夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

ジャパン・レクイエム:Requiem Japonica(31)

2005-09-10 | tale

 その翌日、金曜日は待ちに待った美人姉妹との会食である。ただ今回ばかりは、欽二はともかく、宇八は醒めていた。新幹線の窓から風景を見ているうちに思いついた、いくつかの工夫をすることも決めていた。

 出かけようとする時に欽二から電話が入った。
「どうした、下痢か?」
「古いことを言うなよ。おれじゃない、百合さんが遅れるって話だ」
「ふうん、そうか。まあ、いいじゃないか」
「いや、まあいいんだが。……しかし」
「しかし、なんだ?」
「いや、あの姉妹が二人並んで、いずれアヤメかカキツバタって具合にはなかなかならんなと思ってさ」
「ふん。そういうもんだろ」

 わりと有名なふぐちりの店の黒く磨き上げられた階段に手を掛けながら二階の部屋に上がる。四畳半くらいの部屋の襖が抵抗なく開き、ぴたりと閉まる。欽二と茉莉が向かい合って、座っている。くいと会釈してすぐに茉莉の隣の座布団に座る。仲林が「おい、そこは」と言いかけるが、
「遅れるそうなんですな。お姉さんは」と茉莉の目を正面から見て言う。
「ええ」といつものように伏せ目がちに返事する。白いブラウスの上にモスグリーンのカーディガンにチョコレート色のロングスカートで、何か花と葉が絡み合ったような模様が白抜きのように描かれている。ふぐ刺しをつまみに飲み始めていると、鍋が沸き上がったところで、仲居がふたを開け、ふぐの身とあらを入れる。舞い上がった湯気が収まっていく。それを横目で見ながら、東京での印象、会った人間の悪口、街の様子、ファッションなど、しゃべるそばから忘れてしまうような話を宇八は楽しそうにする。
 ビールをつぎ、茉莉にも飲ませるようにする。欽二もご機嫌で、もう顔を真っ赤にしている。今、何時だ? ちらと腕時計に目を遣ると、まだ7時半だった。
「仲林君、君は茉莉さんと百合さんのどちらが好きなんだ?」
 欽二は危うくビールのコップを引っ掛けそうになる。
「何を言い出すんだ。もう酔ったのか?」
「さあ。別にいいじゃないか。お互い妻子持ち、好きだ、嫌いだと言ってみても、どうこうなるわけじゃない。ねえ、茉莉さん。訊くくらいいいですよね?」
「ええ……」
 宇八が目で催促すると、意外にあっさり、
「嫌いとかそういうことじゃないんだが、百合さんのように華やかな人はちょっと……」
 その答え方を聞いて、こいつはやっぱりお人好しだなと思いながら、
「おうおう、純情なもんだね。茉莉さんだそうですよ」
 茉莉もビールを口元に運びながら、恥ずかしそうである。欽二は、
「おれだけに言わせるのか?」とこういう場合の常套句を言う。
「不肖、羽部宇八、申し上げにくいことながら、お姉さんのあでやかさにより惹かれますな。早く来られないかと心待ちにしております」
「ええ、用事を済ませばすぐに駆けつけると申しておりましたが」と腕時計を見ようとするのを押し留めるようにして、
「いや、失礼なことを申してすみません。さ、ぐっといきましょう」と今度は日本酒を勧める。

 しばらくして、煮詰まって白濁しただしの中で、野菜がくたくたになった。身を食べた後の骨が黄色い。欽二も茉莉もかなり酔ってきた様子である。宇八も酔ったふうに「何か暗くないか、この部屋は」と言う。
 茉莉がついと用を足しに出たかと思っていると、何やら話し声が聞こえる。しばらくして襖が開くと、百合が入って来た。百合は、今日は一段と派手な化粧で、金のアクセサリーを耳、首、腕とたくさん着けている。青紫のセーターに、ビリジャン・グリーンの短めのスカートである。とろんとした半眼で宇八は、
「よく来てくれました。お待ちしてまして」とろれつもあやしく、ビール瓶を傾けようとする。
「はい。本当にお待たせして申し訳ありませんでした。でも妹は……」
「いいんです。妹さんは欽二君のお気に入りだから、任せておきましょ」
 薄っすらと、茉莉が眠り込みそうな欽二をあやすように相手をしているのが見える。
「さあ、それよりお腹が減ってるんじゃあ。ふぐはたくさん残ってますよ。ああ、だしがすっかり減っちまったな。……どうぞ、どうぞ」
 そう言って、だしをじゃぶじゃぶ入れて、再び火を点けた。
「はい、いただきます」

 百合を相手に楽しく話をしばらくしていたが、まだ9時にはなるまい、時計を見ようかと思った矢先、襖がバンと開いて、そこに仁王立ちしていたのは、上川昭三の娘、姪の月子だった。
「わっ。なんでおまえがここに来るの?」
「なんでも、かんでもないわよ。伯父さん、そんなことやってていいと思ってんの? 恥ずかしいわよ」
 20歳の娘にそう言われると、大抵の中年男は恥ずかしいと思ってしまうだろう。しかも月子は親戚の中でも愛嬌のいいので評判のいつも笑っているような表情をした娘だ。本人はそんなつもりではないのだろうが、笑いながら語気荒く叱られては、曲りなりにも、いや曲がったなりの伯父としての面子もない。
 月子の剣幕に驚いたか、百合と茉莉は「それでは、わたしたちはこの辺で」と言葉少なくそそくさと去って行った。欽二はちょっと目を開けたが、また柱にもたれて眠っている。その欽二の両肩を月子と二人で抱えながら、店の外へ出た。
「伯父さん、あたしが来てびっくりした?」
「したよ。栄子か輪子のはずがさ」
「伯母さん、あんなとこ行くのいやだってさ。輪子ちゃんは論外よ」
「そうか、そいつは迷惑掛けたな」
 トレーナーとジーンズという格好だが、こいついつの間にこんなにいい女になったんだっけと思い、さっき襖を開けたときのシルエットが思い浮かぶ。
「なんで、誰かに迎えに来てほしかったの? いつもは行き先も言わないくせにって、伯母さん言ってたよ」
 それには苦笑しただけで答えない。
「……おまえ、あそこにいた女どう思った? 二人いたろ?」
「え? あたしが入って行った時は、一人だったよ。……そうね、まあ美人だけど、なんかちぐはぐな感じね。ほら、くすんだ色のカーディガンに派手なミニスカート? おんなじ緑ってもさあ、変だよね……伯父さん、何笑ってんの? 大丈夫?」
 それほど酔ってもいなかった宇八は、思い出し笑いしながら駅までの道を歩いて行った。


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