思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

齢を重ねる

2010年12月30日 | Weblog
師走があけると1月、私の誕生月になる。
憂鬱である。
どうあがいても老いてゆく。

年末年始は「またひとつ齢を重ねる」時期である。
誕生日はひとつの区切りである。
その日を境に突然ひとつ年をとるわけでは無い。
時は自然に滑らかに流れる。

HAMEMARAという。
年を感じる象徴である。
確かにその通り、ぼやきがはいる毎日ではある。

レーモンド松屋

2010年12月25日 | Weblog


歌手の名前です。
アラカンだそうです。
彼の「安芸灘の風」をある人が歌ってました。
一度聞いただけで印象は強烈、何て凄い歌だと感じました。

YouTubuなんかで聞いていたら、ひとりの女性が目に付きます。
「キーボード」担当の女性だそうで「クニコ」さんと出てました。

なんとも素敵な女性で一目ぼれでございます。
思わず写真を拝借してしまいました。

この歌の楽譜「カラオケフアン」1月号に掲載されていました。

「レーモント松屋&野島久仁子」やりますよ多分。
来年中には有名人になりますね、きっと。
応援したくなる二人です。

認知症と歌の記憶

2010年12月17日 | Weblog
私と同年代のじいさんが、おばあさんを連れてカラオケの店に来ていた。
そのおばあさんは多分80歳代でじいさんの実の母親である。

歌いますね、大声で。
多少メロディは狂っているが立派なものである。
バリバリの元気である。
親子だけに似ている、歌があまり上手でないところも。

実はそのおばあさん、認知症で「徘徊」を得意とする。
歩き出したらもう止められない。
勝手に家を飛び出してどんどん歩いてとんでもない遠方の交番から電話がかかってきたりするらしい。

歌ったりしゃべったりしている間はそんなふうには見えない。
会話にも大阪独特のつっこみを入れてきたりする。

脳内構造は計り知れない複雑さがある。
ごく一部の記憶が欠落していくのかも知れない。

明日はわが身か。


新沼謙治/情け川

2010年12月13日 | Weblog
いい歌ですなあ。
やはり日本人は演歌や。
「情け川」、これぞ演歌ですわ。

演歌に必要な日本語が全部入っとる。

情け、川、煙草、道に外れた恋、蛍、燃える、肩、嘘、明日、泣く、呼ぶ、まわり道、
捨てる、いつか、ふたり、風、みぞれ、どこへ…

よくもこんだけの言葉をつなぎ合わせたもんだ。
脱帽ですわ。

んな訳で覚えちゃった。


「飛行機雲」比較的新しい歌、誰かが歌ってたな。
いい歌ですね、これも。

新沼謙治、好きな歌手ですが、歌える歌はひとつもなかった。
「飛行機雲」も覚えたい。
誰かテープ貸して。

激安散髪発見

2010年12月12日 | Weblog
私のカット代金は980円です。
その店は全国展開しているチェーン店だそうで、理美容室です。
女性も客としております。

カットするだけで洗髪も剃りもありません。
10分位で終わりますから多少混んでいてもすぐに順番が回ってきます。
椅子は6つありますが、働いている人は大抵2人です。
カットが終わると洗髪する代わりにドライヤーで散り毛を吹き飛ばします。

その店に「平日割引」の表示がしてありました。
平日12時から2時までにご来店のお客様、980円のところ690円になると。

カット代金690円は激安です。
初めて聞きました。

但し営業時間は午後6時までです。
年中無休です。

散髪していて嫌なのは、終わりに鏡で後ろから頭の状況を写します。
「これでよろしいでしょうか」
と聞きます。
「うっ」
となります。
「俺って後頭部かなり禿げてきたな」
と改めて認識させられます。
前から鏡を見ているのとは大違いです、天国と地獄ですな。

クリスマスイブ英語版

2010年12月11日 | Weblog
山下達郎の「クリスマスイブ」英語版があった。
英語の歌詞も日本語の歌詞をそのまま英語にした感じだ。

英語版の歌もYouTubeで見つけた。
練習してみようか。
この時期をはずすと1年後のクリスマスまで待たなければならない。

というのは英会話の講師が来週に、英語版の歌詞を持ってくると言っていたから歌詞の詳しい解説もしてくれるつもりだろう。

カラオケにも英語版がありましたね。


「きっと君は来ない、ひとりきりのクリスマスイブ」
結局相手の人は来なかったのでしょうか。
多分来たんだと思いますが。

待つ人すら居ない人もいるけど。

年取ると

2010年12月09日 | Weblog
こんな会話が聞こえてくる。
「小学校の1年から6年までは長く感じたけど、年取ると1年が早いねえ、あっという間だねえ。年々1年が早く感じるよ」

誠に同感、墓場に向かう道中は年々早くなる。
そんなに急がなくともいいのに、時間よもう少しゆっくり、と思う。

そう感じる人は多いと思う。
何故だろう。

流れる時間は客観的には同じはずだから、これは主観の問題である。

経験的に
「早く来い」と思うときはなかなか来ない。

「早く来て欲しくない」と思うことは実際よりも早く来ると感じる。

誰もが残りの人生がもっと長くあれば良い、と思うから実際より時の経過を早く感じることになる。

もっと早く死期が早く来て欲しいと思う人があれば、多分その人にとっては時の経過がもどかしく感じるかもしれない。

残りの人生、もっと多く楽しみを求める人はその度合いが強いほど時間が早く過ぎると感じるに違いない。
つまり強欲な年寄りほど残り時間が短く感じることになる。

私も強欲じいさんの一人である。