夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

中国環境汚染と商道徳汚染とTPP

2013年02月11日 15時27分05秒 | 日記
 もう十年くらい前のことだが、妻が首に湿疹が出来て痒いと言う。医者に見てもらってもよく解らない。そういう体質でもないのになぜかな、と思って見ていたらいつも外出の時、毛皮の襟巻きをする。『それ、いつどこで買った?』と聞いたら『あんまり寒いので最近買った』と言う。よーく見たら中国製品だった。『このせいかもしれんからしばらく使うのを止めてみたら?』と言って妻もそのようにした。
 すると、湿疹はピタリと治まった。件の襟巻きは捨てた。

 食料品については我が家は外国産輸入品は買わない。どんなに高くても国内で、地場の生産者が名前を表示して出しているもの、或いは商店が謂わば面子に掛けて出しているものしか買わない。
 例えば輸入肉、その輸出国で牛や豚やトリに何を食わせているか分かったものではない。中国の汚染物が混入した餌などをやっていたらかつての水俣湾水銀汚染と事態は同じことである。
 という訳で外食もしない。

 国防や警備を担う組織或いは学校給食などで実態はどうか心配している。こういう汚染は時間が経ってから効いて来るから。

IT世界でのゲームと自己

2013年02月11日 13時17分48秒 | 日記
 IT世界でのゲームの多くにプレーヤーのアバターが武器を持って気味悪い加害者を抹殺しつつ進む、或いは危ないところをかいくぐって進む、と言う形式が見られる。行動範囲が迷路であって出口が見つからない、或いは試練が延々と続く、果てしない緊張と闘争が続く。
 これはプレーヤーの無意識がこの現実世界で味わう苦悩を象徴的に表現していると私は思う。もしかしたら引きこもり、ニート等、”この人間社会”に上手く自分の場所を見出せない人々、見出せるかどうか心配な人々にこういったゲームに熱中する傾向がありはしないか?
 すると、もしそう言ったゲームで上手いこと出口を見つけて外に出ることが出来た!と言う経験をすることがあれば、彼の苦悩、閉塞感、それらに起因する行動様式を癒すことが可能かもしれない。
 そういうゲームは出来ないものだろうか?

アンドロイド、表層意識、無意識、エゴ、悟り、覚醒、放棄、猫

2013年02月11日 11時40分46秒 | 日記
 居眠りをしていてふと閃いたので書き留めておこう。

 エイリアンと言う映画があった。宇宙船にエイリアンが侵入し犠牲者が出る。そこで退治しようとするわけだが挙動のおかしな乗員が居る。何とアンドロイドで、彼の本来任務はエイリアンを地球に持ち帰ることだった。故に乗員たちとの共同作戦のなかで不審な挙動があった。
 他の乗員との共同作業とは人間で言えば社会生活である。社会生活は表層意識で成される。一方、人の本質は無意識にあり、その人のこの世界での本当の行動、役割、予定はそこに書かれている。ところが生育環境、社会環境などによって往々にして、或いは殆どの場合、無意識は抑圧されて表層意識で共同生活を余儀なくされる。
 ここに葛藤が生じる。我々が経験する、或いは見る、様々な不如意、不幸、犯罪等は恐らくこの矛盾に由来する。カルト宗教も無論これが原因である。

 ”自分”だと思っているのは実はアンドロイドである。非常に精密に造られていて、最早造られたものであることを忘れてあたかも己の独立した意思で動き回っているかの幻想を抱いていて、鏡に映る姿の存在を自分と思う。その状態が言うところのエゴである。
 殆どの人はそのような世界が全てと思ってそこの中だけで生きて泣いたり笑ったりしている。しかし時々表層意識と無意識の矛盾に苦しんで、別の言い方をすればこの世界に出生した、或いはもしかしたらさせられた本来の意図もしくは役割と今生きる現状が著しく相違することに二種類の反応が起こる。
 消極的方面の反応はカルト宗教であったり犯罪であったりする。積極的な方向とは平たく言えば自己の探求である。この探求の結果、人は自分が実はアンドロイドであったことに気付く。これを覚醒と言う。無論、理屈の上での覚醒が先立ち、次に本来の覚醒に到る。理屈で覚醒しても探求を続行しなければ本来の覚醒には至らない。
 覚醒に到った人の生き方とはどんなものか?・・・時間を超越している、つまり猫のように生きている、言い換えるとエゴを放棄して生きている。表層はそう見えるが、アンドロイドとしての役目を過不足なく全生活に於いて全うしているので傍目には本来の素質才能を遺憾なく発揮して輝かしい人生を生きている、と言うふうに見える。