思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

不思議な出来事

2006年06月30日 | Weblog
世の中には人間の理解を超えることが偶に起こる。
これは1週間ほど前に起こった不思議な出来事である。
しかしその不思議に気づいたのは今日のことであり、今日私は背筋が凍りつく思いをした。

1週間ほどの間、女房が遠方に出かけていたので私は1人の日を送っていた。
ある晩に、飲んで帰ってきたら暗い部屋の中で留守電のメッセージ有りの灯りが点滅していた。
ボタンを押すと女房の声が「また夜ウロウロと出歩いてるな、まあいいよ」と意味のないメッセージが入っていた。

当日出かけるときの夜8時頃、洗面所の鏡の前で髭を剃り、グチャグチャの寝癖のままの頭髪をブラシで梳かし整髪料を振りかけて整える。後頭部の禿は正面からは見えないから落ち込まないで済む。
一人だけの家の夜は妙に静かだ。ブラシッングする音が不思議に響いたりする。

最近は頭髪を七三に分けている。
しかし、寝癖のついた頭髪は変に髪の毛が立ったりしていて様にならない。
久しぶりにオールバックにしてみたら、何とかなった。

洗面所の照明は私の背後は照らさない。
従って私の背後は暗黒の世界。
どうも私の背後に誰かがいる気配がしてならない。
勿論誰もいるはずがない。
一旦、夜一人でこういう感覚にとらわれてしまうと際限なく恐怖感が増幅する。
遂には鏡の中の自分の背後を見ることすら出来ないような恐怖感が襲う。

やっぱり誰かがいるほんの僅かな気配がする。
思い切って鏡の中の私の背後を見つめてみる。
勿論誰もいない、でもいるような感じにとらわれる。

薄気味悪くなって早々に家を飛び出し夜の街を近所のカラオケ飲み屋で過ごした。

そして今日女房と雑談していて「あれっ」と思った。
女房の言った一言が私を凍りつかせた。
そして女房の眸を恐怖の面持ちで見つめた。
勿論女房は自分の言ったことに何の不思議も感じていない様子だった。
女房はこういったのです。
「あの晩はどこに飲みに行ってたの、頭オールバックにして」

ひょっとしたら女房は時空を超えてどこにでも一瞬にしていくことが出来る術を持っているのかもしれない。
たまたま人間に姿を変えているだけなのかな。

今日は何日

2006年06月30日 | Weblog
日にちの感覚が大分薄れてきた。
その代わり曜日の感覚はしっかりしている。
私の予定は曜日で決まっているから自然にそうなる。
例えば金曜日は午前11時から昼過ぎまで英会話教室、午後は空いていて夜7時から2時間は社交ダンス教室。
曜日と予定がリンクしている。
女房も「あなたの予定まで私は管理できないよ」と釘をさしてくる。だから忘れないようにと頭に刻み込む。
女房も忙しい人だが、曜日で彼女の予定も大体把握している。例えば木曜日は朝から夕方まで女房の居ない日とか。
時々裏切られる。
「あれ、今日は出かけないのか」
「第4週はお休みなの」

一方月日は日常生活にあまり影響がない。
7月1日から煙草値上げというような密接に結びついたものもあるが例外的だ。
さて今日は何日だろう。
6月29日か、いや30日だ。
時々申請書類を書くとき日付を入れる欄があり、はたと考える。平成何年だっけ、何月までは確かだが何日だっけ?。

日付の感覚は現役から遠ざかると途端にあまり意味のないものに変わってしまう。
かつては会議の日程、書類の締切日、支払日、手形の決済日、あらゆる仕事が日付で予定されている。1日間違えたらエライ目に合う。
暦は古代からあった。農業には必要だったのだろう。畑を耕す、種をまく、水の確保、収穫の時期、霜の予定、気配りは日付の認識から始まるのだろう。

それに比べて年金生活者となった私には日付が必要なくなった。
昔のご隠居さんみたいなもんだろう。
何するでなく静かに死ぬ時まで生きている。
流されるままに生きているなあ。

禁煙

2006年06月29日 | Weblog
7月1日から煙草が値上げされる。
270円が300円になる。
この際と大量に買い込む人もいるはず。

この機会に禁煙しようという人が35%とか、私も挑戦してみようか。
今まで禁煙しようと思ったことはない。

埋める

2006年06月28日 | Weblog
関西は言葉の文化が優れれていると思うが、中には怖いのもある。
「殺したろか」
「埋めたるで~」
とか、平気で普通の人が冗談に言ったりする。

それが現実に起こることは想定していないが、今回現実に起こってしまった。
裏社会ではなくごく普通の一般の人間が実行した。
しかもパワーシャベルでアナを掘り、生きたまま埋めたというからあきれる。
事の発端は些細な諍いから発展したものだ。

なんでも有りの世の中になってきた。
ゲームとかコミックとか、現実離れした感覚が現実社会に少しずつ浸透し始めているのだろうか。
この前見た映画「Death Note」もそのひとつの傾向かもしれない。
殺したい人の名前を死神が落としたノートに書くだけで殺すことが出来る。
極悪人を次々とゲーム感覚で殺していく。

狂気の正義漢である。
殺し請け負いますの映画にも似ている。
裏には人の命を軽んずる危険な正義が潜んでいる。

演劇サークルにて

2006年06月28日 | Weblog
今回練習中の演劇は「観客の笑い」を取ることもひとつのテーマ。
そこで今日のテーマは「人を笑わせる」ことをテーマに各人が5分前後何かを演じて笑わせる訓練。題材・衣装は自由。
残念ながら心からも含み笑いもあまり出ない。
お粗末。
人を笑わせる演技は難しい。「クラウン」といってたが。

ところで団員募集しているが相変わらず男性の応募はなく、昼の部は私一人、それに演出担当の年配のおじさんだけ。
今回1人女性が応募してきて団員に加わった。
45歳独身です、と公言している。
謎の女性、「外郎売」の科白は全部空で言える。
何でもインターネットのチャットで演じる遊びを長くやっていたらしい。
チャットだから全国どこからでも参加できる。そして初見の科白を何人かで役割を決めて演じるらしい。
私もネツトを探してみたが見当たらなかった。

多分声優でも目指して勉強を続けてきたのかもしれない。
この前の本読みで、欠席者の代役を務めたが「うま~い」と思った。
素人じゃない、相当経験を積んでいると見た。



女房のご帰還

2006年06月26日 | Weblog
今夜8時ごろお帰りなさる。

皿は綺麗になってる。
風呂は洗った。
洗濯も言われたとおりにした。
ベランダの植物にも水をやってる。
灰皿のタバコも跡形なしに綺麗だ。

うん、よし。
遅くなるから夕飯は自分で済ませておけと言ってた。
駅に着く直前に電話するといってた。

私の自由時間は後僅か。

命をつなぐ

2006年06月25日 | Weblog
今夜のNHKの番組で驚くべき蝶の話を見た。
感動ものだった。
動物番組は大好きでよく見る。
(動物好きに悪いやつはいないと言われている。勿論例外はあるよ)
感動の物語は次のような話だ、うまく伝えられるかどうか。

メキシコの3000メートルの山地の同じ場所の大樹で冬眠する蝶の話だ。
1本の木に8センチ程の大きさの何万羽の蝶が木と枝を覆いつくして冬眠し、びっしりと蝶で覆われた樹は「黄金の樹」と呼ばれているとか。
そして合計約6億匹程のその蝶は、冬期間この地だけに終結するという。
高地なので気温は0度近くまで下がるる。
そして春まで5ヶ月間その木に止まったままびっしりと体を寄せ合って防寒対策をして冬眠する。

春が訪れ陽光が体を温め始めると、ある瞬間に全部の蝶が一斉に飛び立つ。
それは6億匹の蝶が全体でひとつの生命体であるような感じを受ける。
咲き始めた花に群がり体力の回復を図る。

そしてある時期一斉に北に向かって飛び立つ。
それは卵を産みつけさなぎに育つことが出来る特定の植物の成長に合わせて北上するという意味がある。

最初の滞在地で交尾して卵をその植物の葉に産み付ける。
そして親蝶は卵を産んで死んでしまう。
卵はその植物の葉を食べながらたちまちさなぎになり脱皮して蝶になる。
脱皮した蝶は更に北を目指して、その植物が生長し始める場所で交尾してまた卵を産み付ける。

それを繰り返して第4世代にカナダまでの数千キロの旅をする。
約半年後に第4世代になる頃は数が約4倍に増加するという。

つまりその蝶は子育てに必要な特定の植物の開花成長の北上に合わせて、自らも世代交代して命をつなぎながら半年掛けて北上する。

そしてカナダに到達した第4世代の蝶は約4倍の数に増加して、一転してメキシコのあの山地を目指してUターンする。
それは僅か2ヶ月間の強行軍だそうです。
その帰途に4分の3が力尽き鳥の餌になり、帰り着くのは元の数の4分の1という。

そして不思議なことに同じ山地の同じ樹に戻り再び冬眠する。
生命の輪廻と生命の記憶を引き継ぐ遺伝子の不思議に感動です。

人類を含めて地球上の生命はお互いに連鎖して全体がひとつの生命体であるかのような感じを実感します。
私自身も地球生命体の一部であるような不思議な感動を覚えます。

かつて巨大恐竜が地球環境に適応できずに絶滅し、化石のみ残しました。
今爆発的に増加している人類は自ら地球環境を破壊し、絶滅種が増加しています。
それは地球生命体全体のの大脳が少しずつ破壊されていることに似ています。
人類の小さな骨は将来化石としても残らないかも知れません。
汚染された地球に順応して生き残る未来の生命体は、かって地球に人類が存在した証拠の1カケラも発見できないかもしれません。

美しい緑の星の生命体が末永く生き長らえることを祈りたいものです。

還暦

2006年06月25日 | Weblog
昨日の飲み屋で。
ジュンちゃんは零細家族経営の会社の社長夫人で目下パチンコ狂い、息子のための結婚資金の貯金を浪費中。
亭主も時々飲みに来る、パチンコ狂いも知っていて「小遣いが底をついたら止めるやろ」と呑気。
いつも私にデュエットのリクエスト、但しいつも音程が狂っている。

「ジュンちゃん、還暦だって?」
「そやねん、この8月にね」
還暦をとっくに過ぎたママが「みんな私に追いついてくるわ」
みんなが「これだけは追っかけても追っかけても追いつかれへんで」
ジユンちゃん「赤いチャンチャンコはいらんで、しゃれた指輪欲しい」

亭主に買ってもらいな。


声なし

2006年06月24日 | Weblog
今日はなんの予定もない日。
1日中ごろごろしていた。
女房も居ないし、誰とも顔を合わしてない、従って一声も発していない。
家を1歩も出ていない。
昔3連休の間、1人住まいのため3日間一言も喋らないで過ごしてしまったという女子社員がいたな。

ちょいとお出かけするか。

激情

2006年06月23日 | Weblog
感情が爆発すると何が起こるか分からない。
奈良県で高校1年の男の子が母娘3人を殺害して自宅に放火した。そして京都府の見知らぬ家にもぐりこみワールドカップを見ていてそのまま眠ってしまったところを逮捕された。母親は義理の母親だったという。
自分の激情を後悔しているだろうが、遅い。

仔細なわだかまりが鬱積して感情をコントロールできなくなったのか、詳細は不明だが切れる瞬間は本人も何故か分からないだろう。

私も時々切れる。
成人してからは冷静な切れ方をするが、幼い頃の変な記憶だけは残っている。

1度は小学生の頃、ナタを手にして友人を追い掛け回した。
当時薪で煮炊きしていたので、薪割りも仕事のひとつだった。そのナタ(手斧)を右手に友達を追い掛け回した。幸い逃げ足の速い友人だったので事件にはならなかった。原因は全然記憶にない。

更にもう一度、気の弱い優等生だった小学生の頃、神社の草地で友人と取っ組み合いの大喧嘩をした。これも原因は覚えていないが、手心を加えない喧嘩だった。相手を殺すことだってありえたが幸い誰かが止めに入っておさまった。
そして私が本気で殴りあうことを恐れられた。

そしてもうひとつ、中学生の頃机で後ろを向いて友人と話しに夢中になっていた。
誰かが私の背中をしつこくツンツンとつつく。
うるさいと思いながら我慢していたが、とうとうキレて思い切りその手を振り払った。手がバンと思い切りその人に当たった。
その人は年配の女性の教師だった、お喋りを止めなさいと言うつもりだったのだと思う。怯えた顔をして立っていた彼女の表情は今でも私の心に焼き付いている。
その時は私もハッとして我に返った。

激情は優越感と劣等感、自信と敗北感、孤立感、それに傲慢な心情の中でドロドロと溜まっていくはけ口のない感情が沸騰点に達した時に爆発する。
自己制御不能な感情。
これまでの生涯で数回キレた記憶が残っている。
女房に1回、定年前に会社の上司に1回。
今じゃ激情のカケラもなくなった。