セクエンツィア(続唱)は、9世紀頃にミサ曲の中に採り入れられたものだそうで、聖書を基に創作的詩句を加えて数多く作られたのですが、トリエント公会議(1545-63)などで大幅に整理され、レクイエムにおいてはこれが13世紀にチェラーノのトマスが書いた“Dies Irae(怒りの日)”となって長く定着しました。分量的に他を圧して長いので、例えばモーツァルトのレクイエムで有名な“Lacrimosa(涙の日)”のように一まとまりの詩句をもって独立したセクションのように扱われる場合が少なくありません。整理すると、セクエンツィア≒ディエス・イラエ>ラクリモーザetc.というわけです。これを物語の進行に合わせて何回かに分けて紹介したいと思います。
ただ、各セクションの冒頭の語句をもってセクションの名前として扱い、今回紹介する冒頭の2節だけをディエス・イラエと呼んでいる場合もあります。セクエンツィア>ディエス・イラエ、ラクリモーザetc.というわけです。要は呼称は多分に便宜的で、テクストそのものを見ればいいわけです。
1)Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla:
Teste David cum Sibylla.
2)Quantus tremor est futurus,
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!
①怒りの日、その日こそ、
この世は灰燼に帰すだろう、
ダヴィッドとシビッラが証したように。
②人びとの恐怖はどれほどのものか、
裁き主が来られ、
すべてを厳しく糾されたもうのだから。
これは「旧約聖書」の最後の方の預言の書の一つ「ゼパニア書」の第1章に基づくものですが、終末論的な、言わば黙示録的なイメージが濃厚なもので、神が最後の審判を下す日の様子が描写されています。ユダヤ民族が亡国の民となった旧約時代の終わりごろから、初期キリスト教時代にかけてそうした“歴史の終わり”のような思想が流行し、聖書に大量に取り入れられました。日本のカトリック教会は、謙虚に暮らしましょうとか、人と仲良くしましょうとか、熱くも冷たくもない、ただ生ぬるいだけの道徳訓話みたいなことだけを言って、聖書のそんなところは知らんぷりしているような気がしますが、「ゼパニア書」にも記されているように、最後の審判はまもなく下されると当時は考えられていて、公約違反もいいところです。その後も危機の時代にヨーロッパ社会では“ノストラダムスの大予言”のような形で繰り返し現れたのですが、そういう経緯から言っても、ユダヤ人でもキリスト教徒でもない私にとっては、あまりお付き合いしたくない迷信にすぎません。
しかしながら、そうした良識からは排斥される迷信こそが宗教の大事な要素、芸術の源泉であることも事実で、この神の怒りは、モーツァルト、ヴェルディを始めとして、多くの作曲家のインスピレーションを刺激して、音楽史に欠くことのできない合唱の名曲の数々が作られました。