思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

歌いおさめ

2005年12月31日 | Weblog
昨晩は歌いおさめ、カラオケに行ってきた。
8時頃に客一人、ドキリとしたが暫くして次々に増えて30人近くなった。
1人の時に歌いまくっていて良かった。
知り合いもどこかのママさんと何人か来ていた。

まあ、いいお年でしたかね。
またひとつ、棺桶に近づいていくわい。
若い人はいいね、若いってことはそれだけで素晴らしいってことを気づけよ。

添乗員

2005年12月27日 | Weblog
今回のポルトガル旅行の添乗員は小太りの30代後半の独身女性。
決して美人ではないがなかなか肉感的、うっひっひ。
その彼女の仕切り方が大変気に入りました。

今回不測の事態が2度起きました。
ひとつは街中で自由行動の1時間後、4人が待てど暮らせど帰ってこない。
30分探し回っても見つからない。
彼女は一人残りました。我々は食事場所へバスで、運転手の案内でレストランへ。
彼女はあわてず騒がず冷静に段取りをつけてました。
4人組は道に迷いタクシーでホテルへ向かったことが分かりました。
彼女は、ホテルにたまたま日本語を話す従業員がいたのでその事情が分かったといってました。

もうひとつは最終日、早朝5時半に空港へ出発するはずのバスが時間になっても来ない。運転手への連絡もつかない。
早朝なのでバス会社の人も要領を得ない。
運転手はバスを自宅まで持っていって朝そこからそのまま出てくるつもりが、近所の人がバスの前後に車を止めてバスが動けなくなっていることが分かりました。
リスボン空港からは15分程度のホテルなのですが、時間がどんどん過ぎる。
レッカー車を呼んでバスの前後の車をレッカー移動するのに時間がかかっているようです。
空港に間に合わなければえらいことになります。
その時も彼女はあわてず騒がず、自らの判断で仕切っておりました。
分宿している数人を数台のタクシーでそのホテルに集合させる。
空港での免税手続きの段取りの説明。
ぎりぎりになるが搭乗出来なくなる心配はしないでいい、などの説明。
まったくパニクリませんでした。

添乗員かくあるべしという感じの行動でした。
彼女はアメリカの大学で学んだそうです。
英語とポルトガル語が話せる、優れもののお姐さんでした。
襟巻きの下からチラチラ見える胸の谷間も最高だったぞ。


ポルトガルの遺跡

2005年12月27日 | Weblog
 
 世界遺産めぐりの旅でしたからこれも世界遺産かもしれません。
 建造物の美しさにひかれて撮りました。
 ポルトガル発祥の地とか言ってましたね。
 古城ですね。
 てっぺんまで登りましたが足が震えましたね。
 この城のそばには古い修道院が残ってました。
 とにかく古い教会と修道院が多い。
 ヨーロッパの中世は教会の建造にはものすごい費用とエネルギーと年数を費やしてますね。
 よくもこんなものを作り上げたもんだと感心します。
 写真で見て空の青さには改めて感心します。
 雨には1度もあいませんでした。

ポルトワイン

2005年12月27日 | Weblog

 これもポルトガル。
 ポルトワインの産地です。
 ここに有名なポルトワインの工場があります。
 昔は川に浮かぶ船はワインの輸送に使われたそうですが現在はトラック輸送。
 観光用に船を残してあるそうです。
 ところでコルクはポルトガルで世界の95%を生産しているそうです。
 ワインのコルクに使用する他にも、敷物・バッグなどにも加工されていました。
 

ポルトガルのファド

2005年12月26日 | Weblog

 ポルトガルの歌といえばファドが有名とか。
 一応聞いてきました。
 お食事しながら1時間ほど男女の歌手が何曲か歌い、間に民族舞踊が入ったりします。
 伴奏はギター一人ともう一人12弦の弦楽器です。
 歌手は自分のCDをその場で売ってました。
 男性歌手のを1枚買いました。
 20ユーロでした。

ポルトガルの焼き栗

2005年12月26日 | Weblog

 ポルトガルに行ってきました。
 ある街角でおじさんが焼き栗を売ってました。この光景は方々で見ました。
 値段も安くて焼きたての栗は皮もむきやすくて美味しかったです。
 ポルトガルの若いおねえさんも歩きながら食べてました。
 焼きたての栗を紙でクルクルと巻いて20個程入ってます。

夫在宅症候群

2005年12月16日 | Weblog
テレビで。
夫在宅症候群なる病気が蔓延しているらしい。
特に夫が定年退職した場合の妻は80%がこの病気の予備軍であるという。

その病いが高じると、夫を殺してしまえば幸せになれるかも、とまで思いつめてしまうらしい。
夫とはいかなる存在か。
妻にとっては、働いているうちはお金をせっせと稼いでくれる存在で日中は家にいない。日中は妻の自由時間、好きなように過ごせる。
昼間の家の主は妻である。
金稼ぎマシンでいる間は辛抱もしていた。

それが定年と同時に自分の存在を脅かす邪魔な存在になる。
家事は手伝わないが、夫が家にいる分家事は増える。
夫がいれば今までのように自由気ままに過ごす訳にも行かない。

夫も1人じゃ寂しいから、ゴチャゴチャと干渉する。
それも腹立たしかろう。
愛情なんかはとうの昔に消えうせているから、夫のやることは全て鼻についてくる。
ただの薄汚れたじじいが家でのさばっている。
だんだんそれが許せなくなる。

子供も独立しているから、そんな夫とも一緒にいるしかない。
このまま年老いて死んでいくのかと思うと、夫が許せない存在になってくる。

テレビでの解決策。
夫は妻と異なる趣味を持たなければならない。
夫は少なくとも週に2日以上は家を空けなければならない。

そんなことで解決すると思うのかね。

そういえば歯医者の予約、女房は「私が家にいる曜日と時間は分かっているでしょ、必ずその時間帯に予約してね」だと。
気が強くて我儘に過ごしていると思っている女房にしてこれだ。

定年後の夫とは、ガンガン議論すべきだ。
ケンカも結構、どうしても折り合えないならさっさと離婚すべきだ。
退職金と年金は半分確保せよ。
もめたら裁判してでも勝ち取れ。
一緒に居るとムシズが走るようなジイサンとは、付き合う必要は無い。
そして自由勝手に暮らせばいい。
そこまでの覚悟は必要だ。
世間体なんかクソ食らえと思えばいい。

うちの女房はそんなことは平気でやるタイプだ。
だから、限度を越える前に機嫌をとり、彼女がキレないように上手に付き合うことにしている。
まだ時々エッチもしてるよ。

階級社会

2005年12月15日 | Weblog
ある本を読んだら、日本社会はイギリス型の階級社会が築かれつつあるらしい。
上流社会、中流社会、下層階級、勿論下層階級が多数を占める。
そしてその階級の中で独自の文化が出来上がり、交流することも無くなるとか。

居住地も階級ごとに自然に区別されて住むようになり、話す言葉すら違った言葉になってゆく。
楽しむスポーツも異なり、子供の教育方法も異なってくる。
出入りする場所も異なってくる。

飲む場所も異なってくる。
立ち飲みが専門のグループ、高級バーに集うグループ。
街の食堂が専門の人、高級料理店でしか食事しない人。

そしてそういう階級間の文化は代々引き継がれる。
子供の教育にも引き継がれ、子供も同じような育て方をされる。
イギリスでは低賃金労働者の子供は自分も親のように労働者として生きることを当たり前と考える人が多いんだそうです。

他の階級社会についても、彼等は彼らなりに、私達は私達なりに生きる、お互いに邪魔しないで生きようといった社会になるんだそうです。

ある意味当たっているような気もする。
政治家の子供は政治家になるし、芸能人の子供は芸能人に、スナックのママさんなんかも娘が継いだりしていたり。
一流企業のサラリーマンの子弟はやはり一流企業に勤めたりする。
単に金持ちと貧乏人の差ということでもないらしい。
貧乏人でも上流社会の帰属意識を持つ人はいる。
成金の成功者は自分の居場所が無くなる。上流からはよそ者扱いされ、出身の下層階級からは裏切り者とみなされ、金はあってもさびしい人生になる。
イギリスではある階級から他の階級に移るには3世代必要だそうです。

住んでる世界が違うと居心地悪く、自分の慣れた世界で生きるのが楽だ、という事かもしれない。
場違いな世界で生きるのはストレスがたまるのも事実だ。

イギリス階級社会の伝統は、階級間のストレスも殆どない、既成の事実として受け入れられているそうです。
Them and Us、彼等は彼ら、私達は私たち。

英語力

2005年12月14日 | Weblog
子供の頃から青年期にかけて最も労力を費やした勉強は多分英語だったと思う。
明けても暮れても英語の辞書を引いて単語帳を作り、声に出して読み予習復習にあい努めた。
そして結局学校を卒業して以降は殆ど役に立つことはなかった。
英語で会話したことも無い。
そして未だに会話は出来ない。

あの膨大な時間の何と無駄だったことよ。
あの時間をもっと別の何かに費やすべきだった。

覚えた単語も文法も卒業以来殆ど使わなかったので、文章を読むことすら今では辞書なしには果たせない。

教育の方針が間違っていたとしか言いようが無い。

英語教育はまず簡単な日常会話が出来ることを中心にすべきだ。
文学作品とか論文を読めるほどの英語力は、その道に進みたい人たちだけが選択するようにすればいい。
従って英語教育は小学校からネイティブの教師によって会話中心で遊び感覚で憶えていくようにするのがいいのではないかと思う。

若い頃英語の勉強のために貴重な青春の時間を無駄に奪われた感じさえする。
今日の英会話サークルのクリスパーティでそんなことを考えていました。