今、話題の映画なんて見たことがないんですが、これはずいぶんと話題になりましたから何か書くのも気恥ずかしさがありますね。映画は私の場合、時間や環境が整わないとなかなか見れないんですが、引越しを期に抜本的に改善が図られたんでこれからたくさん見ることになりそうです。なんで、あんまり気合を入れて書くと面倒になるから簡単にしておきます。
いちばん印象的だったのは壇れいの美しさと色気です。やっぱりあれくらい腰つきがあった方が時代劇らしくていいですね。ただそれが脚本にも影響したのか、セリフに「ご新造の美しさ」といったのが頻出するのはどうかと思います。現代劇に昔風の言葉や方言を散りばめたような言葉遣いで、奥深さが損なわれています。
キムタクの太刀回りは見事なもので、盲人らしさも十分表現できていたと思います。少なくとも敵役の坂東三津五郎や師匠役の緒形拳よりも強そうでした。そういえば緒形拳が後半に1回しか出て来ないのはストーリー運びとしてちょっとどうかなって思いました。
この映画は武士の一分=プライドというよりは壇れいとキムタクの夫婦愛がテーマで、そのことは妻の襷の紐を鉢巻にして決闘することや芋がらの煮物が2回出てくる(つまり剣の師匠より重要w)ことから明らかですが、そのため論理性が少し甘くなっています。飯炊き女にまでなって戻って来た妻を迎え入れるのは人情としては当然なんですが、道理としては決闘に勝って恥を雪いだからといって不義を働いた妻を赦す謂れはないだろうと思いました。妻の告白を聞いて「俺の知っている加世は死んだ」と言う新之丞の印象的なセリフがありますが、妻がどうやって彼の中で生き返ったかをドラマとして説明しきれていないということでしょうね。
まあ、私が時代劇として自然だと思うストーリーは、妻の告白を聞いたら即座に自害を迫り、果し合いを済ませたら自分もあっさり切腹という殺伐としたもの(これらの選択肢はセリフの中で言及されています)で、それじゃあリアリティはあっても興行としてはうまくいかないでしょう。だからこの映画のストーリーでいいんですが、それにしても何かもう一つエピソード(桃井かおり辺りがからむかな)を入れて「しょうがない置いてやるか」とするような丁寧さがほしいですね。……どうも山田洋次監督の映画ってさらっと見ると「おもしろいなぁ、いい話だなぁ」って思うんですが、ちょっと気になりだすと劇中の人物たちはどうやって生きているのか心配になってくる、そんな感じがあります。
いちばん印象的だったのは壇れいの美しさと色気です。やっぱりあれくらい腰つきがあった方が時代劇らしくていいですね。ただそれが脚本にも影響したのか、セリフに「ご新造の美しさ」といったのが頻出するのはどうかと思います。現代劇に昔風の言葉や方言を散りばめたような言葉遣いで、奥深さが損なわれています。
キムタクの太刀回りは見事なもので、盲人らしさも十分表現できていたと思います。少なくとも敵役の坂東三津五郎や師匠役の緒形拳よりも強そうでした。そういえば緒形拳が後半に1回しか出て来ないのはストーリー運びとしてちょっとどうかなって思いました。
この映画は武士の一分=プライドというよりは壇れいとキムタクの夫婦愛がテーマで、そのことは妻の襷の紐を鉢巻にして決闘することや芋がらの煮物が2回出てくる(つまり剣の師匠より重要w)ことから明らかですが、そのため論理性が少し甘くなっています。飯炊き女にまでなって戻って来た妻を迎え入れるのは人情としては当然なんですが、道理としては決闘に勝って恥を雪いだからといって不義を働いた妻を赦す謂れはないだろうと思いました。妻の告白を聞いて「俺の知っている加世は死んだ」と言う新之丞の印象的なセリフがありますが、妻がどうやって彼の中で生き返ったかをドラマとして説明しきれていないということでしょうね。
まあ、私が時代劇として自然だと思うストーリーは、妻の告白を聞いたら即座に自害を迫り、果し合いを済ませたら自分もあっさり切腹という殺伐としたもの(これらの選択肢はセリフの中で言及されています)で、それじゃあリアリティはあっても興行としてはうまくいかないでしょう。だからこの映画のストーリーでいいんですが、それにしても何かもう一つエピソード(桃井かおり辺りがからむかな)を入れて「しょうがない置いてやるか」とするような丁寧さがほしいですね。……どうも山田洋次監督の映画ってさらっと見ると「おもしろいなぁ、いい話だなぁ」って思うんですが、ちょっと気になりだすと劇中の人物たちはどうやって生きているのか心配になってくる、そんな感じがあります。
*************
なんかいろんなものがあるサイトです。
なんかいろいろしゃべります。
そして壇れいさんは本当に美しく、映画館で見たときには「あれ誰?」とあせってパンフ買いました。キムタクの剣さばきも見事でしょう?…って結局同じ感想ですねw