夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ゴッホ:自画像

2005-11-22 | art

 これは本当にこわい絵です。エゴン・シーレの「死と乙女」やムンクの「叫び」、ベックリンの「死の島」といった絵もそれぞれに心の深いところに突き刺さるようなこわさを持っていますが、実際に見た衝撃力ではこの絵には及びません。また、ゴヤの「我が子を食らうサトゥルヌス」やブリューゲルの「幼児虐殺」、ボッシュの「十字架を担うキリスト」といった人間性の暗い部分をあばいたような普遍的なこわさはないのかもしれませんが、それだけにゴッホの置かれた孤独の痛切さが伝わってきます。

 私はこれまで2回、オルセー美術館で見ていますが、絵の向こう側からゴッホがにらみつけているというショックは変わりありませんでした。ふつうはどんな名画でも(ある意味悲しいことですが)2回目は心穏やかに見ることができるものですが、この絵に限っては人を石に変えるバジリスクのような力を持ち続けていました。

 この美術館にはたくさんのゴッホのデッサンも展示されています。率直に言って上手でもありませんし、暗い農民の生活などを描いたもので、うんざりするようなものですが、地道な訓練を経て、それが1885年の「じゃがいもを食べる人たち」に結実したんだと思いますし、何より1887年頃からの最後の3年間の爆発的な色彩の洪水のエネルギーが蓄えられたんだと感じました。そういう意味で、私はゴッホの手紙を読んだこともありませんし、これから読むとしてもあの地味なデッサン以上のことを語りかけてくれないだろうと思います。ゴッホは画家なんですから、何かを知りたければ絵に訊くのは当たり前のことで、モーツァルトの手紙に対するスタンスも同じです。

 これと同じような話ですが、ゴッホが精神病院に入退院を繰り返したことやこの絵を描いた直後に自殺したことの詮索もあまり関心はありません。パトグラフィー(病跡学)のようなものは、結局彼の才能と芸術を明らかにするものではないでしょう。だって、そんなことをする医者や学者は、彼ほどの天才じゃありませんからねw。……これからも永遠に自分を凝視し続けるゴッホの眼光にもう一度、射すくめられたい、それだけが私の望みなのです。


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