私も若い頃一時宗教団体ではないがある組織に所属していたことがあった。
結局、私は組織に所属して縛られることが性にあわないことが分かった。
会社組織でさえ食うために仕方なく居ただけの事だ。
多分どんな組織でも自分正直には生きられないと思う、多分に反社会的な面を持っている、というか人と折り合って生きるのが苦痛なタイプだ。
要するに我儘なだけ。

演劇鑑賞

2007年02月25日 | Weblog
わが劇団に所属する43歳未婚のN嬢は京都の劇団にも所属している。
そのN嬢の京都公演を女房と一緒に見に行った。
当市から京都の会場まで車で喧嘩しながら約2時間。
何故か女房が助手席に座っていると必ず喧嘩腰の会話になる。

「演劇フェスティバル」と題して京都の素人劇団が4日間にわたり20劇団がそれぞれ演じる。
N嬢の劇団は女性ばかり7,8人の劇団だという。

約70分の2幕もの。
素人劇団だから途中セリフ忘れと思われる不自然な沈黙時間があったりして親近感が湧く。
一生懸命に合図を送っているのに当の本人は気づいているのかいないのか平気な顔をしている。

小道具のシャンパンの栓が自然にポーンと飛んだりした。
サッと注げるようにあらかじめ栓を抜いて軽く嵌めておいたのだろうが、とんでもないときにポンと栓がとんだ。

それでも70分間飽きさせない面白い芝居だった。

チケットは1500円だったが、彼女は無料で配っていたから10枚としても彼女は15000円を負担してるな、と考えたりした。

観客は7,80人だった。
各劇団とも親しい知人友人のみの観客と思われる。

初見

2007年02月24日 | Weblog
先日の劇団の例会で。
女房も同じ劇団に所属している。

新しい台本が出来上がったということで、その初見の台本に一通り目を通してみることになった。
女房は朗読のボランティアをしている関係で、時々初見の読みを頼まれる。
読み進めていく中で「呆然として…」という言葉が2回出てきた。

私はそれは「あぜんとして…」と読むものと生涯を通じて思い込んでいた。
しかし女房は「ぼうぜんとして…」と2回とも読んだ。
けっ、間違いやがって恥ずかしい、と思っていた。

それを今日思い出してそのことを言った。
「なに言ってんの?」と女房は怪訝な顔。

国語辞書を取り出して指摘しようとして、見ると「ガ~ン」間違っていたのは俺のほうだ。

「あぜん」は「唖然」だ、「ぼうぜん」のほうは「呆然」か「茫然」だ。
私は「茫然」の漢字しか頭に残っていない。

そして女房いわく
「あんたは私が読み方を間違えたと思って恥ずかしいと思ってたね、そんなあんたの方がよっぽど恥ずかしいわ」
あの時皆の前で指摘したりしなかったことがせめてもの救いだ。
どっと疲れが出た感じ。

北へ向かう

2007年02月24日 | Weblog
演歌の世界では、傷心の女は北へ向かうことになっている。
何故、北なのか。
暖かい南に向かったほうが心の傷は癒されそうな気がするけれど。

北、雪、寒い、寂しい、心の故郷へ、こんな言葉は東京に住む人の心の原点なのかもしれない。
あるいは心の傷を癒すためには更に自分を追い詰める自虐的な北の方向が必要なのだろうか。

大阪に住む人は南方の人が多い。
四国・九州の出身者が圧倒的に多い。
東北・北海道で見るような冬は知らない。
厳冬・地吹雪・一面の雪、見知らぬそんなものに一種ロマンチックなものを感じているようにも思える。

そんなわけで傷心の女は北へ向かう。
男も北へ向かう女に対して「何とかしてあげたい」気持ちを誘われる。

但し北へ向かう女はデブではいけない、やはりほっそりと寂しげに痩せていないといけない。
天道○○○さんが北へ向かう寂しげな女を歌っても、イメージが湧いてこない。

心晴れ晴れ

2007年02月24日 | Weblog
人の心は天候に左右される。
特別のストレスを持たないようになった私のような男でも心は天候に左右されることが多い。
特にこの時期、空が晴れ渡ると心も晴れ晴れする。
寒い曇りの日、雨の日は心も沈む。

先日、晴れの日、気温も陽春の陽気、何となく家を出て陽光を浴びて心地よく見慣れた町を歩く。
足は自然に行きなれたカラオケの店に向かう。
店の扉を開けてびっくり、大勢のおばさん・おじさんで混んでいる。
「えっ、今日は何かあった?」と思わずたずねる。
「天気よ、今日は暖かいでしょ、みんな出てくるのよ」とママさん。

なるほど私もその一人だったわけだ。
やはり生物は光にはぐくまれて生きているんだ、等と妙に感心する。

柳沢厚生労働大臣

2007年02月23日 | Weblog
国会中継に柳沢大臣が出席している。
産む機械発言で注目を浴びたご老人だ。
なに考えて座っているんだろうなと思う。

「あ~あ、失敗したなあ、あんなことうっかり言ってしまって」
「皆につるし上げられちゃった、やる気出ねえなあ」
「俺まじめにやってるんだけどなあ、産む機械って変かなあ、おかしくないと思うけどなあ」
「また変なこと言わんように気をつけよう」
「気をつけても思ってることは口に出るしなあ、それが駄目だと言われちゃ俺も立つ瀬ねえよ」

「今まではうまく行ってたのになあ、ケチつけちゃったなあ」
「余計なことは一言も言わんようにしよう、官僚の答弁原稿だけにしとこ」
「何時まで産む機械で引っ張るのよ、もういいじゃん」

「何時まで大臣の椅子に居座るの、なんて思われてるやろなあ、もういいよ、やめよかな」
「針のむしろはもう嫌だ」
「これから立派な答弁しても誰も認めてくんねえよな、ああ、やだやだ」

まさかこんなことは考えてないよね。